乾いた音。強い光。

 しばし明転し、復帰した視界の中で、二人の人間が呆然と立ち尽くしていた。

 俺は……意識がある。

 身体も、多分、動かせる。

 他の二人はどうだ?

 横目でちらりと様子を窺うが、それだけではわからない。動く様子はないが……それは俺も同じことだ。見張りが眼前に居る以上、妙なことはできないだろう。

 フードの奥、靄の中で浮かぶ瞳は、俺達を静かに見つめている。

 鼓動が早くなる。息が上がりそうになるのを、必死に堪える。妙なことをして、気取られるわけにはいかない。洗脳されたフリを続けるのだ。

 どれだけそうしていただろうか。

 パーカーの袖から、裾から、襟首から、靄が漏れ出していく。やがてその姿を空気に溶かした見張りは、ファサリ落ちた着衣を残して消え去った。


 次の問題は、この二人だ。


 彼らは、正気を保っているのだろうか。

 洗脳を逃れたのが、俺だけだとしたら? 下手な動きをした途端、二人が俺を拘束したら?

 最悪の想像を巡らせながら、俺は二人の様子を窺う。

 横目で見るだけでは、なにもわからない。指先を動かしていないか? 視線を巡らせていないか? なにか安全にこちらの正気をアピールできる手段はないか?

 考える。必死に、考える。

 なにか、良案はないか。

 考える。まるで、意識が地平の果へと吸い込まれていくように。

 ……思考を巡らせた果て、俺を現実に呼び戻したのは、気の抜けた声だった。

「あ~、死ぬかと思った……」

 そう言った幼馴染は、大きなため息をついてから全身の関節をボキボキと鳴らし始める。一気に弛緩した空気の中、俺と先生も大きく息を吐いた。

「どうやら助かったらしいな。私は……これのおかげかな」

 そう言って彼女は、柊の髪飾りを触ってみせる。銀粉を樹脂で固めた、赤と緑の髪飾り。あれは、俺がかつて彼女に贈ったものだ。

「そんな大層なものじゃあないと思いますけど」

「どうだろうな。まあ、信じる者は救われるという奴だ」

 満足気に頷いてから、彼女は続ける。

「しかし、君達はどうだ。なにか呪物でも持ち込んでいたのか?」

「俺は……があるので」

「そうか。で、彼は――」

「あいつはバカだからそういうの効かないんじゃないですかね」

 昔からそうなのだ。あの傍迷惑な幼馴染は、霊障体質でよく悪霊の類を呼び寄せるわりに、憑かれたり祟られたりはしない。幼い頃から怪異が身近にありすぎて、耐性ができたのだろうか。あるいは、本当に頭が悪いからかもしれないが。

「あー? 誰がバカだよ。オタクくんだって妖怪バカじゃん」

 憤る幼馴染に、俺は言い返す。

「妖怪だけじゃない。幽霊もそうだが、宇宙人にUMA、都市伝説に悪魔崇拝、民俗学にローカル神話。怪しいもの全般だ」

「わけわかんねえけど……」

「それぐらいにしておけ。今はここを出るのが優先だ」

 見張りのいなくなった門へ、忍び足で向かう。

 しかし……先程まで開かれていたはずの門は、いつの間にやら固く閉ざされていた。乗り越えようにも、生身で飛び越えられるような高さではない。

「登れねえかな」

 迂闊にもそう言った幼馴染が壁の隙間に手をかけるのを、俺はギリギリのところで阻止できた。

「やめとけ。よく見ろ」

「え? ……うわっ」

 一見すると黒い壁だが、それは塗装ではなく無数の蟻だ。

 小さな小さな群体が、壁一面にびっしりと這い回っている。こんなもの、迂闊に触れたらどうなるか……。

 隣では先生がライターを取り出し、目を細めて口元に手を当てる。

「燃やすか? ……いや……う~ん……。まあ……やめておくか」

「そうですね。地球の蟻じゃないかもしれないですし」

「怖いこと言うなよ。いや、まあ……ありえるが」

 俺と先生は、とある可能性に辿り着いていた。

 ただ一人置いてけぼりなチャラ男だけが、バカっぽく首を傾げる。

「どういうこと?」

 哀れな幼馴染に、俺は教えてやった。

「これ幽霊とか妖怪とか、そういう日本的なアレじゃない気がしてきたんだよ」

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