第3話 雉鳩亭

 ギルドの裏手で小銭稼ぎを終えた後、酒場には寄らずに宿に戻った。

 街の中心部からは歩いて十五分程度、牧草地を見下ろす高台に建つ小さな宿屋、雉鳩亭きじばとていが俺の住家だ。


「ただいま」

「おかえりなさい、食事にする? それともお風呂を先にする?」


 出迎えてくれたのは、女将のマリエさん。

 二十代後半ぐらいで、背は俺よりも低いけど、デラックスな体形をしていらっしゃる。


 逗留を始めた当初、お腹に赤ちゃんがいるのかと聞いてメチャクチャ怒られた。

 いやいや、怒るぐらいなら痩せれば良いじゃんと思ったが、旦那のドナートさんが作る料理が美味しくて痩せられないらしい。


 実際、フェーブルの名物であるチーズを使った料理は絶品で、俺が雉鳩亭に居座っている理由の一つだ。


「じゃあ、食事を先に……ちょっと着替えてきますね」


 宿泊している二階の部屋に上がろうとしたら、一階の奥からパタパタと足音が響いてきた。


「おかえりなさい、マサ」

「おかえりなちゃい、マチャ」

「ただいま、ペタンもミネルもいい子にしてたか?」

「してた!」

「してちゃ!」


 ドナートさんとマリエさんの息子ペタンは六歳、娘のミネルは三歳になる。

 俺が雉鳩亭に居ついてから一年半ぐらいになるから、親戚の子供という感じだ。


「マサ、お話聞かせて!」

「聞かせちぇ!」

「はいよ、先に着替えてくるから、ちょっと待ってろ」

「うん、わかった!」

「わかっちゃ!」


 二人の頭をクシャクシャっと撫でてから階段を上がり、宿泊している部屋の鍵を開けた。

 もう一年半も暮らしているので、鍵は預けずに持っている。


 マリエさん曰く、いちいち預かったり戻したりするのも面倒だし、スペアーもあるから大丈夫だそうだ。

 部屋は六畳ぐらいの広さで、ベッドとテーブル、椅子が二客、クローゼットがあるだけのシンプルな造りだ。


 東側の窓からは、フェーブルの街並みとその外に広がる牧草地、更に向こうの山並みが一望できる。

 スイスアルプスを思わせる眺望も、俺が居座っている理由の一つだ。


「クリーニング」


 自分に向けて清浄魔法を掛けた後、靴を脱ぎ、部屋着に着替え、サンダルをつっかけて部屋を出た。

 こまめに清浄魔法を使っているから、服も部屋も綺麗なものだ。


 階段を下りて食堂へ行くと、ペタンとミネルはいつもの席に座って待っていた。

 二人の向かい側の席が俺の指定席という訳だ。


「待たせたな、二人とも食事は済んだのか?」

「うん、もう食べた」

「食べちゃ!」

「よーし、そんじゃあ俺も食べながら話すか」

「仮面騎士がいい!」

「やだ、花の妖精がいい!」

「はいはい、わかった、わかった。じゃあ最初に花の妖精の話をして、その後ちゃんと仮面騎士の話もしてやるからケンカするな」

「うん、わかった!」

「わかっちゃ!」


 仮面騎士と花の妖精は、日本の子供向け番組の定番を俺が異世界風にアレンジしたものだ。

 現代日本で、大きなお友達が力を結集して作った番組が下地になっているのだから、面白くない訳がない。


 俺自身、子供の頃から夢中になって見続けてきた番組だから、ネタには事欠かない。


「はいはい、その前に、マサにも夕食を食べさせてあげましょうね」

「おぉぉ……今夜も美味そう!」

「ランス草とベーコンのチーズ焼き、こっちは風船ナスと砂丘トマトのミートパスタよ」

「いただきまーす!」


 ランス草はアスパラガスとマコモダケを足して二で割ったような食感で、この時期は甘味を感じるほどに美味い。

 フェーブルでベーコンといえばオークのベーコンのことで、赤みの旨みと脂の旨み、それと燻製することで独特のクセが抜けて実に美味い。


 この二つとフェーブル名物の濃厚なチーズが合わさるのだから、美味くない訳がない。


「うっま! ランス草、ベーコン、チーズ……三つの旨みが合わさって、最高!」

「でた、マサのうっま!」

「うっま!」


 風船ナスは、その名の通りに風船のように真ん丸で、皮が柔らかいのに実がシッカリとしている。

 砂丘トマトは、海岸近くで採れるトマトで、小振りで皮が固いのだが、ギュっと濃縮された濃厚な味わいが特徴だ。


 風船ナスと砂丘トマトの相性は抜群で、そこにオークの赤身のミンチが加わり更に味の奥行きが深まっている。

 このミートソースを幅広の生パスタにかけて、仕上げはフェーブル特産のチーズを削って、たっぷりと降りかけてある。


「うっま! めっちゃうっま!」

「めっちゃうっま!」

「めっちゃうっま!」


 生パスタのモチモチとした歯ごたえ、重厚さを感じるソース、濃厚チーズ……そりゃマリエさんが太るのも無理ないって。

 雉鳩亭の食事はホントに美味いんだけど、カロリーが……。


 魔法を使うとカロリーも消費するらしいのだが、昼間バンバン魔法を使っても、現状維持か下手すると太るぐらいだ。

 かと言って、出された食事を残すのは、日本人として、貧乏性として許せないんだよなぁ……。


「よし、それじゃあ花の妖精の話から始めるか。今日は……無人島で大ピンチだ」

「大ピンチ!」

「花の妖精、マーナとカーナは、葉っぱの船に乗って旅を続けています……」


 話を始めると、ミルネもペタンも目を輝かせて聞き入っている。

 花の妖精の話を終える頃には、二人ともこっくり、こっくりと船を漕ぎだしていて、仮面の騎士の話も聞きたいとグズるペタンを寝かしつけながら話を聞かせるのがいつものパターンだ。


「いつも悪いわね……」

「まだまだ可愛いもんですよ」

「お風呂から、上がったら声掛けて」

「はい……」


 雉鳩亭には、三人ぐらいがつかれる大きな湯船があるのだが、他の客も使うので正直綺麗ではないのだが、そこは清浄魔法を使えば問題なしだ。


 こちらの世界に来てから、俺が真っ先に真剣に取り組んだのは水の浄化だ。

 衛生大国日本から来た小僧が、異世界の生水なんて飲んだらどうなるかは目に見えている。


「クリーニング!」


 風呂場に向かってワンドを振ると、室内は光の粒子で満たされた。

 光の粒子は、湯船の上から底まで降り積もるように沈んでいった。


 これで湯船のお湯は、そのまま飲んでも大丈夫なぐらいに浄化されているはずだ。

 掛け湯をしてから湯船につかって体を伸ばす。


「あー……しみるぅぅぅ……」


 ゆったりとお湯につかったら、湯上りにマリエさんから貰った冷えた果実酒を飲んで、清潔なベッドにダイブする。

 うーん……異世界、さいこー!

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