私は異世界転生なんてしない

上埜さがり

私は異世界転生なんてしない・前編




「ゆずちゃんは、異世界転生モノって読んでる?」




 帰りのホームルームが終わり、私のことを『ゆずちゃん』と唯一呼ぶ、すぐ前の席に座る幼馴染の流羽るうは、深茶色の目を輝かせて話を振ってきた。


 彼女の亜麻色に染めたミディアムヘアが振り返ることで揺れて、彼女の愛用するシャンプーの香料のいい匂いがする。


 彼女にお勧めされて同じものを使っている筈なのに、私の黒いポニーテールは同じ様な香りにならないのだから不思議でたまらない。




「あー……ネット界隈では流行ってるよね。そんなに追っかけているわけじゃないけど、幾つかは読んだよ」


「そうなんだ! 最近るーも漫画アプリで読んでさぁ。いやぁいいよねぇ」


「コミカライズ版の話か。まぁ、流羽は活字とか読み続けると眠くなっちゃうもんね」


「あ! 今るーのことバカにしたでしょ! ちゃんと読めるからね!」




 もう高校3年になって暫く経つというのに、未だに一人称が『るー』なのは、彼女を知る私にとってはすでに受け入れたことだ。


 彼女は少しだけ夢見がちで、少しだけ子供っぽくて、でも少しだけ……歳の頃よりも大人になることを強制された女の子だ。


幼い頃は日曜朝のヒロインに憧れ、そのあとは少女漫画にどっぷりハマり、そして今日も強制されたことの反動の様にアニメや漫画などで、夢物語を追いかけ続けている。


 私の方はというと、ジャンルこそ違えど小説などはそこそこ読むから、この歳になっても彼女の話に付き合う程度にはそれらに対して懐の深さがあって、だから流羽も気兼ねなく話を聞かせてくれる。




「そんなこと言って、今日の現代文も寝てたじゃん。私が起こさなかったら、朗読のときやばかったでしょ」


「その事は本当に感謝しております!が!それとこれとは話が別だよ!」


「何が別なの……」


「いやーやっぱりさ、コミカライズ版を読んじゃうと、ついつい先が気になって、原作を読みたくなるわけだよ」


「それで活字たっぷりの小説の方も読んだの?……明日は雪が降るか、槍が降るか」


「まだ秋だから雪なんか降らないよ!」




 槍は振るのかな、と聞きたくなってやめておく。


 隣の家に住む私は毎日と言っていいほどの頻度で彼女の好きなモノの話を聞かされてきた。


 最初はそう、日曜の朝にやってるアニメの話に始まり、次は好きな少女漫画のシチュエーションについて熱く語られ、つい先日はアニメのヒロインの太ももがどうのと言っていたと思ったら、今日はこれだ。


泊まりに来た時なんかは特にひどい。次の日二人で遊びに行く予定があると言うのに、深夜の三時まで付き合わされたりもした。


 けれど私は流羽の話が好きだった。彼女は作品を紹介するときはすごくポジティブな言葉で伝えてくれるし、何よりそうやって話してくれる時の流羽の瞳は、宝石のように輝いて見えるからだ。




「それで最近読んだやつのヒロインがすごいかわいくてさぁ! やっぱり健気な年下キャラってこう、庇護欲が掻き立てられるよねぇ」


「十七歳のくせになんでそんな母親みたいな目線で見てるの。ふつーに可愛いでいいじゃん」


「違うんだよ! わかってないなぁゆずちゃんは! 頑張ってる女の子を見てるとさ、応援したくなるの!」




 私の言葉を否定しようとする流羽の顔が、唐突に私の黒い瞳に大きく映り込む。熱弁しようとすると、顔を近づける癖だけはいつまで経っても慣れない。どうしてか胸の辺りが変になる。


