第22話
それから、小一時間が経過した。
「この世界に来てから初めての夕食は、楽しめた?」
「はい」
テーブルクロスの向こう側に佇むペインと、鹿芝は目を合わせる。
「そんな微妙な顔するくらいなら別に、正直に言えばいいと思うけど。私は
「そう、ですか。あの、本当に心の底から正直に言うと、ものすごく失礼な言い方かもだけど...なんか普通です。慣れない味付けとか食感も、ちょっと形容しづらくて、なんかドロッとしている感じが...苦手じゃないんだけどなんというか不思議な心境になります。あ、でもシチューは凄く美味しかったです」
「そう。素直な感想を言ってもらえて嬉しいよ」
会食の場に、フィアはいなかった。屋敷に入る直前以来、フィアの姿は一度たりとも目にしていなかった。
そのことについて真っ先にペインに尋ねるつもりでいたが、次々に並べられる皿の上に乗せられた食物を口に運ぶ作業でそれどころではなかった。
何しろ、こちらの世界に来てから水以外のものを一度も口にしていない。襲撃者やテルボーらと対峙していた間は、何か食べたいだなんて気の抜けたことを考える余地もなかった。そうしてこの食卓まで辿り着いて、あちこちから漂う料理の匂いと対峙した結果、難無く理性は崩壊した。
「あー、コーラ欲しい」
天井に吊るされたシャンデリアに灯る光にぼんやりと焦点を合わせながら、ぼやくように鹿芝は呟いた。
「コーラ...?」
「飲むと舌が痛くなる、極限まで煮詰めた紅茶みたいに茶色くて甘い飲み物です」
「へえ。でも聞いた感じ美味しそうに思えないけど、そんなのが欲しいんだ?」
天井から視線を落として、向かいの席で頬杖を突いて微笑を浮かべるペインを見据える。
「あー、まあ、色がなんかお茶みたいなとこも、舌が痛くなるところも、甘ったるいシロップの質感と適度な酸味を絶妙に引き立ててくれるんですよ。子供の頃はあんな得体の知れない、なんていうか、飲めば不健康まっしぐらな黒いブツをうまそうにガブガブ飲む奴らの気が知れないって、先入観混じりですけど思ってました。だけど、小学校高学年で初めて飲んだ時はクソ不味いって思ったんだけど、中学三年生の文化祭の日に久々に口にしてから、今や週に一回は飲まないと気が済まないくらいには沼ってます」
「なるほど。そう言われると、少し飲んでみたくなるね。コーラ」
「そうっすね。いいかもしれないです。またあの世界に戻ったら...」
ふとペインから視線を外して。
「俺って、どうやってこの世界に来たんだろう」
その奥、壁の向こう一面に張り付く黒い星空を呆然と、ガラス窓とテーブル越しに見つめる。
「そうだね...時空の門という言葉を、聞いたことはある?」
時空の門という言葉を聞いて、鹿芝は不意に白装束で目元の隠れた桃髪の少女を連想した。
彼女が口にした、自分が鹿芝たち転移者を招いた存在であることを示唆する言葉が、真っ先に脳裏を
「おそらく、時空の管理者に目を付けられたからだろうね」
「じゃあそいつが俺を誘拐したってことか?」
「それは解釈としては少し違うかな。君が前の世界にいた時は、管理者は君に直接的な干渉はしなかったはずだから」
鹿芝は、顎に手を当てて思考を回した。
「直接的って、どういう?」
「そうだね。例えば、時空を超えて無理矢理人間を運び出すなんてことは出来ない。できるのは、向こうの世界から時空の門を開けることを可能にすること」
「時空の門を開けることを可能にする?こっち側からは開けられないんですか?」
「そうだよ。こちらから働きかけると同時に、向こうの世界からも何かしらの干渉をしないと時空の門は開けられないから、君と他の転移者のうち誰かがその要因を生み出したんだと思う。具体的には、そう...時空の門を開く鍵を異界人の住む世界に出現させ、それを転移者となる人間が使うよう仕向ける、というのが代表例かな。ここまで聞いてどう?覚えはある?」
「そうですね...」
転移したのは昨日。協同学習室でノートpcが発火し、気付けば平原に佇んでいた、という形だった。その要因とはほぼ間違いなく、胡散臭さしかなかったIsekaingSoftwareというソフトを起動したことにある。
「そういや、先輩がパソコンいじって、そのせいで転移してました。じゃあ、あのパソコンは時空の管理者が送り付けたもの?」
「そのパソコンとやらは知らないけど、可能性としては十分に有り得るだろうね」
ペインの返答は聞いて、鹿芝にとってのひとまずの疑問は解消された。
「なるほど。じゃあ、俺はどうやったら元の世界に戻れますか?」
「管理者に会うしかないけど、無理だろうね。それに、仮に会えたとしても元の世界には帰してもらえないと思うよ」
「まあ、そうですよねー。そんな回りくどいことしてまで俺たちをこの世界に呼び出した張本人だし。そう易々とはいかないだろうなあ...」
溜息をつくようにそう言葉を吐きながら、椅子にもたれかかる。
「もしも本当に帰りたいのなら、時空の管理者を殺すしかない」
「こ、殺すとか...別にそこまでじゃないんで...」
ペインのやけに冗談っぽさの無い口調で発された物騒な言葉に、咄嗟にそう言葉を返す。
「そう」
鹿芝は、ふと思い出したように身を起こした。
「そういや俺ってこの世界で何やればいいんですか?」
「この大陸の統治を乱す者を裁くこと。そして、そのために力を磨くこと。やること自体は騎士団や私たち調律師と同じ。心配しなくても、ギル君が手厚くサポートしてくれるよ」
「手厚く、ってどういう?」
ペインは薄く笑みを浮かべながら頬杖を突いて、上目遣いで銀色の色彩を宿した瞳を鹿芝へと向けた。
「徹底的に鍛え上げるってこと」
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