第35話 1/22
「おめでとうございます。蓑藤アンナ」
「え?」
目が合うなり玄関扉の向こう側に、アンナの目の前に立つ、白装束の少女からそう告げられる。
周囲の光景は、惨状を極めていた。大理石の埋められた床には、数分前は壁面や天井の一部であった石材の塊が大岩となって所々で転がっていた。屋敷の煌びやかな内装は辺りを塗り潰す業火の灯り一色に染め上げられて、そこらじゅうで火の粉が舞い散っている。
そして、アンナの足元には、突拍子も無く襲来した白装束の少女からアンナを守ろうとした従者が皆、表情が判別できないほどに真っ黒く焼き焦げた全身から煙を噴き出しながら、沈黙していた。
玄関扉の奥にある庭では、ラベンダーで埋め尽くされた花畑が、燃えていた。上空で羽ばたく、樹木の幹のように太い首が胴体から三本生え揃った四足の竜が炎熱を帯びた息吹を花畑へと向けて放っていた。花々は業火に飲み込まれて、紫色の花弁だったはずのものが全て、無惨にも黒焦げの残骸となっていた。炎は近くの木々にも燃え移り、樹皮を黒く焼いていく。
「あなたは、誰?将鐘はどこに行ったの?今朝から、どこにもいない」
「安心してください。彼は、ちゃんと生きていますよ」
開け放たれたロイリア邸の玄関扉の向こうに佇む彼女の風貌に、アンナは目を奪われていた。生地の厚い白装束を全身に纏っていて、桃色の長髪を結わえた髪が装束の隙間から覗いている。ただただ白い服装と色鮮やかなピンクの髪色のコントラストの、幻想的な美しさ。
「私は、あなたたち異界人に力を与えるための存在。この世界を存続させるために生み出された、時空の管理者です」
「管理者...?」
「はい」
白装束の少女はアンナを見詰めながら、薄く笑みを浮かべた。
「あなたはこの国の、キタオス・ドラの調律師となるのです」
「調律師?」
聞いたことのある言葉だった。竜の伝承において、この大陸を占める三か国のそれぞれにいるとされている、竜と人の調律を保つ者。ただ、いるのかいないのかも良く分からない。曖昧な存在であるために、自分がそれになるという発想は今まで考えついたことも無かった。
「竜と人が共存するため、どちらかの種が絶滅したりすることのないよう、互いの派閥にとっての抑止力となるのです。竜が極度に増えれば竜を、人が増え過ぎたのならば人を、ある程度に及び排除する」
「排除、って...」
「簡単です。竜族、及び人間に死を命じ、抗うのならば殺す。それを繰り返せばいいのです。竜であろうと人であろうと、調律師の両眼に宿る暗示の眼差し、精神調律には逆らえない。それを利用すれば、竜族を飼い慣らし、兵力として使役することも可能です。通常ならば極刑に処される行いですが、あなたはそれを許されている」
「まっ、待ってください。一旦、話の整理を...」
「いいえ、待ちません」
アンナが慌ただしく発した言葉を、白装束の少女の静謐とした声音が両断するように遮る。
「あなたは今、この瞬間に生まれ変わる。新しい役割と名前、そして記憶を持って」
「それって、どういう...」
白装束の少女がアンナの頭部に掌を乗せる。その手を躱そうと思った。その手を頭上から払い除けようと思った。けれど、奇怪な感覚と共に勝手に身体が硬直して、自分の意思に従ってくれない。
刹那、視界を織り成す空間の全てが白く、閃光を発して瞬く。
「今のあなたが、理由を知る必要はありません。あなたはもうじきいなくなる。あなたの人格も、あなたが出会った人や物との記憶も全て、ここで忘れるのです。ただ最低限、あなたの自意識をあくまで人間のものとして留めるために、あなたの愛した人間の名前と記憶だけは残すこととしましょう。最後に、伝えておきたいことがあります。これから、あなたの過ごすその一生のうえで、貴女が名乗る名前です」
視界が徐々に色を取り戻し、少女は、アンナという名前と記憶を失くした少女は、瞼を上げて目の前を見詰める。
何も、誰もいない。
彼女は独り、ロイリア邸の玄関前に立ち尽くしていた。炎の色も形も熱も、黒焦げの従者も、半壊状態に陥っていたはずの壁面や天井の欠落した箇所も、彼女が目を開けたその時はいつの間にか全て消えていた。白装束の少女の姿と共に。
そして、その瞳の表面には赤く、鈍い鮮紅色に呑まれた歪な色彩が満ちていた。
――あなたの名前は、ペイン・ロイリア。
時空の管理者が残した文言と、一人の少年と過ごした日々の記憶だけが、脳の奥に響いていた。
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