第11話 神の芸術品

 裏口から入った事務所までとは違い、娼館『エリーゼの溜息』の玄関ホールは煌びやかに飾り付けられている。

 フェーブルからは馬車でも一週間以上かかる海岸線で切り出された大理石が、床や壁、柱などに惜しげもなく使われている。


 普段も掃除は行われているようで十分綺麗に見えるが、清浄魔法を発動させると鏡のような艶を取り戻した。

 天井には大きなシャンデリアが吊られていて、ここは普通の人では掃除が行き届かないが、清浄魔法を使えば装飾のガラスが磨かれたように輝きを取り戻す。


 重厚な玄関のドアも施された細かな彫刻に埃が入り込んでくすんで見えたが、これも清浄魔法で新品同様の艶を取り戻した。

 外から玄関のドアを入った先は広いラウンジになっていて、ここでお客は嬢の品定めをする。


 こぼれた酒の臭いやタバコのヤニ、ソファーに染み込んだ汗などを清浄魔法で掃除していく。

 一階のラウンジの掃除が終わったら、隣りの厨房の掃除を済ませ、掃除をしながら階段を上がる。


 娼館の建物は四階建てで、階が上がるほど嬢のランクが高くなる。

 現在、四階に部屋を持っている嬢は二人だけで、娼館のナンバーワンであるアイリーヌさんとナンバーツーのミュリエルさんだ。


 娼館では格付けが厳格に行われているそうで、当然俺の掃除もアイリーヌさんの部屋から始めなければならない。


「掃除屋です……失礼します……」


 アイリーヌさんを起こさないように、そっと扉を開けて室内へ入り、まずは中の様子を確認する。

 天蓋付きの豪華なベッドに、アイリーヌさんが一糸まとわぬ姿で横たわっているのが見えた。


 見事な曲線を描く磨き上げられた裸体に、ついつい視線を奪われそうになるが、ブルブルっと頭を振って仕事に戻った。 


「特に問題は無さそうかな……」


 嬢の部屋では、日本の家のように靴を脱いで過ごす。

 アイリーヌさんの華奢なサンダルの横に靴を脱ぎ、まず室内の空気を浄化した。


 男女の体液や汗が入り混じった臭いと、濃密な香水の香りが交じり合って、そのままでは頭が痛くなりそうだ。

 続いて、風呂場までの床に清浄魔法を掛けた。


 一応、靴下は履いているが、床にはどんな汁が滴っているか分からない。

 後で浄化すれば良いと思うかもしれないが、踏みつけた時の不快感を考えれば、先に掃除を済ませておくべきだろう。


 足場を確保しながら風呂場に向かい、入口から内部へと清浄魔法を掛けた。

 天井や壁のカビ、床のぬるつき、猫足の風呂桶、ゆったりとお戯れになれる広い風呂場を手早く、でも確実に掃除する。


 風呂場の次は、いよいよ寝室だ。


「アイリーヌさんを起こさないように……」


 床の足場を広げつつ、天井、壁を掃除するのだが、光の粒子の輝きでアイリーヌが起きないか、時々確認しながら作業を進める。

 あくまでも、起こしていないか確認しているのであって、邪な目的でチラ見している訳ではない。


 少し前かがみになりながら天井と壁の掃除を済ませたら、次は応接セットの掃除をする。

 天然木一枚板のテーブルに、座り心地の良さそうな革張りのソファーは、昨日の客とアイリーヌさんが酒を酌み交わしたままになっている。


 ソファーの上には、着ている意味があるのかと思えるような透け透けのドレスと紐同然のショーツも放り出されていた。


「うぉぉ、生々しいぜ……」


 テーブル、ソファー、グラス、皿、それに透け透けドレスに紐パンも、みんなまとめて浄化した。

 応接ソファーの脇には棚があり、そこには様々な形の男性器を模した張り子が置かれている。


「こんな大きさを呑み込んじゃうのかね……てか、あんなの痛くないのかよ……」


 昨夜は使われた形跡はないが、ここに置かれているということは、アイリーヌさんの体内に収まってしまうのだろう。


「い、一応、クリーニング……」


 更に前かがみになりつつ清浄魔法を発動させた。

 ソファー周りの掃除を終えたら、扉を開けてバルコニーへ出る。


 四階のバルコニーからは、歓楽街を含めたフェーブルの街が一望できた。

 ここで街を見下ろしながら行為にいそしむ客もいるらしい。


 扉、バルコニーを掃除して室内へと戻る。

 床を掃除しながら、最後に残された天蓋付きの馬鹿デカいベッドへと歩み寄る。


 何サイズと呼べば良いのか、普通のシングルベッドの三、四倍の広さはあるだろう。

 平日も、アイリーヌさんが起きた後で綺麗にベッドメイクがなされるそうだが、オルテガさんからは嬢ごとベッドを清掃するように言われている。


 馬鹿デカいベッドには汗や体液が、これでもかと染み込んでいる。

 普通の掃除では、木枠やクッションの奥底に染み込んだものまでは掃除しきれないが、俺の清浄魔法ならば綺麗サッパリ取り除ける。


 つまり、備品としてのベッドの耐用年数が大幅に伸びるという訳だ。

 馬鹿デカいベッドの中央には、一糸まとわぬアイリーヌさんが小首を傾げるようにして仰向けで眠っている。


 規則正しい寝息によって、大きく形の良い乳房は波に漂うように上下していた。

 軽く折り曲げた右手が、引き締まったお腹に置かれている以外、ピンクブロンドの髪よりも少し暗めのアンダーヘアーも隠されていない。


「どうか起きませんように……」


 アイリーヌさんの裸身を見下ろすようにベッドサイドに立ち、清浄魔法を発動させる。

 光の粒子がベッドを包み込み、アイリーヌさんの裸身が神々しいまでに輝いて見えた。


 汚れが奥底まで染み込んでいる故に、ベッドは他の場所よりも強く輝いてしまう。

 ピクっと長い睫毛が震えて、アイリーヌさんの瞼がゆっくりと開かれた。


 ぼんやりとしていた焦点が、俺に向かって結ばれる。


「誰……?」

「起こしてしまって、ごめんなさい、掃除屋です」


 俺が軽く頭を下げながら名乗ると、アイリーヌさんは気だるげな妖艶さから一転、聖女のごとき無垢な笑顔を浮かべてみせた。


「マサちゃん、ご苦労様……でも、もうちょっと寝かせて」

「はい、おやすみなさい」


 ベッドを包んでいた光の粒子が消えていくと、アイリーヌさんは傍らに丸まっていた薄掛けに包まって、夢の世界へと旅立っていった。

 ふむ、神の手による芸術品鑑賞はここまでか。


 さて、次なる芸術品の展示スペースへと向かおうか……。

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