第21話 不可抗力

 畔蒜は読み取った印象は語らず、二階でしてきたことを話した。


「星埜の部屋の窓も塞いできたから」

「窓を……なんだって?」


 保積の察しの悪さに、畔蒜は内心でため息を吐く。


「出ていけたんなら、入ることもできるでしょ」

「そうか……そうだよな。あの野郎、戻ってきたらただじゃおかねえ」


 穂積の鼻息が荒くなるのを横目に、加連は星埜の行動を予測した。

 彼は迂闊な人間ではない。再び屋敷に舞い戻るだろうか。用心に越したことはないが、向ける方向を間違えると、また裏をかかれる。

 畔蒜が画竜点睛を欠く人物とは思わなかったが、塞いだ窓を確認した。壁際に配置されていたパソコンデスクが立て掛けており、さらにデスクチェアを重しにしている。これでは容易に開けることはできない。強引にこじ開けたら、立て掛けたデスクがひっくり返り絶対に大きな音を立ててしまう。デスクを倒さないように体をねじ込んで侵入するには、わずかにしか開けず、隙間が足らない。

 

「……大丈夫。星埜は上手く立ち回ったが、内側から伸びる触手は刈り取った」

「ああ、まんまと騙されたぜ」

「彼がいくら狡猾だろうが、これだけ守りを固めているんだ。侵入はないと考えても差し支えない。籠城してタイムリミットを待つんだ」

「これで、本当の本当に俺たちの勝ちだ。どだい、一人で六人をやろうなんて無理だったんだよ。納江と七尾は運がなかったんだ」

「ああ……。そうだな」


 加連たちは必死に安心を裏打ちする材料をかき集め、落ち着くよう努めた。穴はない。ないはずなのに、一抹の不安を拭いさることができないまま、五度目の夜を迎えようとしている。

 その夜は、再び各部屋で休むことにした。完全に乾ききっていないソファーを使うのに抵抗があったし、加連も二日続けてうつ伏せで寝るのでは、疲労感が拭えなかったからだ。もちろん、星埜が侵入できないよう、改めて家具のバリケードを確認し、正面玄関も固く閉ざした。たとえ鍵を持っていようが、開けることは適わないはずだ。各部屋も神谷の部屋と同様に、デスクの蓋をした。

 加連はベッドに身を投げた。横になって休めるありがたみが骨身に染みた。目を瞑り思いを馳せると、どうしても星埜が浮かんでくる。

 彼はなぜ犯人役など引き受けたのか。我々とは違う報酬を提示されたか。それとも、彼もリブルティア側の人間なのか。今、どこにいて、なにを画策しているのか。

 考えなくてはならないことが泉の如く湧いてくるのに、なにひとつ明確な答えにたどり着けない。昨夜は充分な睡眠が取れなかったせいだ。頭に靄がかかったみたいにクリアにならない。

 やるべきことはやった……。やったはずだ。あと二日。生き延びて、リタイヤすることなく現実に帰る。帰るんだ……。

 夢と現実が綯い交ぜになる感覚を味わうも、そもそもこれは現実ではないじゃないかと自虐的な笑みを漏らす。混濁の中、加連の意識は遠のいていった。



 畔蒜は神谷の部屋の前に立っていた。先ほどから数回ノックを繰り返し呼び掛けているが、返事がない。


「明莉ちゃん、起きないのか」


 いつの間にか加連が横にいた。眉を寄せながら扉を見つめている。


「まだ、体調が回復していないのかも」

「遠慮しないでいい。明莉ちゃん。入るよ」

「あ、待って」


 加連は、畔蒜が止める間もなく扉を開けた。神谷はまだベッドに横たわっていた。よほど深く眠っているのか、なんの反応もない。

 起こすのは可哀想だ。目が覚めるまでそっとしといてやろうかと思ったが、加連は違和感を覚えた。なにがおかしいのか、自分でもわからなかった。感覚に訴える、説明ができない調和の欠如だった。 


