第23話 新発見
加連が選んだのは、初日に星埜と登った山だった。あの時は一時間強で登頂できたが、今回は畔蒜がいる。もう少し時間が掛かるだろうと思ったが、それは杞憂に終わった。畔蒜は加連以上に軽やかな足取りで登っていった。汗ばんだシャツが肌に張り付いて、妙に艶めかしい。こんな時になにを考えているんだと自分を戒めながら、加連は必死に足を動かした。
一度登った経験と畔蒜の予想外の身軽さのおかげで、今回は一時間も掛からずに登り切った。
「すごーい」
畔蒜は息を切らしながらも無邪気にはしゃいだが、加連は景色を楽しむ余裕などなかった。視線を遠方に向けて、目を凝らした。見ているのは、漂着した砂浜とは反対側の海だ。寄せては返す波の模様が、ひどく煩わしく映る。両手を庇代わりにして、日光を遮りながら目が閉じる寸前まで細めた。
「あ……」
予想はしていたが、実際に目にするまでは確信できなかった。そして、揺るぎなくなった確信は、そのまま新たな懸念材料となって加連の気持ちを曇らせた。
陸地が見えた。しかも加連たちがいる島よりも何十倍も大きい。緑の大地が圧倒的な質量を主張し、どこまでも広がっていた。あれは大陸ではないのか。
初日の海は霞がかって遠方まで確認できなかった。星埜が絶海の孤島と言ったので、なんの疑問も持たずそのまま受け入れてしまった。またしても、星埜のミスリードに乗っかってしまっていたのに気付いた。
島で一番高い場所まで来て周囲を確認させたのも、霞のせいで大陸を発見できないと計算していたに違いない。周囲は遙か彼方まで海に囲まれた孤立した島。一度そうと思い込んでしまえば、わざわざ汗だくになってまで再び山を登り確認する気にはならない。
星埜はここが孤島だと錯覚させておいて、事態が進行するに従いそれでは辻褄が合わないと気付かせ、被験者たちの葛藤を誘うのが目的だったのか。テストを超えた悪意そのものだ。どこまで人を嘲れば気が済むのだ。加連は、必死に冷静さを保とうと呼吸を整えた。
舟があることを鑑みれば、あそこまで行くこともできると考えるべきだろう。ただの背景と考える方が無理な話だ。
加連は、さっきまで考えもしなかった発見を吟味した。このゲームは、殺人鬼の魔手から逃れるのがゴールなのか。そのためには、この島を脱出して、あそこに向かうのが正解なのか。
「………………」
そうとしか考えられない。そうでなければ、舟も大陸も再現する意味がない。星埜も絶海の孤島などと嘘をつく必要がない。被験者たちの手で脱出するルートを見つけさせるのも、織り込み済みだったのだ。悪意に満ちたサンクチュアリのゲームマスターらしい、厭わしく手の込んだやり方だ。
「なにあれ……、大陸?」
畔蒜の呟きにも、重たい不安が織り交ぜられていた。なぜ今になって、新たな発見があるのか、その意味を見いだす余裕も持てない様子だ。
渡るにしても、今日は無理だ。海水が流れ込んでいない状態で、舟を海まで出すのは至難の業だ。日が暮れれば潮が満ちるが、長距離じゃないとはいえ、夜に航海に繰り出すような知識も技量もない。
出発は明日の朝だ。それまで、星埜の襲撃をかわすことができれば、この不毛なゲームに勝てる。最後まで生き延びるのは、自分と畔蒜だ。
「帰ろう。明日に備えて、準備しなくちゃ」
「明日? 明日って?」
「帰ってから説明する。早く帰らないと、暗くなる。そうなったら危険だ」
星埜が、どこまでこっちの行動を把握しているかは不明だ。だが一時の油断もできない。星埜は、この世界では一種の怪物だ。特別な力を有した者が、虎視眈々と機を窺っていると思うと、気が張りっぱなしになり、疲労感は加速度的に溜まっていく。
明日には上陸するであろう大陸を横目に、加連たちは帰路に就いた。
加連の計画に、畔蒜は難色を示した。あの大海原に繰り出し、遥か遠方に見えた大陸を目指すなんて、無謀もいいところだ。
