2章 幻想界
5話 火炎鳥の巻
ここはどこだろう。手探りで周りに支えを探す。そのとき、手に何かかが、べちゃっ、とついた。手をかいでみると、ぷ~ん、と生臭いゲロの匂いがする。
「おえっ!」
思わずのどを、ぐえっ、と鳴らしてえずいてしまう。何の匂いなんだろう。気がつくと、遙か彼方に光が見える。その光を頼りに歩き続ける。
急に目の前が真っ白になり、花火のように赤や黒、青や緑の火の玉がひゅんひゅんと飛びまわる。
声が響きわたる。低く底冷えのするような年末の除夜の鐘が鳴るようなぼーん、ぼーん、ぼーん。とうなるようなおごそかな声で、
「お前はなんで彫刻をするのか? 絵を描くのか? 答えよ!」
急に声が聞こえてきて驚いてしまい声が出ない。もう一度、
「答えよ!」
「自分が知りたいから・・・」
「なんで自分が知りたいのだ」
その時、雷が赤乃に直撃した。赤乃の口から止めどなく声が響きわたる。
「そうだよ。自分が知りたいんだよ。ずっといじめられてきて! アホウってずっと呼ばれて石投げられて! 自分が普通でないことがわかって! だから自分が何者かわからなくなったんだよ! 悪いかっ!」
鐘のような声が響きわたる。
「そうか・・・・・・」
いつしか古ぼけたお寺の賽銭箱の前に立っていた。
「ほらっ! さっさと掃除せんか!」
おしりに棒で叩かれたような激痛が走る。思わず後ろをふり返ると頭がはげ上がり、長身の丸いメガネをかけたおじいさんが黒い着物を着込んで立っている。右手に布団叩きをもっている。
「へっ・・・・・・。どういうこと」
頭が混乱している。
「この悪童っ! 早く掃除をせぬか!」
「わかりましたーっ!」
何もわからぬまま、近くに立てかけてあったほうきを手に取り落ち葉を掃いて集める。
気がつけば紫色の光を放つ太陽が地面をじりじりと熱く焼いている。イチョウの木だろうか、ただし木の色はにぶく黒色に輝いていた。ただただ不気味だった。ここはどこ?
「すみません・・・・・・」
「何?」
「ここはどこですか?」
「そんなことどうでもいいだろう!」
坊主に近くにあったほうきを投げられる。それでも、坊主はふむとうなずくと、
「悪童、ここはどこか? 聞きたいか?」
「はい」
「幻想界だよ」
「幻想界?」
「すべての創作物が生まれここから旅立っていく創作の原点となる世界、そしてまた長年の風雪に耐え使命が終わった創作物がここに舞い戻ってくるところの世界である」
「っていうことは」
「君も物わかりが悪いな。創作物の源泉であり墓場である世界だ。ここのゴミも創作者の産みの苦しみで作られた負の感情だ。負の感情が溜まると、負の感情に釣られて、たたり神がやってくるんだよ」
「たたり神って?」
「幾人もの人間の嫉妬、ねたみ、そねみ憎しみ、怒り、苦しみ、怨嗟などの負の感情が動物に宿り神になるんだ。神と言ってもたたり神となる。たたり神は現世にもし行ってしまうと未曾有の大災害を引き起こしてしまうんだよ。火山の大噴火に戦争に疫病」
改めて地面を見る。黒い木の葉が風に舞っている。よく見ると、黒葉っぱから暗黒の霧が立ち上っている。
「わかったら早く掃除! 掃除!」
暗くなるまで掃除をしてへとへとだった。 夕飯は玄米と沢庵、それに大根汁だった。疲れて意識が飛びそう。いや時々飛んでいる。
うつらうつらしていると、いつの間にか夕飯を食べ終わった和尚が小刀と木片を手にとって木片をごりっごりっと削っていた。なにやら人型のようだった。
「なに作っているのですか?」
和尚からの返事はなかった。部屋中にごりごりっとした木を削る音だけが響きわたる。
和尚がふっとつぶやく。
「観音菩薩だ」
作りかけの観音菩薩が目の前に置かれる。
意識が遠のいた。
つぎの日から掃除ばかり。食器洗いから始まり、部屋や廊下の拭き掃除、境内の落ち葉掃きなどたくさんすることがある。落ち葉を手にとって眺めると、なるほど黒い霧が少しずつ吹き出している。少し霧が鼻の中から体に入る。つーん、と生臭い匂いがして思わずえずいた。
風が吹き、木の葉が舞う。黒い霧が一筋になり、空に昇っていく。まるで黒い龍のようだった。
(今も和尚、彫刻作っているのかな?)
