第15話

 血痕に塗れた大地に十数もの影が浮かび、急激に広がり出す。

「どうなってるんだ...」

「この付近で十三体、悲鳴を上げる間も無くやられたのか...?」

 鳥の怪物が、そこら中を横たわる同族の残骸を囲うように降り立ち、声を漏らした。

「落ち着け。何も動じる必要性はない」

 緩やかに降り立つ寸前で宙を浮かぶその風貌は、人形に近しいものだった。

「我々に致命傷という概念は存在しない。遺体が腐食していなければ、本部の復活剤を使用すれば蘇る」

 人の背丈の倍以上ある周囲の怪物に比べ、テルボーの身体には彼らの膝下ほどの丈しかない。肌の色はすみまで不気味なほど真っ白く、その頭部の輪郭は完全な円形を描いている。

 手袋をはめたような丸い両手と小さな両足。異端なほど小柄なその体躯が、着地と共に黒外套に似た風貌の閉ざした翼をまとう。大きく開かれた赤色の瞳と、顔面から鋭利に突き出た特徴的な形の鼻が目を引く姿をしていた。

「テルボー隊長。しかし、こんな一瞬にして...竜王の騎士剣を持つ者が、我が隊を待ち伏せし、狙っているのかも...」

「それは杞憂だな。相手は人間であり、私は竜の血を引く者。我々と真っ向から対峙して、人間が勝つすべなど無い」

 テルボーはほくそ笑み、片手を天へ振り上げた。

「周囲をしらみつぶしに探せ!お前たちが人間を炙り出し、私がそれを叩きつぶす!」

 その場に集う、総勢三十七体の怪物が大群となって舞い上がり、放射線状に弾け飛ぶように散開した。


「大丈夫...大丈夫...」

 息を潜めながらも、四つん這いなって気配を殺しながら伏せるフィアの唇から漏れ出る呼気は震えている。そして、その手が握り締めているのは、仰向けになった状態の鹿芝の左手。彼を農村から脱出できる目前まで引っ張り、茂みの中で隠れ潜んでいるが、おそらくいずれ気づかれるだろう。

 しかし、強引に突破することはできない。なぜなら農村の出口は、怪物の群れによって塞がれている。脱出経路を、封じられている。

「——しらみつぶしに探せ!」

「——抵抗するのなら殺しても構わない!」

「——集中力を切らさず索敵しろ!」

 茂みの向こうに浮かぶ青空を飛び交う怪物の巨躯。彼らの交錯する奇声と怒号が威圧感となって全身に響き渡り、頭をふらつかせる。

「大丈夫...大丈夫...」

 それでも、息を殺し、緊迫感が肌をなぞるのをただ感じながら、待つ。感情を意識せず、ただ単純に動悸どうきを落ち着かせることにのみ集中する。

「大丈夫...大丈夫...大丈夫...」

 だが、不意に凪いでいた脈動が破裂したかのように加速し出す。それが、瞬時に身体中から湧き上がった生存本能であることなど、知る由もなく。

「だいじょう...ぶ...」

 息を呑む音と共に、上空を突っ切って飛ぶ怪物のうち一体と、目が合っていた。それから秒を刻む間もなく、怪物はフィアの胸元を槍で貫くかのごとく滑空し、重い音を地盤深く鳴らしながら眼前へと着地する。

 指が潰れそうになるほど拳を握り、ただ瞳に浮かぶ透明色の涙が目元を熱していくだけだった。

「テルボー隊長!人間です!ここにいま—―」

 北東の方角を向いて合図を出し終えるや否や、目の前の怪物は窒息した。喉元を短剣に貫かれたかと思えば、残像をなびきながら鎖が引き抜かれる。刺突を喰らった赤黒い血肉の空洞から飛沫が噴いて、崩れ落ちた肢体から鮮紅色の水溜まりとなって広がり出す。

『さあ、もう一度だ』

 鹿芝の脳の奥から湧き上がる、ノイズの音色。それと共に身体中を駆け巡る、身を包むように暖かな、無尽蔵むじんぞうに膨れて溢れ出す殺意。

「あれ...マサカネ!?どこに...」

 そのとき、フィアの足元に鹿芝の姿は無かった。即座に鎖の伸びた方向を視線で辿って、翼を背負いながら周囲の木々や建造物より遥か高く、上空に浮かぶその姿が目に留まった。


百岐大蛇ヒャクマタノオロチ


「な、なんだ!?」

 上空から度重なって金属質な摩擦音が響く。南西の空から一斉に頭を出した数百に及ぶ本数の鎖の群れが、空色の天井を這う。怪物たちの見上げた視界を無機質な鉄色で幾重いくえにも千切ちぎり裂いて、降り注ぐ。

 羽ばたいていた怪物の群れは咄嗟とっさの襲撃に言葉を失い、思わず宙で静止していた。心臓を貫通する冷ややかな刃の感覚に、気付く間も無く。

「退避だ!退避しろ!鎖を喰らう寸前で上空に退避だ!」

 地上付近の高度で飛び交って索敵していた怪物ら七体の正面、小道を横切った先から十数もの鎖が顔を出す。

 瞼を閉じ、開く。その僅かな間に、陽光を照り返す鋼色の刃先が手を伸ばせば届くほどの距離まで、接近していた。反応に遅れた六体の喉元が呻き、捻り出しの蛇口みたく血塊のあられを振り撒いた。

 辛うじて上空へと飛び去り、安堵していた残りの一体は、目を見開いた。地上寸前を埋め尽くしながら疾走する鉄色の群体から枝分かれた一筋が、軌道を直角に歪めてこちら目掛めがけて直進していた。腹部を貫かれていたことを自覚したのは、意識が暗転した直後のことだった。

「ああ、なんだろう。これ」

 打ち上げ花火に彩られた夜空みたく、宙で弾ける血の色と笛を吹いたかのような甲高い断末魔。それらの織り成す狂乱に全身を喰らい尽くされていく、快楽。

「もっと。もっと欲しい」

 鹿芝はその瞬間に生物から死体に変化した標的から、次の獲物へと視点を移した。

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