「明莉ちゃん?」


 加連は神谷のそばまで歩み寄った。罪悪感を横に押しのけ、肌掛け布団を剥ぎ取った。


「明莉ちゃんっ!?」


 神谷の光を反射しない目を見て、加連は絶望した。すでに二人の遺体を見ているからわかる。生きている者が発露している生命の輝きが完全に絶たれていた。

 これ以上は不可能と思われるくらい目が見開かれ、開いた口から顎を伝ってよだれの跡が乾いていた。首には生々しい索条痕と抵抗した際にできたであろう引っ掻き傷、いわゆる吉川線がはっきりと残っていた。


「こ……こんなことが……」

「明莉ちゃんっ!!」


 神谷に覆い被さる畔蒜を横目に、加連は窓を確認した。昨日からパソコンデスクの位置は変わっておらず、固定に使ったビニール紐もそのままだ。窓は当然、一ミリも開いていなかった。


「なぜ……。なにが起こっているんだ?」


 頭をフル回転させるも、理解が追いつかない。起きてはならないことが起きている。侵入は不可能だった。星埜はどんな手段を用いて神谷を絞殺したのだ?


「加連さん?」

「ここを頼む。他の窓を調べてくる」


 加連は畔蒜の返事も待たずに、部屋を飛び出した。

 屋敷の中を隈無くチェックした。破られている窓はなく、しっかり施錠もされていた。理屈が合わない。

 星埜は言っていた。サンクチュアリは現実に則しているから、チート能力など持ち込まれていないと。

 果たしてそうだろうか? あれは加連たちを油断させる詭弁だったのではないと、どうして言える? 星埜がリブルティアに通じた者なら、例外として特殊な能力が許されていてもおかしくない。犯人役が手を出せないのでは、いつまで経っても話が進まないのだから。


「……バラバラになるべきじゃなかった。リビングで固まっているべきだったんだ」


 激しい後悔に胸が締め付けられる。立ち尽くしていると、二階から畔蒜の悲鳴が聞こえた。


「くそっ!」


 動いたのは頭より脚の方が早かった。ほとんど条件反射だ。走りながら、星埜が戻ってきたのだと思った。残り三人なら、機を窺う必要もない。アメリカン・コミックに登場するヴィランのように、壁をすり抜けて移動する星埜の姿が浮かんだ。

 リビングから見上げると、穂積が畔蒜に襲い掛かっている光景が飛び込んできた。支離滅裂ことを叫びながら、畔蒜の服や髪の毛を引っ張っている。

 ありったけの力で振り回されている畔蒜は、苦痛で顔を歪めていた。必死に抵抗しているが、力では男に敵わない。


「なにしてんだっ」


 加連は、二段飛ばしに階段を駆け上がった。二人の間に入り、穂積の手を離そうとした。予想外の力で保積は暴れ、やっと引き剥がした際には、畔蒜の服が破れ、髪の毛も数本引き抜かれてしまった。

 二人とも息が上がっていた。畔蒜は破れた服から露出した肌を隠すように、自分の肩を抱いていた。だが、痛ましいとは感じなかった。充血した目で穂積を睨む彼女は、まるで猛禽類を思わせる鋭さを発していた。


「加連んん……。おまえもかぁ」


 穂積の目も血走っていたが、こちらは鋭さはない。鈍器を思わせる重たさがあった。


「おまえも?」

「二人して俺を騙してやがったなぁぁ」


 加連は、穂積が畔蒜を襲っていた理由がわかった。彼は星埜犯人説をあっさりと捨てた。星埜が跳梁跋扈しているにも関わらず、愚かにも内部犯行説に戻ってしまったのだ。

 こいつ、なんて勘違いを……。

 昨夜の殊勝な態度で少し見直しただけに、想像力に欠けた単直さは加連の頭を焦がした。


「星埜だっ。犯人は星埜だろっ」

「嘘を言うなっ。戸締まりは完璧だった。あいつは入れやしなかったはずだ」

「あいつはリブルティア側の人間だ。サンクチュアリの試験を監理する立場の人間なんだ。特別仕様のアバターを使っているんだよ」

「適当なこと言うなっ。証拠でもあるのかっ」

「そう考えなきゃ、辻褄が合わないだろうがっ。ちょっとは考えろっ」

「そうやって騙して、俺もやるつもりかぁっ」


 保積は、吠えると同時に加連に飛び掛かった。言葉は通じるのに、意志疎通がまるでできない。絶望的な恐ろしさが過ったのは一瞬で、加連は素早く身を躱した。


「馬鹿野郎っ」


 加連も負けじと大声を張り上げた。動作が少なかったのか、それとも遅れたのか。穂積の突進を躱しきれず、腰に腕を回されて捕まってしまった。なりふり構わない者だけが発揮する、凄まじい力だった。


「おああっ!」


 保積は雄叫びをあげた。このまま加連をなぎ倒そうとしているのだ。

 倒されるのはまずい。マウントポジション状態にされたら、格闘技の経験などない加連に逆転する術はなかった。

 崩れそうになるなるのを必死に堪え、バランスを保とうと、加連は必死に体を捻った。


「うおっ!」


 捻りの動作が効を奏した。直線の動きに対して、横から力を加えられたことで、穂積の体は呆気なく宙に浮いた。計算してではない。無我夢中でやった結果だ。

 冷静さを欠いた穂積を退けた。ただ、場所が悪かった。二人が組み合ったのは階段のすぐ脇だ。投げ出された穂積は、激しい音を立てながら階下まで転がり落ちた。


「ぐげっ!?」


 奇妙な声を上げたのを最後に、保積はピクリとも動かなくなった。横になったまま無理にお辞儀をしたような体勢で固まっている。苦しいはずなのに、光を失った目からは助けを求める訴えが一切なく、恐ろしさが際立った。


「穂積っ!?」


 たった今まで襲い掛かっていた穂積が、指一本動かしていない。獰猛さと無為の差のあまりの大きさに、加連は愕然と彼を見下ろした。階段の段数が、そのまま勝者と敗者の隔たりとなった。

 背後で畔蒜が戸惑っている気配を感じたが、意に介している余裕など吹き飛んだ。


「穂積っ」


 加連は駆け上がった時と同様に、階段を飛ぶように降りた。穂積の脈拍を調べ、呼吸を確認したが、彼はすでに物言わぬ亡骸と化していた。

 出血はない。転がり落ちた際、最後に一際重たく鈍い音がした。生命力というのは強靭だが、打ち所が悪ければ呆気なく途切れてしまう。そんな悪意のような矛盾を抱えている。


「死んだ……。こ、殺してしまった?」


 まるでスイッチが入ったように、加連の膝がガクガクと震えた。膝だけではない。指先まで振るえ、制御できない動きが穂積の遺体にまで伝わり、触れている彼の肩まで振動した。


「加連さんっ」


 畔蒜が降りてきた。


「殺してしまった。俺が……抵抗したからだ」


「正当防衛よ。ああしなきゃ、加連さんが殺されていたかも知れない。彼、完全に常軌を逸していたから」

「しかし……」

「しっかりしてっ」


 畔蒜がピシャリと言い放った。四散し迷走していた気持ちが、一点に収束する力を持った一声だった。


「それに忘れないで。ここはサンクチュアリ。仮想空間でしょ。保積はリタイヤしただけだよ」


 サンクチュアリ? 仮想空間? それは加連の頭にゆっくりと浸透した。あまりのショックで、臨床試験中であることを、すっかり失念していた。


「……そうか。仮想空間か。今起こっていることは現実じゃないんだよな」

「そう。単なる電気信号よ。穂積の疑心暗鬼も混乱も、リブルティアにとっては想定内のはず。一つのデータに過ぎない」


 畔蒜は滔々と諭した。だが、加連には、説明の後半はほとんど聞こえていなかった。これは現実に起こったことではない。そのことを思い出し、全身が弛緩しそうな安心に、力が抜けきっていた。


「そうか……。そうかぁ……」


 加連は放心した状態だった。動かぬ穂積を見下ろし、うわ言のように繰り返した。

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