第19話 治療への応用
リュシーちゃんのお怒りを買ってしまった翌日、機嫌が直っていることを祈りつつギルドに向かった。
昨夜は、雉鳩亭でも諸々の説明に追われて大変だった。
特に俺の話を楽しみにしていたペタンとミルネは、前の晩は遅くまで起きて待っていたそうで、昨夜は三本立ての語りをする羽目になってしまった。
まったく、どこのどいつがミュリエルさんを殺したのか知らないが、本当に迷惑している。
朝一番のギルドは、仕事を求める構成員でごった返すので、少し時間を遅らせて行くようにしている。
俺の場合は、殆ど個人的に出される依頼ばかりなので、他の人と依頼を奪い合う必要がないからだ。
ゆっくりと朝食を済ませて、のんびりギルドに出向く、重役出勤ってやつだ。
計算通り、カウンター前の混雑は解消していて、あとはリュシーちゃんの機嫌が直っていれば完璧……と思っていたら、そのリュシーちゃんが大柄な構成員と何やら揉めている。
義を見てせざるは勇無きなり、いざ助太刀に参らん。
「ですから、その状態では依頼の受注を認める訳にはいきません!」
「うるせぇ! 出来るといったら出来るんだ、認めろ!」
「でしたら、その右腕を見せて下さい。フォルカーさんは右利きですよね? 利き腕が使えなくて討伐なんか出来るんですか?」
フォルカーと呼ばれた男は、百八十センチぐらいありそうな大男で、左の腰には長剣を吊っている。
年齢は俺と同じぐらいだろうか、包帯でグルグル巻きになった右腕を背中に隠し、蒼ざめた顔には汗が滲んでいた。
少し離れていても嫌な臭いがするし、明らかに体調が悪そうだ。
何かで怪我をして、ロクな治療をしなかったせいで傷口が化膿しているようだ。
リュシーちゃんと押し問答を続けるフォルカーに後ろから声を掛ける。
「お前、そのままだと腕を切り落とすことになるぞ」
フォルカーはギョッとした表情で振り返った。
「なんだと……お前は掃除屋」
「俺は別の街では治癒院の掃除を担当していた。そこは森に近い街で、討伐で怪我をする奴が多くてな、お前みたいな奴を何人も見たよ」
「う、うるせぇ、手前には関係ねぇ!」
「治癒院にかかる金が無いから、適当にポーションぶっかけて包帯巻いただけなんだろうが……もう腕が腐りかけてるぞ」
実際、フォルカーの腕に巻かれた包帯には、ヤバい色の汁が滲んできている。
「て、適当なことぬかしてんじゃねぇぞ」
「このまま放置すれば、腕の肉が崩れて落ちるだけじゃねぇ、体中に毒素が回ってあの世行きだ。賭けてもいいぜ、腕が落ちるまでに一週間、命を落とすまでに二週間も掛からねぇよ」
淡々と冷めた口調で告げると、フォルカーは一層蒼ざめたまま黙り込んだ。
今更ながらに現状のヤバさを把握したのだろう。
「治療してやろうか?」
「で、できるのか?」
「まぁ、俺にできるのは掃除だけだから、治癒院の治療とは違う。腕の腐りかけた肉、膿、それに毒素を清浄魔法で取り除く。当然痛いし、また血が溢れてくる」
「ふざけんな、そんなの治療って言えねぇだろ」
「だが、毒素は取り除ける。お前の腕がそんな状態になったのは、最初の治療で傷口をちゃんと洗わずに毒素を放置したからだ。毒素を完全に取り除いた状態で、ポーションを使い、清潔な包帯で覆えば結果は違ってくる」
こちらの世界の医療は治癒魔法頼みで、まだ細菌とか感染といった知識は広まっていない。
だから分かりやすく毒素という言葉を使っているのだ。
「どうする? 早いところ決めてくれ、俺も暇じゃないんでね」
「どのぐらいで元通りになる?」
「さぁね、それはお前がどう行動するかによっても違ってくるから分からねぇよ。無理して動かせば長引くし、大人しく治療に専念すれば治りも早くなる。で、どうすんだ?」
「や、やってくれ……」
フォルカーにしてみれば、俺は溺れる者が掴む藁みたいなものだろう。
「よし、リュシーちゃん、血止めの布と包帯、それと中級ポーションをこいつのツケで出してくれ」
「はい!」
「手前、なに勝手に頼んでんだ、そんな金……」
「手前ぇも金玉ぶら下げてるなら、この程度の金額でグダグダ言ってんじゃねぇ!」
「ぐぅ……」
「マサさん、布と包帯、それに中級ポーションです」
「ありがとう、よし、裏の水場でやるから付いて来い」
ギルドの裏手には、討伐帰りの連中が埃や泥、血などを流す水場がある。
フォルカーをそこへ連れていき、右腕の包帯を解いた。
