第55話 事務所

 俺は舐めていた。

 女性の体がこれほど柔らかく、熱いものだとは知らなかった。


 俺は甘かった。

 娼館のナンバーワンのテクニックが、これほどの悦楽をもたらすものとは思ってもいなかった。


 娼館『黒鳥』のナンバーワン、ファニタとの交情は、それほど衝撃的かつ享楽的であり……ぶっちゃけ、すんげぇ気持ち良かった。

 はぁ……リュシーと付き合うのは再考しようかなぁ……。


 だって、挟まれたり包まれたり……おっと、育てれば良いんだったか。

 とは言え、いつまでも余韻に浸っている場合ではない。


 これでも掃除の依頼に来ているんだから、キッチリ仕事は終わらせないと……うぉぉ、腰が……。


「なぁに? まさか仕事する気なの?」

「あぁ、そのまさかだよ」

「真面目だねぇ……また来ますって帰っちまえばいいのに」


 本音を言えば、また来ますどころか、生まれたままの姿で隣に横たわっているファニタに、もう一度と覆い被さりたいぐらいだ。


「まぁ、そうもいかないんだよ。てか、次があるかどうかも分からないしな」

「そんなに話が拗れてんの?」

「俺は余所者だからな」

「あぁ、純血主義ってやつ? くだらないねぇ」

「言っちゃって大丈夫なの?」

「別に構わないさ、うちの嬢はみんな言ってるよ。というか、あたしの肌の色を見てみなよ、外の血が入ってるのは明らかだろう。それを純血だなんて、馬鹿馬鹿しいの一言さ」


 確かにファニタの褐色の肌は、フェーブル以外にルーツを持つ何よりの証だ。


「そもそも、フェーブルは交易によって栄えてきた街なんだよ。外から人が来なければ、こんなに栄えていやしないのに、外から来た人間を差別するなんて間違ってるだろう」

「確かに、その通りだな。プーロの連中以外は、むしろ外から来る人に親切だもんな」

「だろう? 外から来る腕のたつ男は大歓迎さ……んっ」


 ファニタは俺の頭を両腕で抱え込み、唇を重ねて柔らかな肢体を押し付けてくる。

 もう精魂尽き果てたと思っていたのに、反応してしまうのは男のサガというものだろう。


 ファニタと更に一戦交えてから、急いで仕事に取り掛かる。

 まぁ、当初の予定ではナンバーツーにもお相手してもらおうなんて考えていたから、時間的には間に合うはずだ。


 というか、普段はクソ丁寧にやっている仕事を並みレベルにすれば、時間なんていくらでも短縮できるし、それでも普通の人間が掃除するのとは別次元のクオリティは保てる。

 嬢が接客する部屋、廊下や天井、壁、客が品定めするラウンジ、厨房、従業員用のスペースまで全ての掃除を終えても、営業開始の時間までには余裕があった。


 さて、最後の大掃除に取り掛かるとするかね。

 ノックもせずに事務所のドアを開けると、プーロの幹部連中が顔を揃えていた。


 いつもの人相が悪いヒョロい男なんかは、集まっている幹部連中から見れば下っ端だ。

 そのヒョロい男が、ノックもせずに入って来た俺を見て、苛立った様子で近付いて来た。


「掃除は終わったぜ、サインくれよ!」

「ずいぶんと舐めた真似しやがって……もう手前には、サインなんざ必要ねぇんだよ」

「そんな事はねぇだろう、サインの入った依頼書を持たせておけば、ここを自分で歩いて出て行った証明なるぜ」

「ほぅ、始末される覚悟が出来てるから、ファニタと遊んでいやがったのか」

「始末される? 俺が? なんでだ?」

「すっとぼけてんじゃねぇ! 手前が官憲のダービッドと繋がってんのは分かってんだよ!」


 ヒョロい男が声を荒げて、精一杯凄んで見せるが、正直全く怖くない。

 召喚された直後は、俺も戦闘訓練に駆り出された事があって、騎士団の化け物じゃないかと思うような連中の相手をさせられた。


 素の体格でもプロレスラーが裸足で逃げ出して行きそうな奴が、魔力で身体強化してぶつかって来るのに比べたら、チワワがヒャンヒャン咆えてるようなもんだ。


「俺は正当な依頼ならば、どこの依頼も差別せずに受けている。プーロも、サングリーも、コンべニオも、憲兵隊も差別しない。ダービッドから依頼を受けて何が悪いってんだ?」

「掃除の依頼だけなら文句は言わねぇが、手前がダービッドから掃除以外の依頼を受けてるのは分かってんだよ」

「はぁ? なんの妄想だよ」

「とぼけんな! 俺らの仲間はギルドの中にもいるんだ。手前が掃除以外の依頼を受けて金を受け取ってるのは分かってんだよ!」


 ヒョロい男の話が本当だとしたら、ギルドの中に裏切者がいることになる。

 あのババア、人を扱き使うくせに、手前の飼い犬の管理すら出来ねぇのかよ。


「俺は物質の認定が出来るからな。掃除以外にも毒殺現場での毒物検出とかもやらされた。報酬はその時のものだろう。てか、憲兵隊への協力は市民の義務だから、そもそも断れるものじゃねぇし、あんたらが何もしていないなら、目くじら立てる事でもねぇんじゃねぇの? ほら、サインくれよ」

「ちっ、くそガキが……」


 ヒョロい男は、俺から依頼票を引っ手繰ると、荒々しい手つきでサインをして突き返してきた。

 さっきから気になっているのだが、三人いる幹部連中は、俺とヒョロい男のやり取りを眺めているだけで一言も喋らない。


 イキって怒鳴り散らしてくる連中は分かりやすいが、こうした連中は何を考えているのか分からず不気味だ。

 ただ、レリシアを凌辱し、リュシーまで攫った一件が、ヒョロい男の独断とも思えない。


「サインを貰えば用はねぇ、帰らせてもらうぜ。またの依頼をよろしく……」

「待ちな、掃除屋」


 ヒョロい男から依頼票を受け取り、帰ろうとすると幹部の一人が俺を呼び止めた。

 さて、どんな残業になるのかねぇ。

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