第24.5話
—――死まで、あと三日。
屋敷での生活一日目も、二日日も、フィアの姿は見当たらなかった。
「なんでペインさんの屋敷って、山の頂上に立ってるんだろ」
鹿芝はギルに屋敷の外へ連れ出され、山間地の草道を歩いていた。
ロイリア邸はここら一帯に並び立っている山脈の中でも一際目立つ標高の比較的高い山頂に位置しているため、麓にある目的地まで辿り着くまでの道のりには緩急のある下り坂が続いていた。
「敷地外から内側を覗かれにくくするためではないかと。ペイン様は、暗殺者や殺し屋などといった、殺しを
「おっ、この世界ってやっぱ殺し屋とかいる!?いいねえ殺し屋!ファンタジー最高!」
活字の上や液晶画面の向こうでの台詞からしか聞かないフィクション用語に少し興奮ぎみになる鹿芝の様子に、ギルは真顔のまま摩訶不思議なものを見るような視線を、ちらりと一瞬だけ向けた。
「殺しだとか、そういう物騒な単語を聞いてそんな反応をする人はあなたが初めてです」
「あ、ごめん。不謹慎だった?」
「いえ。それよりも、身体の調子は大丈夫ですか?」
「どうだろ。まあ、大丈夫だと思う。マシュマロマッチョ戦で頭蓋骨が潰れそうになるくらいやられたけど、なんか馬車に乗ってた時にはもう治ってたし」
テルボーに殴られた痛みや傷すらも、いつの間にか嘘のように消失していた。一撃で全身の骨が粉砕されるほどの威力の拳を受け続けたはずなのに、肉体に何の痕も付いていないのはやはり奇妙だ。
「マシュマロマッチョ、とは?」
「あー、それ俺が付けたあだ名。なんか、フィアと一緒に廃墟の村にいた時にこう...なんだろう、トリケラトプスっぽいガリガリの化け物が集団になって降って来たんだけどさ。そいつらを率いてたのが白くて丸い頭してるやつで、自分の身体を大量に複製したりドラゴンみたいな感じの筋肉ムキムキマンに変身したりするんだけどさ」
不意に強く風が吹いて、茂みの擦れる音がサラサラと揺れ動いて囁く。
「で、なんか俺、そいつにめっちゃ死ぬ寸前まで殴られて、もうこれほんとに駄目だわって思いながらも堪えて、何度か気絶しかけながら戦ったんだけどさ」
鹿芝は立ち止まった。水色一色の空を仰ぎながら、陽の光を手の甲にかざして遮りながら瞳を閉ざし、また開く。
「戦って、どうなったんですか?」
ギルは不審な眼差しで、鹿芝の方へと振り向いてその様子を見つめていた。
「記憶がないんだよ。最初はああ、これが死ぬってやつかって確信したつもりだったんだけど、目が覚めたら馬車の中で揺られてて、そのあとフィアと少し話したんだよ。そしたらさ、俺がやったんだって」
「やった、とは?」
「そりゃあ、殺したってことだろ」
鹿芝は再び真正面を向いて歩き出し、ギルはその隣に沿うように歩幅を合わせながら進んだ。
「あ、ごめん。なに変なこと言ってんのって思うよね。ほんと意味分かんないよね。俺だって言ってて分かんなくなってきたし、まあ、そういうこと。この世界に来てから混乱しっぱなしだよ」
途端に気恥ずかしくなったせいか、下手な作り笑いを浮かべながら鹿芝はこの話題を終わらせようとした。
「大して親しくもない俺にこんなことを言われるのは不本意かもしれませんが、その気持ちはとても分かります」
咄嗟にそう言われて、鹿芝の視線は捻じ曲げられるようにギルへと向けられた。
「いやそんな、無理に共感しないでいいよ。親切にしてくれてありがたいけど、でもまあ、せっかくの異世界ライフなんだから楽しまなきゃ損だし」
「いえ、本当に分かるんです。その、得体の知れない物が怖いという気持ちが。また同じことを繰り返すことを、あなたは今、恐れている。自分の身体に宿っている潜在能力がどれくらいのものなのか、それがどういう性質のものなのか、理解できずにいるせいでそんな風に困惑しているのだと思います」
ギルは絶えず真っ直ぐ正面を見据えたまま、そう言葉を並べた。
「潜在能力、か。確かにその通りかもなあ。よし、分かった。俺も自分の力がどれくらいのものか知りたくなってきたような気がしなくもない的な気分だし...まあ、たぶんきっと何とかなるだろ!」
「是非その意気で臨んでください」
「了解。それじゃあよろしく、ギル先生!」
「え?あ、分かりました」
そう言うや否や、ギルは取り乱したように視線を泳がせるも、すぐに視線を正面へ向けて固定し、相も変わらず無感情な表情を浮かべながら。
「ところで、マサカネ様はご自身の力をどれほど掌握できていると考えていますか?」
「え?あー...どうだろ。今んところ自分の意思で動かすことはできてるけど、なんていうか、まだいまいち引き出しきれてない部分があるっていうか...出し切ってる感がいまいち無いんだよなあ」
「でしたら、俺の知っていることで良ければ、聞いていただきたいのですが...」
ギルはそう切り出して、鹿芝に視線を送る。鹿芝が一つ頷くと、ギルは口を開いて。
「あなたの血液は、体外に排出されると黒く変色し、相手に呪いを刻み付ける」
「呪い...?」
「はい。腐食の呪印。それがマサカネ様に与えられた異能です。マサカネ様は、血液を消耗することで爪に腐食の呪いを宿すことができる。凡そ人間の視覚では捉えきれない両翼による空中での動きで翻弄しながら相手の皮膚を薄く裂き、それを起因として腐食作用で攻撃。そうして、そのマシュマロマッチョとやらを殺した。ですが、それでは呪いに対する耐性、あるいは驚異的な修復力を持つ相手には通用しない」
鹿芝は、脳裏でその記憶を蘇らせようと思考を巡らせるが、どうにも不明瞭な様相ばかりが浮かぶ。ピントが重ならないような、途切れ途切れの映像が瞼の裏で流れているような、記憶の奥深くを探ろうとしても得体の知れない何か、ノイズが走るような感覚に阻害されるせいで上手く思い出せない。
「その力を、発揮すべき時に存分に発揮するためにも、マサカネ様には実践的な訓練に身を投じていただく必要がある。マサカネ様には、些か残酷に思える話かもしれませんが...」
ギルの発した言葉が、最後の方が上手く聞き取れなくて。
「残酷、って...?」
聞き返すが、ギルのその反応はやけに鈍く思える。
「いえ、こちらの話です。事前に断っておきますが、戦闘訓練において、俺はあなたの肉体に危害を加えることに対して一切の躊躇を持ちません。何事においても、全てはあなたの行動次第であるということを終始、自覚してください」
「ああ、分かった」
そう告げたとき、目的の草原は目前へと迫りつつあった。
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