 同じ女子の私から見ても、流羽は可愛い女の子だ。テレビに映るアイドルの様な、見る人に可愛いと思わせる顔立ちと華奢な体型。


それでいてブラのカップ数は私より二つ上だというのだから、神様は彼女と私を作った時にテレビか何かを見ていたに違いない。そして手元が狂ったのだろう。


 ともかく、誤魔化す様に手元の学生鞄に目を下ろして、今日の役目を果たした教科書や筆箱を仕舞い込んでいく。




「あー、まぁわかるよ? スポーツ選手とか頑張ってる人って応援したくなるよね」


「そう、何かに抗う人の姿は、美しいんだよ……!」


「そこまで言ってくれると、作者さんも冥利に尽きるだろうね」


「いやもう、作者さんは私にとっては神同然だよね!推しをこの世に産んでくれてありがとうって感じ!」


「そんなこと言って、今度の推しで何人目なのよ」


「え?百十二人目だけど」




 ざっくり小学校入学から数えても、ほぼ月一ペースで増えてるじゃないか。


 推しという概念を捉え間違えている気がするけれど、それぞれに対する愛を語れと言ったなら流羽はこともなげにそれをしてみせるだろうから、まぁ好きなんだろうなと言うくらいに考えておく。


 その話が出て、前々から少し気になっていたことを聞きたくなった。




「その百十二人の中で、一番最初に好かれたキャラも可哀想だね。どんどん自分以外に目を向けられちゃうんだもん」


「……!……そ、そんなことないよ!」




 流羽が急に立ち上がって、私は危うくしまいかけたポーチを落としそうになる。


 彼女の顔には、何故か焦っている様な表情が浮かんでいて、いつも楽しそうに好きなキャラクターの話をする彼女には珍しく感じられた。




「一番最初に、好きになった人は、今でもずっと好き、だから……」


「えー? そんなこと言って、そのキャラの何処が好きとか今でも覚えてるの?」


「覚えてるに決まってる!……当たり前、だし」




 流羽の言葉の最後の方は、下校する生徒の笑い声にかき消されてしまった。


 流羽がこんな顔を見せるなんて珍しいなと思いつつ、そろそろ私たちも帰ろうかと教室の扉をみる。


 扉の方には、何人かの女子が固まっていて、その視線が、楽しそうにはしゃいでいた流羽に注がれていた。


 それは、言葉を濁さず言うなら下品な視線で、私はそれを見てしまう度に、ムカつく気持ちにさせられていた。


 けれど、クラス内のカーストから外れたところにある自負のある私は、彼女らに抗議する言葉を持たない。だから目を逸らして、目の前の流羽に向き合うことしかできなかった。




「はいはい、からかってごめんね、流羽。そろそろ帰ろ」


「本当のことだから……ごめん、熱くなっちゃって」


「いいよ。流羽の話聞くの、好きだから」




 私がそういうと何故か流羽は花火が弾けた様に笑顔になり、すっかり上機嫌になった。彼女には焦った様な困った様な顔や……悲しんでいる顔より、やっぱり笑顔が似合うと思う。




「うん!るーも、ゆずちゃんとお話しするの大好きだよ!」


「話をすると言うより三対七くらいで私の方が聞いてる時間長いけどね。今日はうちに来るんでしょ?」


「いく、いくよ!えへへー」


「おばさんには話してあるんだよね?夕飯のこととか言っとかないと、怒られちゃうよね」


「あっ……え、へへ」


「……とりあえず帰りながら、連絡しなさい」




 好きなものに夢中になりすぎて、すっかり大事なことを忘れていた幼馴染を促して、少し居心地の悪い学舎を後にする。


 二年以上通ったのにも関わらず、この無機質なコンクリートで出来た建物は私に居心地が悪い以上の気持ちを抱かせてくれなかった。











「うん、それで柚月ちゃんの家で私もご飯もいただくから……ごめんってば!」




 学校からの帰り道、流羽は彼女のお母さんに連絡を取っている。スピーカーの向こうから呆れた様な声が漏れ聞こえてきて、彼女のお母さんの気持ちが伝わってくる。


 そのやりとりでわかるように、流羽は彼女のお母さんの前では、ごく普通の女子の様に振る舞っている。私のこともあだ名では呼ばず、自分のことも『るー』とは呼ばない。


 お母さんの前だけではなく、私以外のすべての人間の前では、漫画やアニメに夢中な『るー』ではなく、一般的な女子像を演じる『雎鳩流羽みさごるう』として、彼女は意識的に存在する様にしている。


