私は異世界転生なんてしない・後編

 高校三年生にもなって踏み入れた公園は、思いのほか楽しめてしまった。


 改装されて目立って長さのあるローラー付きの滑り台は、ちょっとしたジェットコースターの様にスリリングで、二人並んで滑るとそれこそ遊園地のアトラクション感覚で楽しめた。


 高さのあるジャングルジムは小さな戸建てくらいのサイズ感があり、かくれんぼができる様な壁や、ボルダリングができる様な設備なども備え付けられていて、年甲斐もなくはしゃいでしまった。


 気付けば空はややオレンジ色を帯びつつあり、想像していたよりも楽しく時間を過ごしてしまった事を物語っていた。すっかり疲れた私はベンチに腰掛けて、二人分の小銭を渡した幼馴染が自販機で飲み物を買ってきてくれるのを待っている。




「はい、ゆずちゃん。これ好きだよね」


「あ、ありがと。自販機にあったらつい買っちゃうんだよねー。流羽るうは何にしたの?」


「スポドリだよ。いやー、いい汗かいちゃったからさぁ」


「あの回す奴で頑張りすぎだから。こっち振り落とされない様に必死だったからね」


「楽しめるものは全力で楽しまないと! ところであの回すやつってなんで名前なんだろうね」


「さぁ……マ・ワールボールとかなんじゃない?知らないけど」


「まんまじゃん!あはは!」




 買ってきてくれた缶ジュースを開けて、一口飲む。コンビニなどでは取り扱いされない自販機限定とも呼べるそれは、人工甘味料の風味しかしないわけなんだけれど、妙にクセになる味だった。


 流羽の方はというと、ペットボトルに入ったスポーツドリンクを一気に三分の一くらい飲んだかと思うと、そのパッケージ、というよりもボトルそのものをボーッと眺めていた。


 ……流羽のそのスポドリもコンビニとかでは見かけないやつだけど、もしかして不味かったのだろうか。あるいは美味しかったのだろうか。そんなに眺めていると、私の中のレアドリンクマニアの血が騒いでしまう。




「流羽、どうしたの。それ、美味しくなかった?」


「え?」


「一口ちょーだい」




 了解をまてずに流羽の手からそれをもらって、一口含む。けれど味は、少し薄めのスポドリという具合で別段不味くもない。もっとこう、紅茶とカルピスを足した奴とか、緑茶を炭酸にしたやつくらいのインパクトがあるかと思って、少しガッカリする。




「なんだ、普通じゃん。ありがと」


「なっ、ゆずちゃん!」


「いいじゃん。お金出したの私なんだから」


「そういう問題じゃ……もう!」




 私からボトルを受け取った流羽は顔を赤くして、なにが悪かったのか怒り始めた。そんな一口くらいで、怒らないで欲しい。




「まったく、ゆずちゃんは、ゆずちゃんなんだから」


「なにそれ。言われなくても、私は私だよ。それで、何をボーッと眺めてたの?」


「へ?あ、あはは。こういうペットボトルも自販機も、異世界に行ったらないんだよなーって思ってた」


「あぁそういう……本当にハマってるんだね」


「結構ね。もう両手じゃ数え切れないくらい読んだよ」


「四作品くらい?」


「それは片手で数えられるから!人の事を三までしか数字を数えられないみたいに扱わないでくれる?!」




 揶揄うとまたぷんぷんという擬音が似合う怒り方を流羽はし始める。私としては笑顔の彼女も魅力的なんだけど、たまにこうやって揶揄うといい顔をしてくれるのが結構好きだったりする。




