11.6 人脈は関わる人間によって増えていくらしい

「嘘ですよ!『あんなこと言っておいてこの程度かよ』とか思ってますよね!」


 キッと真っ直ぐ俺を見て詰め寄る百瀬。何なんだこいつは?案外面倒くさいタイプか?


 俺は特に反応せずに水道の蛇口を捻り、再度洗い物へと戻った。


 百瀬もはぁと深いため息を吐いた後再び備品補充を再開する。


 全く面倒だと思いはするが、今思えば百瀬ってアレだよな。この前のテレビにも出てた何とかモデルって奴?百瀬を知る人からすればこの状況はさぞ羨ましい事なのだろう。


「あ、この事鈴には絶対言わないでくださいよ?」


「この事って……」


「だから、私が仕事出来ないことです!」


 怒り気味に語気を強めて言われた。別にそんな報告するつもり無いんだけど。そもそもそこまで気にするほどのミスはして無いし。


「俺が入ったばっかの時に比べれば百瀬さんの方が色々出来ていると思いますけど」


 俺はまず表情とか声とかそーゆーとこからの指導が長引いてたからな。多分百瀬はそんなことないだろう。


「そうですか……申し訳無いんですがそれはなんとなく……」


 何だよそれ。せっかくフォローしてやったってのに。イジる感じでもなく真顔で言ってるから尚更タチが悪い。


「あ、そう言えば克実さんって私の事知ってましたか?」


「まぁ、鈴に雑誌見せられましたんで」


 めちゃくちゃ最近の話ではあるけど。


「え!あ、そうなんですね!」


「あっ……まぁ……」


 落ち込んでいた筈の百瀬は突如明るい口調へ変わり目を輝かせた。まるで俺がファンとでも言ったかのような反応だな。やっぱそーゆー声は嬉しいもんなのかな。


 戸惑いを誤魔化す為にも俺は軽く咳払いをして、先程から気になっていた事について話題を変えた。


「あの、下の名前で呼ぶの辞めてもらって良いですか。そう呼ぶの百瀬さんだけなんで。なんかしっくりこない感じが……」


 苗字呼びに慣れ過ぎたせいで下の名前はなんともな……。剛田は「克実さん」って呼んでくるけど。


「そうですか……でも柳橋さんだと鈴を呼んでるみたいで私も違和感があるんですよね……まぁ良いですけど」


 棚の戸をカタンと閉めながら百瀬はそう言う。が、


「それなら私も言いたいことあるんですけど」


「何ですか」


「それです!何で敬語なんですか?呼び方も『百瀬さん』ってさん付けですし」


「……」


 いや、初っ端から先輩風吹かせてたの誰だよ。


 俺が即座に答えないからか、百瀬は「ん?」と首を傾げてこちらを見る。


「バイトですから」


「いえ、店長も他の方も私の事は「百瀬ちゃん」とか「さゆちゃん」って呼んでますよ。話す時は大体敬語なんか使っていませんし」


「へ、へー。そうなんですか……」


「はい、ほらまた……」


 これは……俺に敬語を使わずに「百瀬ちゃん」とかで呼べと言っているのか?タメ口はまだしも呼び方はな……俺が言ったら普通にキモイだろ。


「じゃあなんて呼べばいい?」


「そうですね……うーん……普通に百瀬でお願いします」


「分かった」


 やっぱ「ちゃん付け」は嫌だったんかい!


