第15話 留置場

「それじゃあ、マサ、今夜は泊まっていけ」

「はぁぁ?」


 詰所の取り調べ室でコッテリと絞られて、ようやく帰れると思ったのに、ダービッドさんの口から出た言葉を聞いて自分の耳を疑った。


「泊まっていけって……」

「留置所に決まってるだろう……あぁ、夕飯ぐらいは食わせてやるから心配すんな」

「いやいや、そういう話じゃなくて……留置所?」

「あぁ、ワンドは取り上げないから、掃除したけりゃしても構わないぞ」


 ニヤっと笑ったダービッドさんに、軽く殺意を覚えてしまった。

 俺のヘマを突いて詰所まで連れて来たのは、ただで留置所を掃除させようという魂胆らしい。


「そりゃないよ……」

「はんっ、言っておくが、お前の嫌疑が完全に晴れた訳じゃねぇからな」

「いやいや、俺にはミュリエルさんを殺す理由なんて無いですよ」

「だろうな」

「だったら……」

「それでもだ。それでも、お前は余計なことを知ったと犯人から思われてるかもしれない、危害を加えられる可能性もゼロではない、大人しく泊まっていけ」

「はぁ……分かりました」


 丸め込まれている気がしないでもないが、反発したところで決定が覆るとも思えない。

 憲兵隊は、日本の警察よりも遥かに強い権力を持っている。


 誰かを逮捕するのだって、家宅捜索をするのだって、裁判所の令状なんて必要としない。

 さすがに捜査絡みで物を壊したとかは賠償するようだが、怪しいから逮捕した……ぐらいの事は日常茶飯事なのだ。


 ただし、こうした強権的な捜査は悪い事ばかりではない。

 なんだかんだと理由を付けて逮捕から逃れようとしても無駄だし、黙秘権を行使してだんまりなんてのも通用しない。


 それと、強引な捜査が当たり前だから、留置所に泊まることになった程度はよくある話なので悪い噂にもならない。

 良いんだか、悪いんだか、少々判断に困るが、この国ではこれが当り前なのだ。


「くっそ……臭ぇ」


 留置場は憲兵隊の詰所の地下にあり、お世辞にも衛生的な環境ではない。

 本物の犯罪者も放り込まれている場所だから、まともに風呂に入っていない奴らの臭いが染みついている。


 掃除の時に顔見知りになった看守のラサロさんが、ニヤニヤ笑いながら話し掛けてきた。


「マサ、諦めて掃除しちまえよ」

「嫌ですよ、こうなったら意地でも掃除しませんから」

「ははっ、いつまで持つかな」


 留置場は、階段を下りた左右に通路があり、片側に六部屋ずつの計十二の部屋に分かれている。

 通路との仕切りは鉄格子で、内部は丸見え状態だ。


 俺が入れられたのは、右の通路の左側の中央の牢だった。

 こちら側の六室には誰もいないようで気は楽だが、それまで使っていた奴らの臭いが染み付いている。


「くっそ……やっぱ無理だ、クリーニング」


 ただ働きさせられるのは癪だが、臭いに堪え切れず自分の牢には清浄魔法を掛けた。

 なにせ、穴を開けただけのトイレは、ろくに掃除もされていないのだ。


 牢の中は綺麗にはなったが、壁に据え付けられた硬い寝台がある他は、毛布が一枚置いてあるだけだ。

 パンとスープだけの質素な夕食を食べたら、やる事も無いので清浄魔法を掛けた毛布を枕にして硬い寝台でフテ寝することにした。


「あーあ……今日はリュシーちゃんに会えなかったよ。ペタンとミルネはグズっていないかね……」


 ブチブチと独り言で愚痴りながら、いつの間にか眠っていたようだ。

 どのくらい時間が経ったか分からないが、階段を下りて来る足音が聞こえてきた。


「だから、私はやっていない!」

「犯罪者だって同じことを言うぜ、グダグダ言ってねぇで進め」

「なんで私がこんな目に……」

「おら、そっちの中央だ」

「うっ……覚えておけよ」


 連れて来られたのは、三十代後半ぐらいの身なりのよい男だった。

 牢の中を見て顔を顰めたが、いくら凄んだところでラサロさんを喜ばせるだけだ。


「なんだよ、マサ。自分の所しか掃除しなかったのか?」

「ただ働きは御免ですよ」

「ははっ、それも立派なただ働きじゃねぇか」

「くっそぉ……腹立つ」


 普段掃除に来た時には何とも思わないのだが、今夜はラサロさんのニヤニヤ笑いに無性に腹が立つ。

 寝台に転がってフテ寝を再開すると、ラサロさんの足音が階段を上がっていった。


「なぁ、君……そっちの牢の君」


 ラサロさんがいなくなると、向かいの牢に入れられた男が話し掛けてきた。


「なんですか?」

「そっちの牢は、やけに綺麗じゃないか?」

「そりゃあ掃除しましたからね」

「掃除? 自分でか?」

「ええ、俺は清浄魔法を使って掃除屋の仕事してるんで」

「本当か、頼む、こっちの牢も掃除してくれ」

「嫌ですよ、これ以上ただ働きなんてしませんよ」

「金なら払う!」


 身なりの良い男にとっては、不衛生な牢の環境は耐えられないのだろう。


「んー……というか、何の容疑で入れられたのか知らないけど、あんたが犯人だったら俺は金を受け取れないじゃん」


 留置場に入れられる時は、看守の買収を防ぐために、金目の物は全て預けなければならない。

 目の前の男は金持ちそうに見えるけど、今は銅貨一枚すら持っていないのだ。


 そして、この男が犯人だったら、この後は牢から出る機会が無いから、俺は金を受け取れなくなる。


「俺はミュリエルを殺してなんかいない!」

「えっ、あんた、ミュリエルさんの昨日のお客なの?」

「そうだが、なんで君は事件のことを知ってるんだ?」

「俺が『エリーゼの溜息』に掃除の仕事で行って、ミュリエルさんが死んでるのを見つけたからだよ」

「君が殺したのか?」

「んな訳ねぇだろう。俺は掃除の仕事で行っただけだ」

「そんな事を言って実は……」

「はぁ? 何ぬかしてんだ、手前……あーもういい、手前の牢は絶対に掃除しねぇ。一晩その臭ぇ牢で過ごすんだな」

「待て、待ってくれ……すまなかった、謝る。そうだ、五千リーグでどうだ。ここから出たら必ず払う。頼む、七千、いや一万リーグ払うから」


 向いの牢の男が必死に訴えるのを無視していたら、階段を降りてくる足音が聞こえてきた。


「やかましいぞ! ほら、紙とペンを貸してやるから証文を書け。マサ、俺が証人になってやるから、さっさと掃除して静かにさせろ」

「はぁ……しょうがないっすね」


 独房掃除だけで一万リーグなら破格の値段だ。

 男が一万リーグの証文を書き、ラサロさんが証人としてサインしたのを確認して、清浄魔法を発動させた。


「クリーニング!」

「おぉぉ……これは凄いな」


 ついでに留置場の全体を清浄魔法で掃除した。

 これで、今夜は臭いに悩まされずに眠れるはずだ。


「マサ、証人の手数料を支払ってくれてもいいんだぜ」

「えぇぇ……看守への買収行為は厳罰ですよねぇ、そんなことやりませんって」


 証文を受け取った後で、ニヤニヤ笑いを浮かべてみせると、今度はラサロさんが悔しそうな表情を浮かべてみせた。

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