第21話 更なる犠牲
娼館『エリーゼの溜息』の掃除を終えて街の中心部へと戻ってきたら、憲兵隊の馬車が目の前を通り過ぎてから急停車した。
ヤバいと思った時には既に手遅れで、馬車の扉が開いてダービッドさんが顔を出した。
「マサ、乗れ! さっさとしろ!」
「はぁ……」
どこへ行くのか知らないが、目を付けられてしまったら逃亡は不可能だ。
諦めて馬車に乗ると、ダービッドさんがぐっと身を乗り出してきた。
「娼館に行ったのか?」
「はい、特別に怪しい所は無かったですよ」
「お前、毒物の反応が分かるんだよな?」
「微量だと分かりませんが、それなりの量があれば……」
「娼館はどうだった?」
「俺が認識できたのは、ミュリエルさんの部屋のベッドの上と、ゴルドさんが死んでたという物置だけでした」
「事務所は?」
「戸棚の中とかまで家探しした訳じゃないですけど、俺には感じられませんでした」
「そうか……じゃあ、これから行く場所でも同じことをやってくれ」
「どこに向かってるんですか?」
「ミュリエルの客だった男の家だ」
「もしかして、しつこい客って呼ばれてた人ですか?」
「そうだが、その話はどこで聞いた?」
「留置場でアドルフォさんから……ミュリエルさんから聞いたって……」
「そうか……」
ダービッドさんは姿勢を戻すと、しつこい客と呼ばれた男について話し始めた。
「カシュパル、三十二歳、独身、靴職人としての腕は悪くなかったらしいが、この半年ぐらいは娼館に入り浸っていたらしい」
「その人も毒殺されたんですか?」
「いいや、服毒自殺のようだ……おぅ、着いたみたいだな」
馬車が止まったのは、街の中心から南に下った辺りだった。
街道からは西の方角へ少し入った所に、こじんまりとした家が建っていて、ここがカシュパルさんの工房兼自宅らしい。
先に下りたダービッドさんが家の前に立っていた憲兵に声を掛け、俺を振り返って手招きした。
「マサ、一緒に来い。どこに毒物があるか調べろ」
「はぁ……俺は憲兵隊の職員じゃないんですからね」
「グダグダ言ってねぇで、さっさとやれ、後でちゃんと報酬は振り込んでやる」
「はぁ、頼みますよ」
カシュパルさんの家は道に面した部分が工房で、奥が住まいになっていた。
認識のスキルを使って工房を確認すると、あちこちから毒物の反応があった。
「そこ……ネズミ捕りの罠か?」
「みたいだな、他にもあるか?」
「あとは、その棚の向こうと、奥の上に二ヶ所、そっちの隅にも……」
「おい、ちょっと調べろ」
ダービッドさんは、部下に確認するように命じた。
どうやら工房で感じた毒物は、全部ネズミ捕り用のものばかりだった。
そして棚の奥にネズミ捕り用の毒物らしい瓶が置いてあった。
「よし、次は奥だ。慎重にやってくれ」
「分かりました」
工房の隣りがキッチンで、そこにも四ヶ所ネズミ捕り用の罠が仕掛けてあった。
キッチンの奥が風呂場とトイレで、毒物の反応は無し。
風呂場からキッチンに戻り、左手側が寝室だ。
寝室に入って右手に箪笥があって、その奥に壁に向かって机が置かれている。
机の上にも毒物の反応がある茶色い瓶と紙が一枚置かれていて、全ての罪を認めますと走り書きがされていた。
全ての罪とは、ミュリエルさんとゴルドさんの毒殺のことだろうか。
奥の壁際にベッドが置かれていて、男性が横たわっている。
この男性がカシュパルさんなのだろう、毒の影響で顔は青黒く変色していた。
「どうだ、マサ」
「机の上の瓶と遺体の口許に強い反応がありますね、他は感じられません」
「ちっ、やはり服毒自殺か……」
カシュパルさんの遺体に掛けられた薄い夏掛けをダービッドさんが剥ぐと、両手は胸の上で組まれていたが、顔は苦悶の表情を浮かべている。
「安らかに……とは行かなかったみてえだな」
「たしか、息が出来なくなって死ぬんでしたよね?」
「そうだ、一定量を口にすると息が出来なくなって、まるで水に溺れているように死ぬんだが……妙だな」
「姿勢が整い過ぎじゃないですか? この表情に比べて」
死ぬ間際に泡でも吹いたのか、歪んだ口許が汚れている。
首から上は苦しみ悶えて死んだように見えるのに、首から下は妙に姿勢が整っていてチグハグな感じだ。
「ダービッドさん、机の上の瓶、蓋が閉まってますけど、周りにはベッタリ毒物が付着してます。でも、カシュパルさんの手には毒物はついてませんよ」
「何っ、本当か?」
「えぇ、心配ならば、鑑定の出来る人に見てもらって下さい」
「いいや、その必要はねぇ」
カシュパルさんが自殺したとすると、瓶から毒物を飲み、手を洗いに行って、両手を胸の上で組み、どんなに苦しくても姿勢を崩さずに死んだことになる。
常識的に考えれば、あり得ない話だ。
それに、毒物と思われる瓶が二本あるのも不自然だ。
毒を盛られたカシュパルさんが苦しみ悶えて死んだ後、犯人が自殺であるかのように偽装したと考える方が自然だろう。
「誰かが、こいつに娼館での毒殺事件の罪を着せようとしたんだろう。随分とお粗末な偽装だがな……」
「偽装した本人は、上手くやったぐらいに思ってるんじゃないですか?」
「かもしれねぇな。マサがいなけりゃ犯人の思惑通りの判断を下していたかもしれねぇ」
いや、ダービッドさんは遺体の不自然さに気付いていたようだし、俺がいなかったとしても、犯人の目論見が上手くいったとは思えない。
「この後は、どうするんですか?」
「そうだな……考えはあるが言わないでおこう、聞かせたら面倒事に巻き込むかもしれねぇからな」
もう十分に巻き込まれていると思うが、更に……という意味だろうから、あえて聞くような真似はしないでおこう。
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