9話 水雪龍の巻 下

 タヌキの子が踊っている。右手、右足をひょいと上に上げ、今度は左手、左足を上に上げ唄い舞っている。


 タヌキがこっちをちらっと見る。タヌキがつぶやく。

「お前の頭はコンニャクにもおとるよ」

 はっと目を覚ます。右目から、つうっ、と涙がこぼれ落ちる。涙が一筋落ちるともう駄目だった。両目からどんどん涙があふれ落ちる。思わずつぶやく。


「つらいなあ」


 働いていると先輩にどなられたり足をひっかけられたりと辛い思いはたくさんした。

 ある日のことである。番頭にお使いを頼まれた。

「赤乃くん、これ隣町の空さんのところまで持って行ってくれる?」

「わかりました」

 緑色の無地の風呂敷を背負う。わらじを履くと、

「じゃあ行ってきます」

「行ってらっしゃい」


 赤乃はもうこの時疲れ切っていた。

 忙しすぎて、あまりにも馬鹿にされすぎて、「アホウ、アホウ」

「馬鹿、アホ、間抜け、豚!」

 こんなことを毎日言われ続けていると、歯をくいしばるようになる。

 ふらふら歩いていると女性にぶつかる。


「ぎゃああああ」


パニックになり、そのままくっついたまま歩き続ける。女性が走って逃げていった。

 それをぽかんと眺めていた。

 それから何故か店に入っても冷遇されるようになった気がした。

 ある日、庄屋にて働いていると、聞こえるように陰口を言ってくる奴がいた。

「さっさと辞めろよ。この店の面汚しなんだよ」

 それでも我慢し続けて5年。

 ある日のことである。

 頭の中でピンとしたかと思うと、急に力が抜けた。

それから芸術は、人にどう思われるかではなく自分が作りたいから作るのだと思うようにした。寝る間を惜しんで木を削る。心が凪いだようにシンと静まり返る。

 

 ざくっ、ざくっ。

 ざくっ、ざくっ。


 そして赤乃は感情を水氷のように冷ややかにして駆け上る龍を作り上げた。

 はっと気づく。これを作り上げるためにここにいたのだ。

 旦那様のもとを訪れる。廊下を歩くと、冷え冷えとする。この日は雪がちらちらと降っていた。


「なんかようか?」

「はい。ここを辞めさせたく思いまして」

 旦那様は顔をゆでだこのようにした。

「なんて言った?」

「ここを辞めさせたく思いまして」

 旦那様が拳をぷるぷると振るわす。

「お前は今までの恩を忘れたのか?」

「ぼくがいないほうがうまく回ります」

「お前はそれでいいのか?」

「ふざけるな! この恩知らず! さっさと出ていけ! 塩撒いてやる!」

 赤乃は一礼して、

「今までありがとうございました。それでは失礼します」

 と言ってさっと出て行った。


――後日談――


赤乃の机の上には一匹の木彫りの龍が鎮座されていたという。お店のなかは大騒ぎになったという。番頭が叫ぶ。

「恩知らずのものなんて捨てちまえ!」

 周りも叫ぶ。

「そうだ! そうだ!」

 このとき旦那様にはお客人が来ていたが、騒がしくなったので、ちょっと見に来た。

「どうしたうるさいぞ! なにがあった!」 番頭が旦那様に告げる。

「あのやろう。こんなものを残していきやがった!」


 旦那様が水龍を手にとって眺める。旦那様と水龍の目が合う。旦那様の動きがぴたっと止まる。

「んな様、んな様、旦那様」

 旦那様がはっとする。番頭に尋ねる。

「今、何があった?」

「いや、ぼおっ、としていました。大丈夫ですか?」

「ふうん」

 その時、紙切れがひらりと落ちた。そこには、

「コンニャクの一件はごめんなさい」

 と書かれていた。

 旦那様は目頭を押さえしばらく天を仰いでいたかと思うと、赤乃の彫刻をもって部屋を飛び出していった。その後、庄屋では赤乃の彫刻を家宝、秘伝の彫刻として扱うことに決めた。


 うわさだが、その時以来、旦那様は少し従業員に対して優しくなったらしい。

 赤乃の水龍は、雪が降っていたこととコンニャクの一件から、

“夢幻コンニャク水雪龍”とよばれるようになった。そして時代が下るにつれ、無銘なことと刻印がされていないことから、

”無銘無刻夢幻コンニャク水雪龍””(むめいむこくむげんこんにゃくすいせつりゅう)”

と呼ばれるようになった。


 だれもいなくなった部屋から、のっそりとタヌキの子がどこからか出てきた。タヌキの子は墨壺を腰に手には筆をもっていた。天から紙が一枚ひらひらと舞い降りてくる。タヌキはその紙を手にすると、すらすらと何かを書く。


「水雪龍の巻」


タヌキはにやりと笑うと、窓から、とうっ、と飛びたつ。そのまま雲の向こうへと消えていった。

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