「異世界……異世界ねー。現代日本にはない不便さはあると思うけど、やっぱり魔法を使ったりしてみたいよね」


「それ!剣と魔法の世界で、モンスターを相手に大立ち回りして、ゆくゆくはヒロインと……!」


「ヒロインとって……」




 流羽もどちらかといえばヒロイン側じゃないのと言いそうになって、慌てて口を閉じる。


 彼女はどうしてか私には話してくれないけれど、愛する対象は女性なのは、彼女のお母さんも認めたところであるから間違いないのだ。


 だから流羽が女性を物語の中の攻略対象ヒロインとして見ていても何らおかしなことではない。


 ……流羽が、私のことをそうやってみてはくれていないんだと思うと、不思議とモヤモヤとした気持ちにさせられるのだけれど。


 流羽が急に口を閉ざした私をみて不思議そうに首を傾げる。不穏な空気が流れる前に、話を切り替えよう。




「魔法もいいけど、やっぱり流羽としては『チート』とかが欲しかったりするの?」


「チート! わかってるねぇ、ゆずちゃん! やっぱりこう、無敵の力みたいのは、かっこいいよね」


「無敵の力もいいけど、日本に住んでると瞬間移動みたいな力の方が欲しいよね。学校行くのもあっという間だし、明日沖縄行こうって言ったら行けるんでしょ?」


「ゆずちゃんはちょっと現実的すぎるよ! もっと夢見なきゃ!」


「流羽が夢見すぎなんじゃないの?」


「花の女子高生だからね! 夢は見てなんぼでしょ!……チートも、いいんだけどさ」




 流羽の声色が少し変わって聞こえる。夢を見て楽しむ様な雰囲気はまだ残っているけれど、どこか遠くへ投げ棄てる様なそんな空気をまとっている様に感じる。


 急な雰囲気の変化に戸惑いつつも、私は流羽の話を聞くのが好きなのだから、彼女の言葉に耳を傾けてみる。




「いいんだけど、なに」


「……転生、出来たら……色んなしがらみとか、そういうの、無くなるんだろうなーって」


「……流羽……」




 流羽が言いたい事が、その言葉だけで察せてしまう。ひと時だって忘れていた訳ではない。けれどこうやって二人で、子供の様に遊んでいた時も、彼女は自分自身の事で苦しみ続けていたんだ。




「ゆずちゃんや、家族に会えなくなるのは、すごく寂しいけど、でも、憧れちゃうんだぁ」




 流羽は遠く広さのある公園の敷地よりも遠くの何処かを見ている。




「私だって寂しいよ。流羽とこうやってバカみたいなこと出来なくなるなんてやだ」


「あはは。ゆずちゃんはまた……でも、るーは、異世界で生まれ変われるなら、そうしたいよ」




 相変わらず、遠くを……違う。遠くじゃないんだ。流羽は公園の向こう、広めの歩道の向こう側の車の往来を見て、そう口にしていた。




「ね、ゆずちゃんは、転生したいと思わない?」




 流羽がようやく私の方を見た。その表情を見て、私は思わず息を呑む。


 あれだけ宝石の様に輝いていた深茶色の目は、もう何も見たくないと言わんばかりに虹彩から光を失っていて、人生経験の浅い私にもわかるくらいの絶望がそこに現れていた。


 流羽ほど詳しくない私にだって、それらの物語の多くがを知っている。そして流羽は、それを願ってしまっているんだ。


 そもそも転生なんてありえないとか、馬鹿らしいなんて簡単に言える。けれど流羽のそばで彼女を見続けていた私には、彼女がそれに縋りたいのかがわかってしまって、簡単にそれを否定する事が難しく感じられる。


