第25話 犯人役

 屋敷の裏に回ると、建物に阻まれて波が音をひそめる。代わりに風に弄ばれる枝葉の合唱が降り注ぎ、涼を演出する。

 現実に帰ったら、東京を捨てようか。どこか地方に引っ越し、自然に囲まれて暮らすのも悪くない。衣食住を得られる程度の収入があればいい。それこそ人間本来の生き方ではないか。

 短い間ながら仲間だった者の死を目の当たりにして、生きる意味の本質に触れた気がした。


「………………」


 納江や七尾の時と違って、時間に限りがある。体が隠せる程度しか掘れないと考えながら、納屋に近づいた。

 扉を開けようと取っ手を掴んだ時、視界の端に気を留めるものが映った。

 星埜?

 とっさに構えた。納屋に飛び込んで武器になるものを取りたかったが、なにが気になったのか、正体がはっきりするまで目を離したくなかった。

 正体ってなんだ? 星埜以外考えられない。早く武器を持って畔蒜の所まで戻るんだ。

 頭の中では効率的な行動を思い描いているのに、体が反応してくれない。いや、反応しないのではない。正体を明らかにしろと抗っている。加連の中にある生存本能の訴えと言ってもよかった。

 加連は催眠術にかけられたように、森の中に足を踏み入れた。

 本気か? ここは絶対に逃げる場面だろ。リブルティアに対する反抗か? 星埜に怒りをぶちまけたいのか?

 己の行動を戒めるも、足は止まってくれなかった。本能が理性を駆逐する。ゲーム機のコントローラーが壊れたキャラクターみたいに、自分の意思を無視して奥へと進んだ。

 波音よりも尖った葉擦れが、影と一緒に全身に絡み付く。それほど奥まで進んだわけではないのに、日の当たる場所と隔離されたようで心細くなる。

 そして、草むらの中にそれはあった。

 なんだこれは?

 明らかに静謐な森には似つかわしくない異物。それがなんであるのか確かめようと前のめりになった時、まともに加連の目と濁った目がぶつかった。


「うおおっ!?」


 星埜が横たわっていた。その瞳にはなにも映っていないのに、視線に刺されたのは加連の方だった。首から大量の血を流し、物言わぬ骸と化した星埜は、口をだらしなく開けて森に散らされる空を見上げている。

 加連の目に留まったのは、彼の遺体に群がる虫が蠢いている様だったのだ。


「星埜……」


 加連は混乱した。今の今まで、彼が犯人役だと思っていた。サンクチュアリでの被験者の行動をコントロールし、その裏では暗躍して感情までをも操っている張本人だと。

 違かった。血の乾き具合や、遺体の様子から見ても明らかだ。殺されてから数時間程度ではない。丸一日、いや二日は経っている。

 殺されてからって……。

 加連は自然と涌き出た考えに、自分で驚いた。確かに殺されたと考えた。どこを見て、そう思った? 明らかだ。これだけの出血、自分でできることではない。そもそも、彼が自殺する理由がない。彼が犯人役ならば、二人も生存者を残して自らの幕を下ろすなどあり得ない。

 考えろ。冷静になれ。腹に力を入れて気を張れ。俺はとんでもない勘違いをしていた。星埜がゲームマスターであるのは間違いないだろう。けれども、犯人役も兼ねているとは限らなかったんだ。別の可能性も考えるべきだったのだ。


「みつかっちゃった」


 背後から無邪気ともいえる声がした。怒鳴られたわけでもないのに、加連の全身がびくんと跳ねた。

 振り向くと、畔蒜が手を後ろに回して立っていた。光はわずかな木漏れ日のみだ。森が作る影が覆い被さっているのに、微笑んでいるとはっきりわかった。


「く、畔蒜……さん」


 畔蒜が一歩前進し、森の中に入ってきた。彼女の動きに同調し、加連は一歩下がった。畔蒜は笑みを崩さず、近づいてくる。


「こっちには来ないようにしてたのに、余計なことを思いついちゃって……」

「畔蒜夢奈。きみが……きみが犯人役か」


 加連は質しながら、なんて間抜けな質問をしているんだと自分を嘲笑した。

 この島には、もう二人しかいない。自分が犯人ではない以上、答えは一つしかないではないか。星埜は参加者の行動を制御していただけで、犯人役は畔蒜だった。リブルティア側の人間は、進行役と犯人役の二人参加していた。それが正解だ。

 畔蒜は答えなかった。上げた口角をさらにつり上げると、一気に加連との距離を縮めた。


「っ!!」


 加連は身を捻った。畔蒜からただならぬ雰囲気が発せられており、それを感じ取ったからこそできた、とっさの動きだった。

 耳に熱さが走った。慌てて手を当てた。ぬるっとした液体が掌にべっとりと着いた。切られたのだと理解したのと、畔蒜の手に刃物が握られていると気付いたのは、ほぼ同時だった。

 刃物は包丁だった。キッチンにあった物の一本だ。


「あ……」


 加連は、先ほど抱いた違和感の正体を知った。そして、観察力の低さを悔いた。自分は確かに聞いていたのだ。包丁が七本あると。誰が言ったかは思い出せないが、聞いた時に参加者と同じ数だと思ったから、間違いなかった。