 話に一区切りが付いたところで丁度客が入店した為百瀬はレジへと戻って行った。



***



 すっかり気候は夏模様。


 自分の部屋では蒸し暑さに耐えかねる。俺はエアコンの効いたリビングにてお昼のバラエティを前にソファに横たわっていた。


 夏休み数日目を迎え、既に曜日感覚の無くなるような日々を送っている。


 同世代は部活や遊びに勤しみ、志の高い人間は受験勉強を始めている頃だろう。だが、俺はどれでもない。


 週3日程度のバイトに出かける以外は一日中だらけて終わる。親や妹はこんな時間の使い方は無駄だと言うがそんな事は気にしない。


「ふー」


 ソファの狭い隙間で寝返りをうち欠伸をかます。すると涙で歪んだ目線の先には俺を見下ろす見覚えのある女の顔があった。


「なんだよ。帰ってたのか」


 鈴だ。やや濡れた髪を手櫛で弄り、制汗剤の匂いを漂わせながら蔑んだような目。


「なに?」


「友達呼ぶからリビング空けて」


 どーせそんな事だと思ったよ。いつもなら大人しく言うことを聞くさ。だがこの猛暑日。今日だけは俺も譲れやしない。


「お前の部屋に呼べば良いだろ?先に居たのは俺だ」


「わかった。じゃあそこに居て良いよ。鈴もここに友達呼ぶから」


「好きにしろ」


 出来もしない事を……。そう言えば気まずくなって退くだろうと思ってんのがバレバレだ。まぁ退くかどうかはそいつの態度次第だな。最初から譲ってやる気などさらさら無い。


 鈴は不服そうな顔で俺の前から離れガタガタと冷蔵庫付近で音を立てていた。


 そしてしばらくすると、鈴は「あ!」と声を出し、玄関へとかけて行った。


 恐らくさっき言っていた友達が来たのだろう。自然と部屋を出る鈴の方を見ると視線に気づいた鈴はにやりと意味ありげな笑みを浮かべた。


 そして直後……。


「あ!美香ちゃーん!早かったね」

「まぁ……ちょっと話してただけだから」


 あいつ……さっきの不敵な笑みはそう言う事だったのか……。てっきり同級生とかかと思って油断していた。ここは迅速に……


 俺は慌てて立ち上がり、立ちくらみに耐えながらもリビングから出る。が、もう既に遅かった。


「あんた……居たの……?」


「ああ……一応俺の家でもあるので……」


 乱れたジャージ姿でふらふらと廊下へ出た俺を柏木は全く想像もしていなかったような目で見る。逃げる必要は多分無いが……こいつに私生活を覗き見されるのは自分でもよく分からないが何故か少し抵抗がある。


「いやー、ごめんね美香ちゃん。『ここ使うから少しの間自分の部屋行っててくれる?』て言ったんだけど……なんかお兄がどうしても美香ちゃん来てもリビングに居たいって言うからさぁ」


「おまっ……!そんなこと言ってないだろ!そもそもお前はそんな言い方……」

「あーはいはい、それで?どうするの?」


 クソガキが……!俺は渋々階段を登った。顔は見ていないから分からないがさぞ勝ち誇った顔をしているんだろうな。


 

***



 2階に追いやられてそれなりに時間は経った。既に夕刻だしそろそろ柏木も帰る頃だろう。扇風機で抗いながら必死に暑さと闘い続けた俺を称賛して欲しいところだ。


 帰ったかどうかの確認も込みで用を足しに一回へ降り、玄関を覗くとまだ柏木のものと思われる靴があった。どうやらまだ時間はかかるらしい。俺は、はぁ、とため息を吐きながら便所へと向かった。


「あ……」


「……どうも」


 便所から出ると偶然リビングから出てきた柏木に遭遇した。


 でも何故だろう。俺を酷く嫌っていると思い込んでいた時より今の方が距離感が分からず交わす言葉の一つもスッと出てこない。


「ごゆっくり…….」


「ねぇ、ちょっと待って。あんたに話あるんだけど」


 階段を登りかけた俺の背を柏木が引き留める。話、とだけ言われても思い当たる節もない。


 一応足を止め、振り返った。


「そんな急ぎの話でもあるのか?」


「急ぎって訳じゃないけど……ほら、夏休み前に言ってたバーベキューの事で」


「あーあ……」


 あれから連絡の一つもないから無くなったのかと思ってた。やっぱ俺のいないところで話は進んでいたのか……。


「今どうせ鈴も寝ちゃってるからさ」


「わかったじゃあ……」


「ちょっと待って」


 階段を降りリビングへ向かおうとする俺を再び柏木が呼び止める。


「何だよ」


「鈴寝てるって言ったでしょ?話し声で起こしちゃったら可哀想」


 いや、友達呼んでおいて寝始めるやつの方がおかしいだろ。呼んだ事ないから知らんけど。


「じゃあここで話すのか?なんなら後でLINEでもいいけど」


 ”後でLINE”と言う使い慣れない文句に違和感を覚えながらも言うと、柏木は少し間を置き、口を開いた。


「あんたの部屋はダメなの?」

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