 けれど、それでも、流羽をこのままにしてはおけない、何かを伝えなければいけない。それだけはわかったから、必死の想いで言葉を絞り出した。




「私は、異世界転生なんて、しない」




 絞り出した言葉は、それだった。


 流羽は私の言葉を受けて、表情の中の絶望に悲哀の色を混ぜ込んだ。


 だから話はここで終わらせちゃいけない。終わらせないんだ。




「だって、流羽がいない人生なら、意味ないから」




 その言葉で、流羽の表情が絶望したものから、驚きと困惑したものへと変わる。


 これが正しいのかなんて分からない。ただ私はいつだって正しくいられた訳じゃなかった。


 流羽がクラスで孤立した時、もっと私に出来ることがあったんじゃないか。


 高校でだって、私が独り占めする様な事をしなければ、流羽はもっと素敵な生活を送れたんじゃないか。


 小さいことかもしれないけど、今日遊びに来るってわかってたんだから、先にお母さんに連絡する様に言っておけばよかったんじゃないか。


 そんな白とも黒とも言い難い私の選択によって、流羽と私の関係は築かれてきたんだ。だから私はとにかく選び続けることだけはやめてはいけないんだ。




「生まれ変わっても流羽と一緒の所に居てさ、こうやって一緒に育ってきて、こうやって話しして、たまにこうやってバカみたいに遊んで」


「ゆず、ちゃん」


「それってどれくらいの確率な訳?そもそも仲良くなれないかもしれないし、一緒の場所に生まれるとも限らない。もっと言えば時代すら違うかもしれない」


「それは……」


「そんな当てにもならない様なこと、考えたくもないよ。……私は」




 そう、私は。流羽が自分の境遇に絶望してきたのと同じくらい、ずっと思っていることがあるんだ。




「私は、流羽のいない人生なんか考えられない。だから異世界転生なんてしないよ」




 私の言葉が、今の流羽にとってどれくらいの慰めになるかはわからない。けれど確かに彼女の心は動かせた様で、彼女の瞳は柔に潤み、差し込み始めた夕陽の光を照らし始めた。




「そ、っかぁ……ゆずちゃんは……しない派かぁ」


「しない派だね。っていうか、流羽もさせないから」


「まぁ、そうだよね。るーがいないとダメなんだもんね」


「そうだよ……なんか恥ずかしくなってきた」




 こんなもの半分以上告白みたいなものじゃないか。流羽の気持ちが少しでも誤魔化せればと思って咄嗟に口にしてしまったけど、改めて内容を思い返して顔が熱くなってくるし、胸の鼓動がやけにうるさい。


 けれど、悪い気持ちはしない。


 だって隣にいる彼女は、まだ笑顔ではないけれど、どこか見ていて安心できる表情になってくれたからだ。


 それに胸の音が、私の中に燻っていたモノに一つの答えをくれた。そのおかげで、流羽には少しだけ申し訳ないけど、晴れやかな気分だった。




「ねぇ、ゆずちゃん」


「なに、流羽」




 また流羽と目が合う。深茶色の瞳を宿す少しだけ垂れた目は潤んでいる。けれど悲しそうな色は無くて、何か意思を込めた様な光が宿っている。


 柔らかそうな頬は薄く朱に染まって、何か興奮した様な気配を漂わせている。


 重ね重ね、私は流羽の話を聞くのが好きなのだから、彼女が何を言ってくれるのか、その時をゆっくりと待つ。そして彼女のリップで艶めいた唇が再び開かれるまで、そう長い時間はかからなかった。