 七本あったはずの包丁が、なぜ六本になっていたのか。簡単に推理できた。

 畔蒜は襲われてなどいなかった。あれは自作自演だったのだ。襲われたと見せ掛けることで、自分を容疑者から外した。包丁を隠したのは、仮想とはいえ自分の血で汚れたものを料理に使う気になれなかったからか。それとも、傷口から凶器を推測されて、調べられても対処できるようにか。そういえばあの出来事があってから、誰も、神谷さえもキッチンに立たなかった。畔蒜があれこれと理由を付けて入らせなかった。

 単純な仕掛けだったが、まんまと引っ掛かった。実際、星埜の遺体を発見するまで、畔蒜を露ほども疑わなかった。

 可蓮の脳裏に、推理のイメージが爆発的に映像化される。

 納江の時は、星埜と別れたのを機に彼女の後を追って最初の犯行に及んだ。あの時、三人以外はまだ眠りこけていた。

 七尾はどうだ? 畔蒜にしてみれば、閉じ籠もった彼を言葉巧みに誘導するなんて造作もないのではないか。私はあなたの味方だ。みんなには内緒で食事を用意するから、納屋で待ってて。若く美しい女性からそんなことを言われれば、世間慣れしていない七尾は簡単に籠絡されてしまったに違いない。

 神谷はもっと簡単だ。なにしろ、あの時点では星埜犯人説が固まっていた。外部からの侵入を断絶したことで、加連も保積も油断しきっていた。二人が寝静まったのを見計らって、犯行に及べばいい。神谷に気付かれたとしても、弱っていた彼女には抵抗する力もなかっただろう。あの状況の中で、畔蒜は内心ほくそ笑んでいたのだ。

 保積を罵っておきながら、想像力がなかったのは自分の方だった。星埜が犯人と決めつけてしまった時点で、畔蒜にとって都合のよい環境が整ってしまったのだ。

 手から溢れた加連の血が落ち、星埜の乾いた血と混ざる。


「……どうして星埜さんまで。彼もリブルティアの人間、いわば味方じゃないか」

「私たちも、お互いの素性を知らされてなかったの」


 畔蒜は包丁を勢い良く振って、付着した加連の血を落とした。


「彼、私が犯人役って気付いたのね。話がしたいって呼び出された。その時に、彼がゲームマスターだと打ち明けられたの。打ち合わせをすれば、もっと濃い演出ができると考えたみたい」


 だからか。ずっと纏わりついていた展開のちぐはぐさ。進行役と犯人役の意志疎通が為されていなかったから、複雑さが増してしまった。文字通りだ。一筋縄で考えては、真実にたどり着けなかった。これもリブルティアの目論みなのか。


「なら、そうすればよかったじゃないか。彼と協力すれば……」

「駄目よ」


 畔蒜は加連が喋るのを絶ち切った。これまでと違って、黒い感情が籠った一言に、加連は圧された。


「被験者を全員殺す。それが私の勝利条件だもの。勝者にならなければ、こんな試験に参加した意味がないの。星埜に話を持ちかけられた時、馬鹿じゃないのって思った。彼だって被験者の一人なのに。進行役だからって、殺されないと安心しきってた」


 説明しながら、畔蒜はくすくすと笑った。

 こいつ、壊れて……。

 加連の腕が粟立った。穂積の遺体を横に食事をした時、感情が麻痺して危険だと危ぶんだが、畔蒜はとっくに蝕まれていた。仮想空間とはいえ、何人もの命を刈り取った強烈な体験が、彼女の精神を崩壊させた。サンクチュアリは、絶対に世に出してはならないシステムだ。


「落ち着け。きみは混乱している。もうこんなことはやめるんだ。このまま明日まで待って、現実に帰ろう」

「駄目って言ったでしょ。あなたが生きてたら、勝者になれないの」

「だから、それは……」


 言い終わらないうちに、畔蒜は再び襲ってきた。加連は急いで身を引いたが、胸を切り裂かれた。


「うああっ」


 鋭い痛みが、徐々に熱く重たい鈍痛に変わる。身を引いたため、傷は浅かった。ただ、出血は多く、自分の体内から溢れ出す朱で、眩暈を誘発しそうだ。


「それに、もう―」

「くっ」


 加連は反転して駆け出した。星埜を跨いでしまったが、意に介する余裕などなかった。

 とにかく逃げなければ。素手で戦っては勝ち目はない。一度、畔蒜の目が届かない所まで逃げて、反撃の機会を作るしかない。

 走った。ひたすらに走った。喉が焼け肺が苦痛を訴えても、無視して走り続けた。山に登った時に、畔蒜の方が体力があると思った。それだけに、足を止めるなど考えられなかった。すぐ後ろに畔蒜が迫っている映像が纏わり付く。立ち塞がる木々をかわし、足を捕まえようとする土を蹴り上げ、森の中を滅茶苦茶に駆け抜けた。

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