「うぐぁ……」
「うぇぇ、酷ぇな……なんで、こんなになるまで放置すっかな」
「しょうがねぇだろう。治癒院は延々待たされて、効果があるのか無いのか分からねぇ治療しかしてもらえねぇで、バカ高い治療費を取られるんだから……」
光属性の治癒魔法は、一般的な固有魔法と比べて割合が少ないので、どうしても治癒院での治療は高額になる。
そのため外傷などの場合は、ポーション頼みの素人治療になりがちなのだ。
フォルカーの腕には魔物か獣の爪跡らしき深い傷があり、グジュグジュに化膿していた。
細菌が体中に回って、感染症も引き起こしているのだろう。
「そんじゃあ、治療の手順を説明するぞ。まず、右の二の腕を固く縛って腕に流れる血を制限する。これは傷口の周りの腐った部分を清浄魔法で取り除くと、また血が溢れてくるからだ。ここまではいいか?」
「あぁ、続けてくれ」
「腕を縛って血の流れを止めたら、まず体に回った毒素を取り除く、体の状態が悪いと傷の治りが悪くなるからだ。体の毒素を取り除いたら、いよいよ傷口周りをクリーニングするが、また傷口が開くから凄ぇ痛いと思う」
「マジか……」
「傷口の清掃が終わったら、ポーションで血止めして、ポーションをしみ込ませた布を当て、包帯を巻いて終わりだ」
「分かった、始めてくれ」
自分の鞄から紐と木の棒を取り出して、フォルカーの腕を縛り、木の棒で紐を捩じって締め上げた。
「始めるぞ、クリーニング!」
フォルカーを包み込んだ光の粒子は、体内へと吸い込まれていく。
これは、こっちの世界に来てから風邪っぽい症状でぶっ倒れた時に編み出した清浄魔法だ。
体内で悪さをする細菌だけを除去していく。
「おぉ、凄ぇ、体が軽くなったぞ」
「まだだ、次は腕をやるから、歯を食いしばれ、クリーニング!」
「うぐぁぁぁ……」
フォルカーの腕の傷口に光の粒子が凝結し、膿や死んだ細胞に接触すると対消滅していく。
自分の切り傷が化膿しかけた時に使ってみたことがあるが、傷口をナイフでゾリゾリと削ぐような痛みが走る。
傷口が大きいからフォルカーの痛みは更に激しいのだろうが、ここで細菌を残したら意味が無いので、対消滅が途絶えるまで魔法を掛け続けた。
傷口の清掃が終わった所で、中級ポーションを振り掛ける。
中級ポーションには血止めの効果の他に、傷の治りを助ける働きもあるのだが……むちゃくちゃ染みる。
「があぁぁぁぁ!」
腕は動かさないようにしているが、フォルカーは歯を食いしばり、体を捩って痛みに耐えていた。
薄皮が張ったような状態になったところで、清浄魔法で除菌した布に中級ポーションを染み込ませて傷口に当て、包帯を巻けば治療は完了だ。
「ほらよ、終わったぞ」
「すまねぇ……信じられないぐらい楽になった」
「動かしたら傷が開くぞ、最低でも五日は大人しくしとけ」
「五日もか?」
「焦って傷が開けば、また最初からやり直しになるからな」
「分かった……いくらだ?」
「ん? 何が?」
「治療費だ、いくらだ?」
「そうだな……五千リーグでいいぜ」
「なっ……五千だと?」
「治癒院よりは安いだろう? ある時払いで催促無しだ、その程度稼いでみろ」
「くそっ、いつか叩き返してやるから覚えてろ……」
「おぅ、楽しみにしてるよ。それから、傷に触るから酒は飲むなよ」
「なんだと……」
「飲むな! いいな!」
「ちっ、飲まなきゃいいんだろ、飲まなきゃ……くそっ」
フォルカーは俺を睨み付けながら、ブチブチと文句を言いながら去っていった。
「あの……お疲れ様でした、マサさん」
おぉ、リュシーちゃんがキラッキラした目をして労ってくれてるぜ。
これは、かなりポイントアップした感じだ。
「治療まで出来るなんて、凄いですね」
「うーん……あれを治療と呼んで良いのかは微妙だけどな」
「そうなんですか?」
「あくまで、毒素や駄目になった組織を取り除いただけだからね。治癒魔法とは根本的に違うんだよね」
「でも、フォルカーさんは見違えるほど元気になってましたよ」
「まぁ、無駄に体力だけはありそうだったからな。それよりも、仕事の話をしたいんだけど……」
「は、はい、カウンターへどうぞ」
うん、うん、俺の天使ちゃんが復活しましたよ。
笑顔で振り返るリュシーちゃんを追い掛けて、カウンターへと戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます