第22話 洞窟

 畔蒜が淹れてくれた紅茶が、凝り固まった加連の精神をほぐしてくれた。

 神谷の遺体はそのままベッドに、穂積の遺体は毛布を掛けて階段の脇に放置してある。

 畔蒜は、なにも言わずに紅茶を啜っている。余計な同情や慰めをされるより、よほどありがたい沈黙だった。

 活動を再開した脳が、加連に決着を急かしていた。

 籠城作戦を続ければ、勝ち逃げできると考えていたが、それは間違っていた。七尾はサンクチュアリをゲームに例えた。そして、猪口も否定しなかった。クリアするためには、積極的な行動が必須だった。動かなければ、勝てないようになっていたのだ。そして、行動しろという以上、必ず攻略法はある。その攻略法とやらを探さなければならない。


「………………」


 そこで加連の思考は再び停止した。残りはあと二日を切った。サンクチュアリに放り込まれた時、その意味も解さずに受け身の姿勢に終始したのが間違いだった。メッセージにあった生き延びろという言葉に含まれた意味を、もっと真摯に受け止めるべきだったのだ。

 考えろ。もっと意識を深く潜航させ集中しろ。孤島とはいえ、これだけの敷地を闇雲に動き回って攻略できるはずがない。なにかしらのヒントが散りばめられているはずなんだ。ここが超現実的なオープンワールドだろうが、ストーリーを進めるためには、必ずきっかけが必要なんだ。それはなにか……。

 ヒントである以上、誰かが気付くものでなくてはならない。それなら、参加者全員が集う、この屋敷内が理想的だ。はたして、この屋敷にそんなサインがあったか……? 物か、それとも音か? 誰の目にも付いて、それでいて意識しなければサインだと気付かないもの……。

 突然、加連の脳内を稲妻が走った。

 どれだけ挑戦しても解けなかった知恵の輪が、偶然外れたような驚き。加連は思わず立ち上がった。


「ど、どうしたんです。加連さん」


 突然の加連の動作に、畔蒜は紅茶を少し溢してしまった。当の加連の目には畔蒜は映っておらず、思考が映像となって脳内に結んでいた。

 違う。物でも音でもない。星埜だ。彼は犯人役であると同時に、ゲームマスターでもあったのだ。一方的な展開にならないよう、さりげないヒントを要所要所で出していたに違いない。先んじて意見や指示を出していたのは、そういう理由だったのだ。

 彼としては、我々から身を隠すなどと不格好な進行は望んでいなかっただろう。参加者が知恵を出し合いもっと犯人に肉迫して、且つ謎を孕ませた展開にしたかったとしたら、どうだ?

 星埜の思い通りに話が運ぶ。そうならなかったのは、誘導されなかった指示があったからだ。保積はことある毎に反発していたが、彼が実行しなかったことはなんだったか……。

 ここ数日間の記憶を手繰る。七尾と部屋のことで揉めた。それは関係ない。一所に固まろうとの提案をはね除けた。これも違う。


「あ」


 呆けた声が出た。遡っていくと、あっさりと答えにたどり着いた。

 穂積の身勝手さが最初に露見した一件。彼は全員で周辺を調べた時、好きに過ごすと言って、さっさと自室に籠ってしまった。あの時、星埜は海岸の調査を頼もうとしたと言っていたじゃないか。間断なく続く事件に翻弄され、始まりの場所である海岸を調べるのを失念していた。山を登っていた時に星埜は言っていた。ゲームではスタート地点に重要なヒントが隠されてるのが定石だと。あれは額面通りの意味だったのだ。

 星埜は、そこにいる?

 道標を見つけたなら、進むしかない。このゲームに勝つには、それしかない。加連は星埜を見つけるべく、行動を起こそうと決心した。



 加連は、畔蒜に推理を話した。そして、どうしても星埜を見つける必要があると説いた。

 畔蒜は、はじめこそ懐疑的な態度を示していたが、加連の説得に押し切られた。もう二人しか残っていないのに、離れて行動するわけにはいかない。揃って海岸まで行こうと促した。


「彼がゲームマスターなら、穂積がリタイヤしたのも筒抜けかも知れない。そうなると、なりふり構わず襲ってくる。身を守れる物を持っていこう」


 加連が納屋に向かおうとすると、畔蒜が引き留めた。


「私が取ってくるよ。加連さんは少しでも休んでて」

「じゃあ一緒に行こう」


 畔蒜は苦笑した。


「加連さん、心配しすぎ。いいから座ってて」

「だが……」


 星埜がチートなアバターを使っているなら、わずかな隙間も安心できない。


「落ち着いて。この調子じゃ、トイレやお風呂にもついてきそうだよ」


 今度は加連が苦笑する番だった。

 たしかに、神経が張り詰めて過敏になっているのは否めない。畔蒜の言う通り、少し落ち着かなくては。


「わかった。頼むよ」


 畔蒜は笑顔で答えて、屋敷を出た。



 加連と畔蒜は、揃って砂浜に足跡を残していた。来る途中、森の向こうに納江が発見された花群が見えた。リタイヤした者はどうしているのだろうと、ふと思った。報酬を受け取る手続きをして、それぞれの場所に帰宅したのか。それとも、全員が戻ってくるまで待機させられているのか。もしかしたら、スタッフと一悶着起こしているかも知れない。これだけ人の心を弄んだのだ。少なくとも加連は、金だけ貰ってはいさよならで済ませるつもりはなかった。

 明らかに行き過ぎた臨床試験を中止すべく、なんらかのアクションを起こす。場合によってはネットの力を使って、世間に公表することも考えていた。


「加連さん」

「ん?」

「捜索って、どこまで行くつもりなの?」

「そうだな……」


 加連たちが漂着していた浜から、西に向かって歩き出してから五分ほど経過していた。もう少し行けば、そそり立った断崖に到着する。目的地はそこだった。

 星埜は保積に海岸の捜索を頼もうと、ヒントを与えようとした。つまり、保積でも発見できる範囲になにかがあるのだ。見渡したところ、目前に迫る断崖がもっとも怪しかった。いや、加連には確信があった。

 初日に星埜が断崖を見つめて言った台詞。


「いかにも、なにかありそうな気がしませんか?」


 あの時から、星埜の誘導は始まっていたのだ。


「コケにしやがって……」


 神谷をリタイヤさせられ、保積までこの手で強制終了させてしまった。星埜の正体を知った時には湧き起こらなかった憤怒が血管を駆け巡った。

 すぐ隣にいる畔蒜にも聞こえない呪詛を吐き、加連は前進する足に力を込めた。



 そそり立った断崖を真下から見上げると、かなりの迫力があった。

 砂浜とは違い、岸壁に叩きつけられた波が派手な音を立てて砕け、近づく者を拒んでいた。


「これか……」


 飛び散る飛沫の弾丸をくぐり抜け、接近した甲斐があった。岸壁の一部がくり貫かれたように口を開けていた。


「星埜は、これを発見させようとしたのか……」


 日光を遮られた洞窟は、奥行きが測れない。潮の流れを反響させた不気味な慟哭で、加連たちを迎え入れた。今は引潮だが、満ちると海水が入り込むようで、足場が濡れていた。凹凸の少ない滑らかな道となっている。専用の道具がなくとも、ある程度は進めそうだ。

 躊躇する気持ちはある。それでも、星埜に勝つためには行かなければならない。

 覚悟を決めて、加連は少し進んだが、畔蒜が付いてくる気配がなかった。不慮の事故にも注意していたが、それ以上に星埜の襲撃を用心していたので、すぐに察した。


「どうした?」


 振り向くと、畔蒜が鉈を抜いていた。加連は息を呑んだ。


「ひ、人の気配が……」

「気配?」


 加連は訝しんだ。こんな波の音が反響し奥が見通せない洞窟の入口で、人の気配を感じたというのか。


「そうじゃなくて、この奥に星埜さんがいるかも知れないんでしょ」


 畔蒜は、顔にも声にも緊張を張り付かせていた。仮想空間とはいえ、襲われる可能性がある以上、怖いのは当然だ。ましてや、彼女は一度切りつけられている。

 畔蒜の心情を慮ったが、一人残しては行けなかった。


「こんな暗闇で刃物を振り回すと、却って危ない。大丈夫。俺が先行するから、鉈はしまってくれ」

「……わかった」


 畔蒜は、加連の言うことを素直に聞き、鉈をケースに収めた。

 ややカーブして伸びている横穴を奥に進むと、成人男性三人分ほどの高さを有する大きな空間に出た。天井から陽光がこぼれ落ち、内部を柔らかく照らしている。

 隠れるにはうってつけの場所だが、星埜は見つからなかった。雰囲気からの印象だが、人が出入りした様子もないように思えた。


「見て」


 畔蒜が壁際を指さした。

 その方向には、一艘の舟があった。漁師が使う小舟とさほど変わらないサイズで、四~五人乗るのがやっとの大きさだ。

 舟はきちんと係留されていた。今は特に意味はないが、ああしておかないと満潮時に流されてしまうのだろう。

 その光景が飛び込んだ時の、加連が受けた衝撃は凄まじかった。星埜を発見したとしても、ここまで驚かなかっただろう。


「なぜ……」

「え?」

「なぜ舟があるんだ……?」


 畔蒜には、加連が発した疑問の意味がわからなかった。


「加連さん、どうしたの? ただの舟だよ」

「そうだ。ただの舟だ。けど……舟があることが問題なんだ。舟があるなんておかしい。絶対におかしい」


 舟に近づいて確認した。特に変わったところはないが、ライフジャケット、ナイフ、釣具などが積んである。これではまるで、救命艇ではないか。


「なにを言ってるの? 加連さん、どうしちゃったのよ」

「行こう。ここを出るんだ」


 濡れて滑りやすい足場もお構いなしに、加連は足早に引き返し始めた。なにかに追い立てられているような焦りぶりだ。

 畔蒜はわけがわからないまま、加連の後を付いていくしかなかった。


「待って。待ってってば」


 洞窟を出たところで、畔蒜は加連の前に回り込んだ。


「どういうこと? ちゃんと説明して。あの舟がなんだっての」

「考えろ。絶海の孤島なのに、なぜ舟がある必要がある?」


 加連の言葉遊びのような問い掛けに、畔蒜は眉をひそめた。


「なぜって……周りを海に囲まれてるんだから、舟があるのは自然でしょ」

「そうじゃない。サンクチュアリの舞台がこの島なら、舟なんかいらないじゃないか」


 畔蒜は、まだ加連が言いたいことが理解できない。舟を単なる小道具としてしか捉えていない。必死に熱くなる感情を抑えて、説明を続けた。


「明日は最終日だ。それなのに、俺たちは島の半分も探索していない。舟を使う機会なんてあるはずないんだ」

「考え過ぎじゃない? 海辺に舟があっても使わないゲームなんて、いくらでもあるよ。いわば雰囲気作りのオブジェだよ」

「洞窟の中に隠すように置いてあってもか。そもそも、星埜が失踪しなければ発見すらしなかった」

「それは……」


 畔蒜はそれきり口を噤んだ。上手い説明が見つからないのだ。


「もし、俺の想像が正しければ、サンクチュアリの設定そのものが覆る」

「加連さんの想像って、なに?」


 加連はしばらく間を置いてから、畔蒜を正面から見据えた。


「それを説明するには、確認しなければならない。ここでは無理だ。もっと高い所に登らなければ」

「でも、星埜さんを探すんじゃ……」

「闇雲に探しても、彼は見つからない。星埜のヒントで洞窟を見つけ、舟を発見した。こっちを追求していけば、或いは……」

「それって、確証があるわけじゃないよね?」

「……ない。俺にも、なにが正解なのかわからない。生き延びるだけで勝ちって言うんなら、畔蒜さんだけ屋敷に戻って籠城を続けてもいい」

「なにそれ……」


 畔蒜の険を含ませた声に、虚を衝かれた。


「勝つためには行動を起こさなくちゃならないって言ったのは、加連さんでしょ。ここまで付き合わせといて、屋敷に戻れって酷くない?」


 畔蒜の険しい抗議に、加連は喝を入れられた。

 彼女の言う通りだ。屋敷に帰ってよいと体よく言ったものの、それは仲間を見捨てるに等しい行為だった。畔蒜を説いたのは、他ならぬ自分ではないか。


「そうか……。そうだな」


 加連は、改めて畔蒜を目を真っ直ぐ見た。


「星埜を野放しにする気はない。けど、これはどうしても確認しなきゃならないことなんだ。もう少し、俺に付き合ってくれ」


 加連の実直な態度に、畔蒜は怒気を収めた。


「こうなったら、一蓮托生だもんね。とことん付き合うよ」


 急に生じたわだかまりは、長続きせずに解けた。それまで気にも留めていなかった波音が、急にボリュームを上げて、二人にぶつかってきた。

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