第21話

『竜を殺せ』

 気付けば、またあのときと同じ空間にいた。

 赤黒い翼が鹿芝の背から発現した、その直前に見た光景。

『竜を殺せ』

 地面には誰のものか分からない血液が薄く広がり、蒸気を湧き上げている。

「なあ。ずっと気になってたんだけどさ。竜を殺して...あと俺も殺すんだっけ。それでお前は何か得するの?」

 鹿芝は、靴裏が赤く湿っていく様に顔をしかめながらも、鼓膜を震わせるノイズの声音へとそう問いかける。

「俺、前の世界でもそれなりに大人しくやってたし、この世界に来てからしたことだって、俺がしたくてやったことじゃないしさ。なのに、なのにさ...」

 考えれば考える程に、翼の力のことが鬱陶うっとうしく思える。

「いくら相手が人の形してない化け物だからって、あんな風に俺から理性を奪って、竜の眷属だかなんだか知らないけど、そいつら殺すために俺に翼とか、人間離れした力植え付けてさ。なんでそんな回りくどいことすんのかも良く分かんないし。別にただ単に俺を死なせたいだけなら、昨日の夜に俺があの変な刀みたいなの持った男に襲われてる状況で、翼の力与えたりとかしないで見殺しにすればいいのにな」

 なぜこんな心境にならなくてはならないのか。

「こんな一方的に色々と押し付けて、俺に殺されろだの竜を殺せだの理不尽なことばっか好き放題言いやがってさ...なあ、お前さ。ほんと、お前何がしたいの?そもそも俺を殺す意味あるの?」

 そんな不満ばかりが、鹿芝の眼差しを冷酷に研いでいた。

「答えろよ」

 真顔で発したその声が、血液の色で赤く染まった地面を伝って波紋をなびくように、やけに遠くへと響き渡った。

『意味なんて、あるに決まってんだろ』

 瞬間、ノイズだったものの声音が、僅かに人の肉声に近しいものへと変化した。

『鹿芝将鐘。お前はこの世界で何が起きたのかを、その全てを忘れている。お前は自分のやったことを、忘れている。自分の犯した罪を、人を死なせたという事実を』

 鹿芝と同年代の、少年の声。

『お前は、俺に殺されるべきなんだよ』

 不意に、身体の奥で緊張が走り、冷たく高く脈打った。

『お前は、死なせたんだ。殺したんだ。どうしようもないことを、お前はやったんだよ』

 地面に広がっていた血液が目の前に圧縮され、徐々に人の輪郭を象り始める。それが誰か分からないまま、蠢く血の塊はこちらへと手を伸ばしてくる。

『鹿芝将鐘』

 やがて、血の塊だったものの内側から人間の肌色が赤黒く生暖かい表面を突き破って、鹿芝と同年代の少年の姿が、いつも文芸同好会で目にしていたはずの彼の、憎悪に満ちた表情が露わとなった。

『お前は、俺を—―』

 分からないはずなのに、なぜか、その言葉の続きが分かってしまった。

「—―須床ユウヤを見殺しにした」

 鹿芝がそれを口に出した時、既に目の前からあの血液で満ちた視界は消えていた。

 頬を熱くなぞって、涙の跡がそれに沿って冷たく走る。鮮やかな紋様の描かれた寝室の天井を視界の中に収めながら、鹿芝は声を震わせた。

「あれ...なんで俺、泣いて...」

 夢で、何を言っていたのか。何を言われたのか。

「俺、何の夢を見ていたんだ...?」

 同時に、その全てが脳内から消失し、吐いた息と共に霧散した。

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