「私、ゆずちゃんのこと、好き」


「うん、私も流羽のこと好きだよ」


「こんなこと、本当は言うつもり……え?」


「え?」




 好きと言われたから、咄嗟に切り返してしまった。


 私自身の胸の音が教えてくれた。


 私だって流羽のことが好きだ。


 そうでもなきゃ、こんな必死になったりするもんか。


 流羽は私の早すぎる返事に驚いた様で、ポカンと口を開けたままフリーズしている。




「え、あの。……その、ゆずちゃんはわかってないかもだけど、恋愛対象として好きなの」


「わかってるつもりだけど……え、違ったの?」


「違くは、ないと思うんだけど……その、あれだよ?キスとかするやつだよ?」


「そうだね、合ってるよね。……流羽はもうキスしたくなったの?」




 私の追撃にまた流羽はフリーズした。だけど今回は一瞬固まっただけで、すぐさま顔をもう真っ赤にして、大袈裟に手を振って私の言葉を否定し始めた。


 なんだ、こっちはその気だったと言うのに、残念だ。




「え、えー?……なんで、そんな簡単に受け入れちゃうの? えー?」


「簡単じゃないよ。もう何年の付き合いだと思ってるのさ」


「十四年の付き合いですけども……そんなぁ」


「嫌だった?」


「嫌な訳ないよ!!……ただ、もっと早く言ってもよかったのかなぁって」




 知らぬ間に、私は流羽に愛されていたらしい。もっと早くと言うことは、そう言うことなんだろう。


 ……早くって言うことは。




「もしかしてさ、流羽が昔クラスメイトと喧嘩したのって、私が原因?」


「そう、なるね……」


「しかもそれを全然教えてくれなかったのって……」


「あー!あー!わかってるなら聞かないでよ!」




 ああ、全ての辻褄があってしまった。『どうして私じゃないんだろう』なんて話じゃない。そもそも私だったんだ。


 私に関しての恋愛相談なら、私に出来るわけがないし、私が思慕の相手なんだから名前が出るわけもない。


 顔も名前も知らないどころか知りすぎている相手に嫉妬していた自分の馬鹿さ加減に呆れそうになるも、今のいままで気づくことができていなかった事に申し訳なくなる。




「あー、その……なんか、ごめん」


「こっちこそごめん……なんか、その、さっき思わせぶりなこと言っちゃって……恥ずかしい」


「いや、言わせちゃったのは私みたいなもんだから、本当ごめん」


「いやいや……こちらこそ……ぷ、あはは!」


「く、ふふ、あはは!」




 お互い好きだと伝えあったと思ったら、今度は謝罪合戦が始まってしまって、耐え切れなくなって笑い始めてしまった。


 私たちしかいない公園に、幸せな笑い声が広がっていく。


 今までの選択が正しかったのかは、やっぱり分からない。けれど、今度の選択だけは間違いなく、正しかったと思えて、嬉しかった。




「あはは!……はぁー……これじゃあ、るーも、転生するわけにはいかなくなっちゃったなぁ」


「させないって言ってるでしょ。これからも私と流羽は、二人で便利な現代日本を生きるのだ」


「まあ、それは願ったり叶ったりだけどさぁ……もっと夢、見てたいよ」




 好きな人と結ばれたと言うのに、そんなわがままなとは思う。けど、私が好きな流羽という女の子は、いつだって夢見がちで、子供っぽくて、素敵な人なんだ。


 だから私は一つ提案をしてみよう。



「いいじゃん、夢。見ようよ、夢」


「えぇ? どんな夢を見るの?」


「夢っていうか、予定だけど。来年卒業したらさ、沖縄に卒業旅行に行こ。チートとかないけど」




 そう、人生をリセットすることも出来ないし、無敵の力も、瞬間移動なんてことも出来ない。


 けれど、いつか叶えたいと思った事もその定義に含まれるのなら、私たちは幾らだって夢を見ていられる。


 だからまずは、彼女と共に来年叶えたい夢を見よう。




「……なにそれ、最高! いいね沖縄! もちろん二人っきりだよね!」


「そのつもりだけど。あとはー……大学に行ったら同棲とか?」


「それも良いね!あ、でもそしたら勉強が……やっぱりチートが欲しい……」


「はいはい、チートに頼らないの。……ほら、帰りながらいろいろ話そうよ。私、流羽の話を聞くの好きなんだ」


「るーも!……話を聞いてくれる、ゆずちゃんが好きだよ!」


「それをいったら私だって……」




 夕陽を浴びて長く伸びた影を従えて、二人きりの公園を後にする。


 私の隣には、亜麻色の髪を揺らして、深茶色のの瞳をとびきり輝かせた、大好きな人がいる。


 これから二人で、果てしない夢を見ながらこの世界で生きていこうと決めた。


 だから私は、異世界転生なんてしないんだ。

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