「危険すぎるよ」
畔蒜の反論は予想済みだった。誰も好き好んで分が悪いとわかっている冒険に挑戦はしない。それは挑戦ではなくただの愚行だ。だが、今回ばかりはやむを得ない背景があるのだ。我々が真に相手しなければならないのはリブルティアで、星埜は解き放たれた駒に過ぎないといえる。
「これは仮想空間における、人の心理の動きを調べるための試験だ。殺人鬼に怯えて終わりというのは、奴らにしてみれば物足りないはずだ」
「だからって、協力してあげる義務なんかないでしょ」
「協力するつもりなんか毛頭ないよ。この島から脱出しないと、どう転んでも殺されて終わりなんだ。きっと」
言いながら、神谷の理不尽な死が頭を掠めた。
「星埜さんと戦うって選択肢は?」
「おそらく彼には勝てない。アクションRPGなんかに出てくる、無敵キャラ扱いなんだと思う」
「そんな……」
加連の裏打ちのある推理を聞いても、畔蒜の心は揺らいでいるようだった。加連も、最初は本当にそれがトゥルーエンドなのか自信がなかったが、畔蒜に説明しているうちに、これ以外の答えはないと確固たる手応えに変わっていった。
「どう足掻いたって、サンクチュアリの中じゃ奴らの手の内だ。だったら、とことんまで抗ってやりたいんだ」
加連は力説し、畔蒜は考え込んだ。沈黙は、状況判断をしてよりよい選択をするためのものだった。
「大体の目測だが、あの大陸までは東京湾を横断するくらいの距離だ。上手く引き潮に乗れば三時間程度で着けると思う」
「………………」
「俺は行く。来るか残るかは畔蒜さんが決めろ。じっくり考えて、自分が正しいと思う方を選んでくれ」
さっきも別行動を促したが、今度は意味合いが違う。見捨てるわけではない。彼女の運命を本人に選択させるのだ。
加連自身がそうだった。周囲の環境に揉みくちゃにされると、判断力が低下する。どんなに愚かな選択をしても、それが正しいのだと思い込んでしまう。こっちに進めば楽になれると、甘く蠱惑的な誘いに、いとも簡単に負けてしまう。己を守る防衛本能がそうさせるのだ。
畔蒜も、進むべき道を誤ってここにいるのかも知れない。だからこそ、誘ったり追い詰めたりはしない。自分の意思で判断してほしかった。
「……わかった」
畔蒜が呟いた。声こそ小さかったが、決意を秘めた力強い呟きだった。
「行くよ。一緒に。言ったでしょ。ここまできたら、一蓮托生だって」
「よしっ」
一人で出航するかも知れないとの覚悟はしていたが、仲間が一緒だと、やはり心強い。日光に当てられ徐々に溶ける氷のように、加連の胸の内が柔らかくほどけていった。
「準備をしよう。朝の満潮時に出発すれば、昼前には到着するはずなんだ」
「もし、トラブルが起きて……例えば、漂流しちゃって着かないうちに七日が過ぎたら?」
「その時は、舟の上でタイムリミットを向かえるだけだ。少なくとも、星埜に殺されることはない」
「じゃあ、お弁当、用意しなくちゃ」
「弁当?」
「舟の上で食べる分、必要でしょ」
加連は苦笑した。食糧とは言わず弁当と表現するところが、いかにも旅に不馴れな者らしかった。
「手伝うよ。二人分とはいえ、結構手間なんじゃないか」
「ううん。おにぎりとか簡単なもので済ますから、大丈夫。加連さんは缶詰とか飲み物を見繕って」
「……じゃあ、そうさせてもらうかな」
正直、畔蒜の申し出はありがたかった。情けないことだが、疲労のために体重が何倍にも感じており、すぐにでも横になりたいくらいだったのだ。畔蒜の健康的なスタイルを見ると、スポーツをしていたか、常日頃から体を動かす仕事をしていたと考えられる。その分、スタミナは畔蒜の方が上なのか。
彼女に悪いと思いながらも、加連は地下室へと降りていった。
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