第54話 黒鳥

 プーロが経営する娼館『黒鳥』は、街の西側にある歓楽街の南にある。

 歓楽街を見下ろす高台にあるサングリーの娼館『エリーゼの溜息』が高級娼館だとすると、『黒鳥』は一般的な労働者でも出入り出来る価格らしい。


 倉庫街からも近く、給料を手にした労働者が溜まった欲望を吐き出しに行く場所になっているようだ。

 建物も『エリーゼの溜息』のように外観からして金が掛かっている感じではなく、一見すると普通の宿屋のような作りだ。


 掃除する面積が広いので、どこの娼館も依頼は一日仕事になるから、朝一番に出向く。

 娼館で一夜を過ごして帰る客もいるので、この時間でも『黒鳥』の表玄関は開いているが、俺が出入りするのは裏口だ。


 表玄関の前を通り過ぎ、裏口へと続く路地に足を踏み入れると、例のヒョロい男が待ち構えていた。


「逃げずに来るとは感心だな、掃除屋」

「逃げる理由が無いからな」


 わざと太々しく答えると、ヒョロい男は苛立ったように口許を歪めてみせた。


「ふん、まぁいい、さっさと仕事しろ」

「言われなくとも仕事はキッチリこなすから心配すんな」

「手前、あんまり調子に乗るんじゃねぇぞ」

「はぁ? 調子に乗るなだと、俺から金を奪った手前の舎弟はどうしたんだよ。金持って詫びに来させるんじゃなかったのか?」

「その件は、手前の仕事が終わった後に片を付けてやるから待ってろ」

「ほぅ、そいつは楽しみだ」


 片を付けると言っても、そもそも三人の舎弟は、俺が跡形も無く消し去ったから見つかるはずがない。

 おそらく謝罪では無く、何らかの因縁をつけるつもりなのだろうが、その前に掃除だけはやらせようというセコい魂胆なのだろう。


 裏口から娼館の内部に足を踏み入れると、レリシアを凌辱していた五人の中で、まだ消していない二人が待ち構えていて、俺を睨み付けてきた。


「なんだ、お出迎えか?」

「このガキ、舐めた口利いてんじゃねぇぞ」


 俺に掴み掛かろうとした男は、グラリと体を傾けると、廊下に転がった。

 もう一人の男も、よろめいて壁に寄り掛かり、ズルズルと座り込んだ。


 三半規管に清浄魔法を強めに掛けてやったから、ニ、三日眩暈に悩まされるだろう。


「手前、何しやがった!」


 舎弟の様子がおかしいと思ったのか、ヒョロい男が声を荒げたが、すっとぼけておく。


「はぁ? 俺が何かしたか? こいつらが勝手に転がっただけだろう」


 俺がワンドを抜き放つと、ヒョロい男は飛び退って身構えた。


「クリーニング!」


 サッとワンドを振ると、娼館の裏口が光の粒子に包まれた。

 天井や壁、床の汚れと一緒にヒョロい男と舎弟二人の記憶も消去される。


 頃合いを見計らって清浄魔法を解除して、倒れ込んだ男に声を掛ける。


「おい、どうした、大丈夫か?」

「えっ……手前は掃除屋! いつの間に入って来やがった!」

「いつの間にも何も、裏口を入ったら、あんたらが倒れてたんだぞ」

「えっ……そうなのか?」

「念のために、この辺りは浄化したけど……大丈夫か?」

「い、いや……眩暈が……」

「働きすぎじゃねぇのか?」


 俺以外の三人は記憶が飛んでいるからか、キツネに抓まれたような顔をしている。


「掃除屋、お前、何かやったか?」

「この辺りの浄化はしたぞ、ヤバい薬とか盛られてたら困るからな」

「そうか……手前ら、いつまで寝てやがる気だ、さっさと起きろ」


 ヒョロい男が舎弟を蹴飛ばしたが、二人とも目が回った状態で自力では立ち上がれなかった。


「命に別状は無さそうだし、掃除始めさせてもらうぞ」

「掃除屋、本当に何もやってないんだな?」

「逆に聞くけど、俺は何をしたって思われてんだ?」

「何もやっていないなら構わねぇ。掃除を始めろ」

「はいよ……」


 ヒョロい男は、俺に疑わし気な視線を向けて来たが、舎弟の様子と清浄魔法の因果関係には気付いていないようだ。

 清浄魔法を掛けながら廊下を歩き、階段で三階を目指す。


 娼館の掃除は、一番序列が高い嬢の部屋から始める。

『エリーゼの溜息』に比べれば手頃な値段とは言っても、ナンバーワンの嬢に相手をしてもらうには相応の金額が必要になる。


『黒鳥』のナンバーワン、ファニタは、黒髪にダークブラウンの勝気そうな瞳、褐色の肌、巨乳巨尻の嬢だ。

 姐御肌のファニタを屈服させて喜ぶ客と、屈服させられて喜ぶ客の両方から指名が掛かるそうだ。


 娼館の部屋は、どこも似たような造りで、格上の嬢になるほど広い部屋が与えられる。

 ファニタの部屋は、南国のリゾートといった雰囲気で、暖炉がちょっと不似合いだが、これからの季節にフェーブルで暖房が無かったら凍えることになる。


 天蓋付きの大きなベッドで寝息を立てているファニタを起こさないように、風呂場、ソファー、テーブル、天井、壁、床を掃除していく。

 最後にベッドを掃除するのだが、何も身に着けず、何も掛けずに眠っているファニタの姿は目の毒だ。


 形の良い大きな乳房は、仰向けに眠っているのに形が崩れていない。

 静かな寝息と共に上下する柔らかそうな双丘を揉みしだきたい欲求を抑えるのは本当に大変だ。


 昨夜のドナートさんとの謎の乳談議を思い出してしまうと尚更だ。


「クリーニング……」


 ベッドと共にファニタの肢体が光の粒子に包まれると、長い睫毛がピクピクっと動くのが見えた。


「やぁ、マサじゃないか、久しぶりだね」

「起こしてしまって、すみません」

「いや、最近はお客も少なくて暇だから大丈夫だよ」


 裏組織同士の抗争が、娼館の営業にも影を落としているのだろう。

 そういえば、風呂場は使った跡があったが、男女が行為に及んだ形跡は残っていなかった。


「遊んでいくかい? マサならお金は取らないよ」

「それじゃあ、お願いしようかな」

「えっ……?」


 いつものように、俺をからかうつもりだったのだろうが、今日の俺はいつもとは違う気分だ。


「本気?」

「本気だよ。今日は仕事が終わった後でゴタゴタしそうだしね」

「あぁ、なるほど……って、まさか死ぬ気じゃないよね?」

「まさか……それとも殺す気?」

「ふふっ、天国には連れていってあげるよ」


 ベッドから起き上ったファニタは、流れるような仕草で俺に抱き付いて、唇を重ねてきた。

 その動きは、まるで褐色の蛇に絡みつかれるようだった。

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