第23話  第三章・あなたは死ぬ

—――死まで、あと五日。


「本日は、基礎体力の測定と練習用の武具を使用しての実践演習を行います。まずは、それを兼ねて木剣の素振りを行っていただきます」

「木剣!なんかすごくファンタジーっぽい!」

 翌朝、足首に半分届くくらいの雑草の生い茂る庭の中で、ギルは鹿芝に一本の木剣を手渡した。

「それで、素振りの回数についてですが、マサカネ様は人間が持つ通常の肉体を遥かに凌ぐほどの体力を有している、とペイン様から伺っていますので、一般的な鍛錬よりも多く回数をこなしてもらいます」

「え?」

 反射的に、背筋が凍った。

「多く、か。えっと、それってどれくらい?」

「マサカネ様の身体能力が伝承通りのものだとすると、十倍ほどでしょうか」

「じゅ、十!?」

 こうして、鍛錬は始まった。

 素振りに伴って庭の外周の走り込みを始めとする身体作りのラインナップは、室内で毎日を過ごすインドア派学生の身にとっては途轍もない重労働に違いなかった。

 しかし、鹿芝の肉体の宿す底の知れない体力は間違いなく、通常の人間の持つそれを超越した代物だった。脚力、腕力、そして何より肉体の耐久力と再生力が群を抜いて飛躍しているのが、鍛錬を繰り返すほどに理解できる。

 走り込みの最中さなか、石畳の上で勢い良く転んでも、膝に傷がつかなかった。それだけでなく、剣撃を刃で受けるための稽古の一環でギルに木剣で思いきり殴られたときも、普通なら歯を食い縛りながら数分はうずくまっていないと収まらないはずの痛みも、一瞬あるかないか程度の感覚で一秒も経たずに消えてしまっていた。

 その日はこうした訓練と、屋敷全体の案内で一日を終えた。


—――死まで、あと四日。


「やっぱ俺、身体の構造がおかしくなってるよな」

 一通りの稽古を終えて、鹿芝は窓から差す夕陽の色を薄く帯びた自室の天井をただ見つめながら、ベッドの上で腕を組みながら寝転がっていた。

「フィア、今頃どうしてるんだろ。ギルに聞いても何も存じ上げておりませんの一点張りだし...なんか、話し相手欲しいなあ」

 朝食も昨晩と同じテーブルで取ったが、そこにフィアの姿は無かった。昼食はギルとの稽古の合間に屋外の庭先で取ったが、ギルからは何も情報を得られず終わった。

「暇だし、まだ眠くもないし、こうなったらお屋敷探検するか」

 ゆっくりと身を起こして、部屋のドアノブを回した。

「なんだっけ、ここの名前...確か...あ、思い出した。ロイリア邸だ。キタオス・ドラっていう国の中で一番力のある貴族、っていう割にここ、お手伝いさんとか全然いないけどなあ」

 廊下を歩きながら、フィアの言葉を頭の中で反芻はんすうする。

「いやでもまあ、一つ一つの部屋もかなり広いし、貴族のお屋敷にしては大きい方、なのか?全然基準分かんねえ。あー、理系じゃなくて文系選んでたらもうちょいこういう中世ヨーロッパみたいなとこの歴史とかにも詳しくなれてたんかなあ。いやでも、世界史とか鬼めんどいからやっぱ嫌だわ」

 独り言を呟きながら、開け放たれていた扉の奥に広がる中庭へと足を踏み入れる。

「あっ...こんにちは」

 近くのガーデンテラスから声を掛けられ、心臓が一つ大きく跳ねる。咄嗟に振り向くと、そこには鹿芝より一回り背の高い、純白のワンピースを身に纏う少女がいた。

(緩やかな風の流れに沿って艶を光らせる金色の長髪!絵に描いたような正統派ヒロインっぽさ!なんだこの美少女!これが...これが文字通りの2.5次元って奴か!?)

 そのあまりに調律の取られた容姿に驚きを隠せずにいると、少女は困ったような眼差しを向けてくる。

「あの、どうかされました...?」

「す、すみません。ちょっと散歩をしてたんですけど...その、ここの庭って本当に花の匂い凄いですね。とっても綺麗なんですけど、ずっとここで暮らしてたらたぶん花の匂いが分からなくなるかもしれないです」

 口ごもりながら、そう言葉を紡ぐ鹿芝に、少女は笑みを浮かべて言葉を返した。

「それ、分かります。私もこの時間帯に良くラベンダー畑を見に来るんですけど、年中匂いがするので、段々と嗅覚が鈍ってきてしまうんですよ」

 優しい人だな、と思える偽りのない笑顔と仕草だった。どこか、フィアと似た面影を感じる。けれど、やはりフィアと何かが違う。鹿芝がフィアに感じている物は、熱を宿した強く惹かれるような感情。

 この少女に対して抱いているのは、少し質の異なる安心感だった。

「あなたは、この屋敷にいつ頃いらしたんですか?」

「昨日の昼過ぎくらいで、フィアっていう女の子と一緒に来たんですけど、この屋敷に来てから見当たらないんです。その日の夜も、今朝も、今になっても」

「そうなんですね。申し訳ありませんが、私もその、フィアさんは見た覚えがないと思います。それで、あの、もしかしてあなたが...」

「え?ああ、はい。俺は、異界人ってやつらしいです。自分がこの世界の人間じゃないって自覚は、今頃になってようやく芽生えてきたんですけど、なんか現実味がないっていうか。まだ受け入れられてない自分がいるというか。なんでしょう、未だに半信半疑のまま、ぼーっと生きているような気がするんです」

 細く目を空けて夕陽を眺めながら、鹿芝は淡々と呟きを零した。

「半信半疑、ですか?」

「はい。なんか俺、大事なことを忘れている気がして、なのに、思い出せる気配すらしなくて...」

「そんなに思い出せないのならきっと、それは思い出すべきことじゃないんだと思います。思い出すことを身体が潜在的に拒んでいるから、思い出せないとか、そういうことかもしれませんよ?」

「な、なるほど...」

 少女の方へと振り向くと、慰めているのか、励まそうとしてくれているのか、テラス席に佇む彼女は緩やかな笑みを浮かべていた。

「ありがとうございます。ちょっと、心が軽くなったような気がします」

「それは良かった。時間があったら、またここにいらしてくださいね。あ、そういえば、お名前を聞いてもいいですか?」

「そ、そうですね。俺は、鹿芝将鐘と申します。いや、なんか堅苦しいですかね...おかしいですよね、すみません」

 僅かに口ごもった鹿芝の様子がよほどツボに刺さったのか、少女は堪え切れないといった具合に声を必死に抑えながら笑った。

「面白いこといいますね、マサカネさん。別におかしくなんかありませんよ。私はティーク・ロイリアって言います。ロイリア邸の主人、ペイン・ロイリアの妹です。これからもよろしくお願いしますね」

「えっ、妹?」

「ええ...ああ、妹の私が姉よりも背が高いことを意外に思われてらっしゃるんですね。よく驚かれます」

「ええと、その...」

「どうしました?」

「こういうこと聞くの、失礼に思われるかもしれませんが、何か事情があるんですか?」

 鹿芝は、俯きながらもティークに問いかけた。

「そう、ですね。知りたいのでしたら、少し座って話しませんか?お茶、淹れますので」

「あ、はい」

 そういざなわれるがまま、円形のテラステーブルを挟んで、ティークの佇む席の向かいに腰を下ろした。

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