第31話
そう告げられた事実が、干渉不可能の現実となって目の前に立ちはだかっている。それでもまだ、鹿芝の殺意は胸の奥を未だ焼いたまま、消える気配は微塵もない。
—―異界人の血液は、相手に呪いを刻み付ける。
脳裏を過る、ギルの言葉。ロイリア邸を離れ、丘に向かう最中での会話で彼が
話していた、鹿芝の持つ能力の話。
—―マサカネ様は、血液を消耗することで爪に腐食の呪いを宿すことができる。凄まじい翼の移動速度で翻弄しながら相手の皮膚を薄く裂き、それを起因として腐食作用で攻撃。そうして、そのマシュマロマッチョとやらを殺した。ですが、それでは呪いに対する耐性、あるいは驚異的な修復力を持つ相手には通用しない。
鹿芝の思考が回る中、ペインは薄く笑いながら宙に真っ直ぐ手をかざす。同時に、ペインの背後を向いていた、真っ黒く巨大な人骨の頭部が灰となって散り散りに霧散する。
「第一地獄門・
筋をなぞって枝分かれした灰の群れが、かざされた手の先へと集約され、再び
そして、
(背後に、躱す)
上空に広がる空を吞み込むように翼を大きく広げ、真っ向から注ぐ向かい風の成す防壁を槍で貫き通すように宙を突っ切って加速する。白骨の腕の握り締める包丁が鹿芝の眼前を薙ぎ払るが表皮に掠ることもなく、そのまま空中を横に流れた。
「将鐘には、感謝してもし足りないから」
ペインの声が、空を反響して鳴り響くような声音が、遠くから。
「なるべく、痛みを感じないようにしてあげるね」
瞬間、空中を舞う鹿芝の身体の周囲を、黒髑髏を成す、黒ずんだ灰が埋め尽くしていた。
「六面髑髏」
前後左右、そして上下。六つの方角から、黒髑髏の漆黒に埋め尽くされた口腔がこちらを向いていた。その闇を突き破るように宙を這う、白骨の腕が百数十。
(ここで、死ねるか)
視覚の全てを塗り潰す、刃の描く残像。触れれば骨ごと肉が弾け飛び、意識すらもゆうに抉り取られるだろう。まともに受ければ、一撃すらも致命傷に至り得る。
だからこそ、肌に張り巡る緊張感をも武器に、刃先が駆け抜ける軌跡を読み、身を反らして躱す。翼の微細な動作で身体の軸を保ちながら、機を伺う。
「無駄だよ。抗おうとすればするほど、何もかもが無駄になるだけなんだから」
地上で、骨で埋め尽くされた地面を足場にして、ペインは薄く微笑んで—―
「抗うくらいなら、楽しもうよ。叫び出したいくらいの痛みを。この今にも死にそうな感覚を」
—―嗤う。
「その痛みを乗り越えた先にしか、あなたの求める答えはないよ」
(死ぬ...のか...)
右半身は、もう感覚が飛んだ。空気に触れている実感も消失した。
(いや、まだやれる)
けれど、修復などしなくていい。する必要もない。
(まだ、飛べる)
肉体に響く激痛を振り払って、重心を前へ。風を貫いて、破って、加速する。
(目の前にある対象物を、フィアを死なせた人間を、殺せる)
交錯する斬撃の軌道を躱しに躱して、布地に縫われた糸の継ぎ目を引き千切るように、六面髑髏の包囲網を真っ直ぐ、突破する。
(翼の速度で撹乱する必要も、はなから無かった。どこから攻撃が来るのか悟られたところで問題は無かった。裏を搔く必要なんて無いんだ。真正面から、堂々を相手を殺せばいい)
そして、視線の奥に見えた、ペインの姿。
(皮膚なんて狙わなくていい。薄く切り裂く程度で満足しなくていい)
脳の奥から全身に伝播し、駆け巡る、確実に相手の息の根を止める明確なイメージ。
(相手の急所に爪を—―)
そしてそれを、現実へと描き起こす。
(――刺して、抉り抜く)
前方へ突き出した左腕が、鹿芝の全身が滑空する勢いに乗せてペインの胴体へ、残像をなびいて突っ切る。心臓を覆う骨の砕く手応えを味わいながら、血肉の奥に宿る、弾力のある臓物の感触ごと貫く。
「腐食呪印――」
ペインの心臓を貫通した、鹿芝の指先から呪印が流れ出る。
床に落下したガラス球が砕け散る寸前のように、ペインの身体を縦横無尽に迸る、糸のように細い黒色の亀裂。やがてそれは身体の表面を埋め尽くし、密集し、全身が焼け焦げたように黒一色へと染め上げられ、輪郭の全てが黒に満たされる。
「—―黒死」
その瞬間だった。
人間とそれ以外の頭、手足などの骨の白色のみで彩られた地面の中。そこへ、ペインの胴体に詰められていた赤い血肉の塊が放たれ、粘着質に音を立てて、液体が土砂の深くまで染み渡る。
ペインの胸部には、穴が開き始めていた。鹿芝の頭も収まるくらいの大きさの穴が一つ、骨すらも残すことなく。
その穴は、少しずつ大きく開いていく。血肉の破片を、地面の上に溢しながら。
—―もしも、私が死んだらさ。自分のことを、許してあげて。作り笑いでいいから、笑って。だって君は、強くていい人だから。
フィアの声が、薄い青に落ちていく明け方の空から鳴り響いた。そんな風に聞こえた。
「俺は、もう迷わないよ。フィア」
真っ黒く染まったペインの全身が後ろに傾いて、仰向けに倒れた。焼かれた灰のような黒色を全身に纏いながら、瞳は凍ったように固まったまま、動かない。
やがて足元から、人の姿形を失くして散り散りに崩落した血肉の激臭が噴き上がって、熱い液体の粒が赤黒く点々と、鹿芝の身に纏う服の布地へと一斉にまだら模様を打ち込んだ。
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