 その姿と教室で感じたあの下品な視線が重なって、私は少しだけ胸が苦しくなる。




「おばさん、大丈夫だった?」


「いやもう、めっちゃ怒ってた。帰ったら死ぬ程家事、手伝わされるんだろうなぁ」


「それはドンマイだね。あ、小説読んだよって言ったら褒めてもらえるんじゃない?」


「文字覚えたての子供じゃないんだから!っていうか、バカにしすぎだからね!」




 かつて夢見る少女だった流羽は、大人になることを強制された。


 理由は……流羽が同性愛者らしいと言う噂が広まったからだ。原因を辿れば、彼女自身が誰かにそれを相談したからなのだそうだけど、その相手が酷い奴だった。流羽がきっと懸命な想いで相談した事を、面白がる様に周囲に広め、それが彼女の環境を悪化させた。


 同性愛が世界中で認知も広まり普遍的になりつつあっても、学校の教室の様な小さなコミュニティではその場の空気感の方が優る。特にそれが誰かの色恋沙汰であるのなら、その者にとって面白いと思う方に話を転がしていこうとする輩もいる。それが流羽を孤立させた。


 彼女はそれに抗う様に、揶揄うクラスメイトと喧嘩をして、結果親が呼ばれる様な騒動になった。呼び出された流羽のお母さんは、




『揶揄われる様な事じゃない。好きになった人が女の子だっただけです。うちの子に非はありません』




と言い切り、相手に謝罪させたそうだ。


 けれども流羽はそのお母さんの姿を見て、何かを思ったのだろう。私がその騒動に気づけたときには、既に流羽は『今の流羽』になっていた。


 私はそれを知った時に思ってしまったのは『どうして私じゃないんだろう』という、酷く利己的な感想だった。


 相談した相手が私だったなら、大事な幼馴染の懸命な告白を面白がる様な事はしない。それでも流羽は、今のいままでその話をしてくれた事はなかった。


 そして何より、流羽が恋心を抱く顔も名前も知らない相手に対し、どうしてか嫉妬の様な感情を抱いてしまった。きっと私の方が流羽と共にいた時間は長いのだから、独占欲に近い気持ちが働いているのだろう。


 だから容姿に関して言えば同年代でも格別ながら、いつの間にか広まっていた噂によってカースト上位には含まれなかった流羽という女の子を、私は今日もただただエゴイスティックに独り占めにしていた。




「今日はせっかくだし異世界モノのアニメを見ようよ! 熱いバトルものもあるし、ほのぼの系もあるんだよ!」


「へぇ、結構ものによって中身が違うんだね。私が読んだのは、王道な中世風ファンタジーだったなぁ」


「そういうのもあるよ! るーがお勧めなのはねぇ……あれ?ここの公園、工事終わったんだね!」




 帰り道の途中にある公園が、知るものとは様変わりして目に入った。遊具は軒並み綺麗なものに変わっていて、ちょっとしたアスレチックな佇まいは、大人になる直前にわずか残っている童心をくすぐってくる。


 こんなものを見つけた時、流羽はきっとこう言うだろう。




「すごーい! これはもう、ちょっと遊んでいくしかないね!」




 ほらやっぱり。私と二人きりの流羽は、あどけなさが残る『るー』なのだから、こんなのを見つけたらそう言う反応をするに決まっている。




「えー? やだよ。制服汚したくないし」


「少しだけ! 先っぽだけでいいから! ね!」


「なんの先っぽなの……あ、でも滑り台めっちゃ長いな」


「滑り台の先っぽだよ! ほらいこ!」




 そうして流羽に手を引かれて、不思議と人の少ない公園へと足を踏み入れた。

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