掃除するふりをしながらお堂のなかを覗く。
和尚はどうやらあぐらをかいているらしい。向こう側の窓のほうを向いて何かをしている。何をしているかはわからないが勝手に妄想してしまう。もしかしたら彫刻を作っているのでは? きっとそうだ。赤乃は根拠もないのに決めつける癖がある。特に疲れてくると物事を否定的に考える癖と病的に勝手に思いこむ癖が暴龍のごとく脳内をかけめぐってくる。いつも、物事はすべてわからないなどと考え物事を否定的に考える癖を打ち消しているのだ。
昼休みのとき、和尚の手元をそうっと覗いてみる。やはり小刀を片手に彫刻をつくっていた。聞いてみる。
「和尚も彫刻つくるんですか?」
和尚は木を削る手を止め、答えてくれる。
「おう、彫刻もつくるし、小説も書くし、絵も描くよ」
作っている物をみせてもらう。何かの動物っぽかった。
「何をつくっているんですか? 何かの動物っぽいですけど」
「鳥だよ。鳥」
改めて作品を見る。確かに炎を身にまとった鳥みたいに感じる。思わず、ふふっ、と笑ってしまう。緊張が取れたのである。そこで、和尚さんが、
「ほらっ! もう仕事! 仕事!」
「はいっ!」
その日の夜に、赤乃も木片と紙をもらい、墨をつけた筆でいろいろと絵を描く。ネズミ、牛、ウサギ、サル、トリ、犬、猪。韻を踏んで歌いだす。
イノシシ、イノシシ、チョトツモウシン
マルデ、キミダ。
ジュンスイデ
モクヒョウムカッテイッチョクセン。
キミノメハキラキラトカガヤイテイル
ソレガキミダ。
そうだ。イノシシをつくろう。紙にイノシシの絵ばかり描く。稲穂をくわえているイノシシ。酔っ払いながらとっくり片手にソーラン節を踊っているイノシシ。歌を唄っているイノシシなどである。
いろんなイノシシを描いたあと少しイノシシの絵を描いた着想を何日か寝かせる。
その間にも掃除は行う。一カ月ぐらい過ぎ、イノシシを木片に書き写す。
そのあたりからだろうか、目の端にタヌキの子がちらちらとちらつくようになっていった。タヌキの子は語る。
イノチヲダイカニカンジョウヲコメヨ
イノチヲダイカニカンジョウヲコメヨ
ゲイジュツハカンジョウノバクハツダ
ゲイジュツハカンジョウノバクハツダ
脳内に、どろっ、とした感情が流れこむ。母親の交合した姿が脳裏に浮かぶ。いじめっ子達が赤乃に石を投げつける。ごちんと石が頭に当たる。血が、どろっ、と吹き出してきた。思わず頭に手を当てる。何もなっていなかった。
おえっ。
それと同時に激しい怒り。心が熱く、熱くのたうち回るように、ぎゅうっ、と縮み上がる。血液がどくんどくんと流れるのを感じる。
プツンと何かが切れるのを感じた。
タヌキの子が語りかける。
「こちら側の世界へようこそ」
にたあっ、と笑う。手元にあった絵を見ると、線がうねうねと動いている。ぎらぎらときらめいている。描いたイノシシが動きまわっている。
「これが烈火の筆である」
気がつくと和尚が突っ立っていた。和尚はタヌキにお辞儀をしていた。
「おタヌキさま、おタヌキさま、南無南無・・・」
和尚は、唱えている。そうして体から炎を吹き出させると、鳥へと姿を変えた。そうして赤乃の体にと飛びこんできた。体が燃えあがる。体がただれ焼け焦げる。そうして崩れ落ちた。崩れ落ちるなかでハッキリ声が聞こえた。
「お前もわしと同じ呪いにかかっている。生きる屍となりて、芸術を作り続ける呪いに」
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