第20話 やりかけの仕事
「えっ、また娼館に行くんですか? 他の依頼も溜まってるんですよ」
笑顔の天使リュシーちゃんが戻ってきたと思ったが、娼館『エリーゼの溜息』の仕事を終わらせに行くと切り出したら、スンって感じで表情が抜け落ちた。
俺としても好きで行く訳ではなく、憲兵隊のダービッドさんから不審物を置いていないか掃除のついでに見てこいと言われているのだ。
「そんなにマサさんは、娼館に行きたいんですか?」
「はぁ……そんな訳ないだろう。別に行きたくて行く訳じゃないよ」
「では、どうして……」
「もう、あちこちで噂になっていると思うけど、働いていた女性が不審死を遂げているし、別の従業員も亡くなっている。この状況では営業を再開したって、客足は遠のいたままになる。それでは、働いている人達は生活していけなくなるんだよ」
「だからと言って、マサさんが行かなくても……」
俺が娼館の掃除をすることを、頑なに反対するリュシーちゃんに、ちょっとイラっとしてしまった。
「俺はフェーブルで掃除屋として実績を積んで、指名で依頼を貰えるようになった。それは、俺が掃除屋として認められている証だ。その俺が、キッチリ掃除を終えたなら、少しは娼館の評判の回復に役立てるはずだ。俺は一度引き受けた仕事は最後までやり遂げたいし、俺の掃除で依頼してくれた人達を笑顔にしたいと思っている。それはギルドだって同じじゃないの?」
「す、すみません……」
ヤベぇ、リュシーちゃんがシュンっとして涙目になっちゃってるよ。
いや、そんなに強く言うつもりじゃなかったんだよ。
「と、とにかく、この一件を綺麗に片付けてきちゃうからさ」
「分かりました……」
「じゃ、じゃあ……」
「いってらっしゃいませ」
うわぁ、何か俺がリュシーちゃんを苛めてるみたいじゃん。
てか、チラっとデリアさんに視線を向けたら、さっさと行けとばかりに追い払われてしまった。
なんか、受付嬢からの評判がダダ下がりしている気がする。
重たい足を引きずるようにして、娼館『エリーゼの溜息』に向かった。
いつものように裏門へと回って声を掛けると、見知らぬ門番が顔を出した。
剃り上げた頭にまで墨を入れ、太い二の腕は俺の太腿ぐらいありそうだ。
年齢は三十手前ぐらいだろうか、腹が出ていて樽みたいな体形をしている。
眉間に皺を寄せて口を歪め、いかにも不機嫌そうな表情を作っていた。
「なんだ、手前は?」
「どうも初めまして、自分は何度か娼館の掃除を依頼されている者で、先日例の騒ぎで途中になってしまった掃除をさせてもらおと思いまして……オルテガさんに取り次いでいただけますか?」
「手前、支配人を知ってんのか?」
「はい、良くしてもらっています」
「ふん……ちょっと待ってろ」
不機嫌そうに言い捨てると肩を揺さぶるようにして歩き、新しい門番は娼館の中へと入って行った。
前任者のゴルドさんは、もっとゴツくて、もっとヤバそうな雰囲気を漂わせていたが、初対面の時から笑顔で丁寧に応対してくれた。
いや、笑顔で丁寧だったからこそ、ヤバさが際立っていたのかもしれない。
そういう意味では、新任の門番はチンピラっぽく見えてしまう。
娼館から出て来た新任の門番は、さっきとは打って変わって満面の笑みを浮かべていて、揉み手でも始めそうな雰囲気だった。
「すいません、お待たせしちまって……ささ、事務所で支配人がおまちです、どうぞどうぞ……」
「お手数掛けて、すみません。俺、掃除屋のマサと言います、どうぞお見知りおきを」
「あっ、お、俺はシリノっす、よろしく」
たぶん、オルテガさんにドヤされて、慌てて戻ってきたのだと思う。
ここで調子こいて、ご苦労……なんてふんぞり返ると恨みを買ったりするので、あくまでも腰を低くして事務所へと向かった。
「支配人、掃除屋を案内いたしやした」
「入ってもらえ」
「へい、どうぞ……」
ドアを開けてくれたシリノさんに会釈してから事務所に足を踏み入れる。
「失礼します」
「おぉ、マサ、この間はすまなかったな」
「いいえ、気にしないで下さい。それよりも、ゴルドさんが亡くなられていたと憲兵隊で聞いたんですが……」
「あぁ、物置部屋で毒殺されていた」
「ちょっと信じられないんですが……」
「そうだな、ゴルド程の男が毒殺されるなんて、俺にも考えられん」
「一体、誰が?」
「分からん……」
オルテガさんは目を閉じて首を横に振ってみせた。
当然、その筋の人を使って娼館の内外の人を調べているのだろうが、まだ目星はついていないようだ。
「あの、憲兵隊からは掃除の許可は下りていますか?」
「ああ、捜索は終わったから掃除しても構わないと言われている」
「では、物置部屋も含めてガッチリ掃除しますね」
「構わないのか?」
「構わないも何も、その為に来たのですからね」
「すまねぇな、営業を再開するに当たって、マサに掃除を頼もうと思ってたんだ。恩に着るぜ」
オルテガさんは、両手を膝に置いて深く頭を下げてみせた。
「ちょ、頭を上げて下さい、俺はやり残した仕事を片付けに来ただけですよ」
「マサ、お前はいい男だな。何か困ったことがあったら、いつでも言え。なんなら気に入らない野郎を……」
「おっと、冗談はそこまでにしておきましょう」
「そうだな」
「では、そろそろ仕事を始めさせてもらいます」
「あぁ、アイリーヌの部屋はやらなくてもいいぞ。まだ、あれから営業してねぇからな」
「了解です」
憲兵隊が娼館中を調べてまわったそうなので、また表の玄関ホールから四階まで階段を掃除しながら上がった。
ミュリエルさんの部屋は、憲兵隊が調べた後は誰も手を触れていないようで、部屋には異臭がこもっている。
認識スキルを発動し、部屋の内部を確認してから清浄魔法で室内の空気を浄化した。
その後は、認識スキルで確認しながら、場所ごとに分けて清浄魔法を発動させる。
毒物の痕跡を見落とさないように、認識スキルをフル稼働させて不審物が無いかチェックを続けた。
かなり入念にチェックしたのだが、毒物の反応は出てこなかった。
応接テーブルに残されていた使用済みの食器からも毒物は感じられなかった。
「どういうことだ? 毒物らしき反応はベッドの周りというか、上にしか無いって……寝込みを襲われて、無理やり飲まされたのか?」
ミュリエルさんの部屋の掃除を終えた後、表側から他の嬢の部屋も掃除して回り、その後は裏側も全部掃除したのだが、毒物の反応が出たのは物置だけだった。
この結果からは毒物を使った者は、現場以外では毒物を使っていないようだ。
「でも、それじゃあゴルドさんは、どうやって物置まで連れて来られたんだ? こんな場所で、どうやって毒物を飲まされたんだ? 訳わかんねぇよ」
建物と塀の間も認識スキルをフル活用して確認し、浄化を行った。
結局この日は、ダービッドさんが望むような発見は出来なかった。
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