第16話 アドルフォ

 向いの牢に入れられた身なりの良い男は、ルカレッリ商会の会長アドルフォだった。

 ルカレッリ商会は、近年業績を伸ばしている貿易商だと聞いている。


 アドルフォは三十代後半ぐらいで、少し太り気味だが整った顔立ちをしていた。

 なんと言うか、金持ちのモテるオッサンみたいな感じだ。


「君……マサ君だったよね? ちょっと話さないか?」

「なんですか? 俺は話すことなんて無いですよ」

「事件のことだ。本当にミュリエルは毒殺されていたのか?」

「さぁ? 俺は息をしていないのを確認して支配人のオルテガさんに知らせただけで、死因までは分からないですよ」

「そうか……」


 本当は憲兵隊のダービッドさんと一緒に遺体を確認して、確かに毒殺だと思ったが、絶対だと言い切るだけの根拠は無い。


「私は……ミュリエルを身受けしようと考えていた」

「はぁ? 奥さんはいないんですか?」

「いる。いるけど説得するつもりだった」


 王族や大貴族は、正室だけでなく第二夫人、第三夫人を持つことも珍しくない。

 平民でも金持ちの中には愛人を別宅に囲う者もいると聞く。


 貿易商として業績を上げ商会を大きくしたことで、自分も愛人を囲おうと思ったのだろうか。

 ルカレッリ商会の内情は知らないが、家庭内のゴタゴタで商売が傾くと従業員が迷惑するだろう。


 いや、別に愛人を囲える財力が羨ましいとかではないぞ。

 俺はリュシーちゃん一筋だからな。


「ラウンジにいる時は本当に憎たらしいくせに、ベッドの上では哀れな女なんだよ。私が傍についていてやらないと駄目なんだ」

「はぁ……」


 どうやら、このオッサンはミュリエルさんの手練手管に篭絡されていたようだ。

 ミュリエルさんについて語る顔は、見ているこっちの方が恥ずかしくなるほど締まりが無い。


 どうせベッドの上でミュリエルさんを組み敷いて、悦に入っていた時を思い出しているのだろう。


「マサ君、君は誰が犯人だと思うかね?」

「見当もつきませんよ。俺は娼館内部の人間関係とかよく知りませんから」

「事情聴取の時に聞いたが、ゴルドという門番がいなくなっていたそうだね。そいつがミュリエルを殺して行方を眩ませたんじゃないのか?」

「さぁ、俺には分かりませんね」


 そう答えたものの、ゴリラが服を着て歩いているようなゴルドさんが、毒殺なんて面倒な方法を使うとは思えなかった。

 それに、ゴルドさんは支配人のオルテガさんと同様に、長く裏社会に身を置いてきた人だろうから、娼館のナンバーツーを殺すようなことをするとは思えない。


 そもそも、ゴルドさんはどこへ行ってしまったのだろうか。

 あんなゴツいオッサンが、誰かに拉致されたとは考えにくい。


 だとすれば、何らかの手で誘い出されるか、自分で出ていったと考えるべきだろう。


「門番の男が犯人でないとしたら、誰がミュリエルを殺したというんだ」

「そんなの、ただの掃除屋の俺が分かる訳ないでしょ。というか、俺なんかよりもずっと長い時間をミュリエルさんと過ごしているんでしょ? 何か気付いたこととか無いんですか?」

「そう言えば……やたらとしつこい客がいるとか言ってたな」

「しつこい客?」

「もっと罵ってくれとか、踏んでくれとか、俺だけの女になってくれとか、俺と一緒に死んでくれとか、床に這いつくばって頼んでくるんだとか……」


 それは、あんたのことじゃないのか……と言い掛けて止めた。


「そいつ、どんな男なんですか?」

「さあな、他の男の話など興味無いから知らん。だが、あまりにも度が過ぎるので、金輪際ミュリエルに近付かないように一筆書かせたとか言ってたな。あるいは、それを逆恨みして……」

「そういえば、昨晩帰る時、ミュリエルさんの様子はどうだったんです?」

「ふふっ、疲れ果てて眠っていたよ。少し激しく責め立てたからな……」


 またアドルフォは、ゲスい笑みを浮かべて昨夜の様子を回想し始めた。

 高飛車な口を利くミュリエルさんをいかにして屈服させ、何度絶頂に追い立て、何度滾りを注ぎ込んだとか……恍惚として表情で語る様は少々異様だった。


 その情事の相手が死んだんですよ……と釘を刺してやろうかと思ったが、これ以上関わるのが面倒になったので、固い寝台に寝転んで眠った振りをした。

 その後も暫くアドルフォは独演会を続けていたようだが、俺が聞いていないと悟ったのか静かになった。


 誰がミュリエルさんを殺したのか。

 目を閉じて、眠りにつくまで考えてみたが答えは出ない。


 犯人を捜し出すための材料がまったく足りないからだ。

 ただ、一つだけ確実だと思うのは、内部の状況に精通している者の犯行なのは間違いないだろう。


 娼館『エリーゼの溜息』は、表側と裏側が仕切られ、隠し扉で出入りできる特殊な構造だ。

 犯行が行われたと思われる夜半過ぎから俺が発見するまでの時間、外部から侵入してミュリエルさんの部屋まで、誰とも顔を会わさずに辿り着くのは至難の業だ。


 少なくとも娼館の内部構造に精通していないと無理だろう。

 それと、やはりゴルドさんの失踪が気になる。


 門番であり、娼館の用心棒的な存在であるゴルドさんの失踪が、事件と無関係とは思えない。

 こんな時、推理小説やアニメの名探偵ならば、たちどころに事件を解決してみせるのだろうが、俺の灰色の脳みそは空回りするだけだった。

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