第16話 監視者

 畔蒜と神谷の様子が普通ではなかったので、呼ばれた星埜はすぐに察しが付いたと言った。その星埜は今、割られた窓を凝視して、深い呼吸を繰り返している。


「……窓が破られた時、七尾さんは気付かなかったのでしょうか」

「だからやられたんだろ。この野郎、なにが生き延びるのは僕、だ」

「加連さん。扉に鍵は掛かってなかったんですね?」


 質された加連は、発見時の詳細を語って聞かせた。


「ああ。障害物も置いてなかった。つまり、犯人は窓から侵入して、扉から出ていったということだろ?」

「そうなります。そうなるんですが……」

「なんだよ?」 


 穗積が突っ掛かる。煮え切らない星埜に怒りをぶつけることで、怖いのを紛らわそうとしているのだ。


「これだけ派手に破られて、気付かないものでしようか。納屋の中とはいえ、殺人犯が彷徨いているんですよ? 神経が過敏になっていたはずだと思うんですよ」

「ふんっ」


 保積は鼻にも引っ掛けなかった。


「おおかた、こいつの言ってたゲームなら納屋が安全地帯だったんだろうよ。サンクチュアリでも通用すると考えて、安心しきってたんだ」


 保積の説は強引な気がしたが、加連はゲームはやらない。なんとも言えなかった。


「ここは現実と変わらないという設定を見逃したってのか? 彼がそんなに迂闊かな」

「迂闊だったんだよ。こいつ、いかにも社会に揉まれないで生きてきたって感じだったろ。そういう奴は、自分の枠でしか物事を考えられない。要するに浅はかだったってことだよ。いるんだよ、そういう奴」


 保積の前に鏡を置いてやりたかったが、現時点では反論する材料がない。飲み込むしかなかった。

 星埜も加連と同様に、他の推理は展開できなかった。七尾の愚鈍な言動を頭に描き、納得するしかない。

 脅威なのは、犯人役の行動力だ。ここまで屋敷に接近して七尾を仕留めたなら、加連たちだって安穏としていられない。それなりの対策は講じているが、この犯人に対しては、今一度練り直す必要がある。

 加連は、星埜に相談を持ち掛けた。彼は当然のように頷いたが、その前にやることがあると、壁に立て掛けてあるシャベルを掴んだ。


「ここに埋めるのかよ? 屋敷のすぐ裏だぞ」


 保積は嫌がったが、他に選択肢はない。


「納江さんが眠っている花畑まで運びますか?」


 星埜は辛辣に保積を黙らせた。

 加連は口や態度には出さなかったが、土を掘り返す重労働を思うと気持ちが萎む。肺の奥から吐息を漏らすのを止められなかった。



 七尾の埋葬は、納江の時以上に大変だった。不健康に肥えているのもあったが、当然ながらまったく力んでいない。自ら姿勢を変えたり力を伝達しない人間は、ひどく運びづらかった。テレビなどで死体が重たいとの台詞を聞いたことがあるが、その理由を思い知った。最後には転がすように穴に落とすしかなく、申し訳なさから土を被せる作業は手早く済ませた。

 加連たちが四苦八苦している間に、畔蒜と神谷がお茶の用意をしてくれた。

 シャワーで汗を流して、冷たい緑茶で喉を潤したのは、正午近くだった。飲み物を用意したついでに、昼食は軽いもので済ませた。二度目であるせいか、遺体処理後の食事でも納江の時よりも抵抗がなかった。人はどんな環境にも慣れると聞いたのを思い出した。


「……犯人は、どうして七尾が納屋に隠れるってわかったんだろう」


 加連は誰かからの返事を期待して、誰とも目を合わさずに質した。

 クッキーを咀嚼する音が止まった。星埜が茶で唇を湿らせてから、例の落ち着いた口調で喋りだした。


「七尾さんを狙ったわけではないと思います。たまたま七尾さんが独立したんで、チャンス到来と襲ったんです」

「つまり、犯人は屋敷を見張ってたと?」

「そうなります」

「マジかよ」

「気持ち悪い……」


 保積と畔蒜が、同時に嫌悪感を露にした。


「今も見られているんでしょうか?」


 神谷の呟きに、加連はぎょっとした。確かにその可能性はある。


「恐らく、それはないと思います。犯人はまたどこかに身を潜ませたんじゃないかな」


 星埜はクッキーに手を伸ばした。神谷を安心させるために嘘を吐いたわけではなさそうだが、保積は根拠を追求した。


「なんでだよ。なんで、そう言える?」

「畔蒜さんと神谷さんが、襲われなかったからです」


 質問をぶつけた保積より、加連の方が先に星埜が言わんとしている内容を理解した。


「そうか。俺たちは埋葬していたから、屋敷に明莉ちゃんたち二人しかいなかった。もし犯人が監視を続けていたなら、見逃すはずがない」

「……どんな奴なんだろうな」


 保積の呟きは、完全にメッキが剥がれていた。細い肢体は、朝より貧弱さを強調している。必死に張っていた虚勢が挫かれると、こんなにも弱々しく映るものか。


「リブルティアの回し者だとして、幾ばくかのアドバンテージはあると思いますが、けっしてモンスターを想起させる者ではないはずです。戦力に圧倒的な差があったなら、ゲームにならない。我々が反撃することも、想定されているはずです。畔蒜さんたちを襲わなかったのも、体力的、気力的なものが影響していたからかも」

「チートな能力は持っていないと?」


 加連はクッキーの欠片を口に放り込み、星埜は自信なさげに頷いた。


「犯人役からすれば、我々こそ脅威なはずです。七対一ですから。懸命に立ち回って、僅かな隙を突くしか戦いようがないように思うんですが」

「七尾みたいに独断で動かなければ、安心ってわけだ」


 星埜の説明に剥げたメッキを拾い集められたのか、保積は少し空元気を取り戻した。


「改めて用心しましょう。とくにお二方は、移動する際には必ず男性陣に声を掛けてください」


 保積が刹那だけ苦い表情を作ったが、畔蒜は気付かないふりをして素直に頷いた。神谷などは、カップを手に取ったまま固まっている。だが、今はその方がよかった。恐れはそのまま用心に直結する。力のない草食動物の方が繁殖に成功しているのは、ひとえに臆病さが生き残る武器になっているからだ。

 協議を続けた結果、犯人役の捜索などは行わず、やはり徹底した守備に尽力しようと決まった。七尾の失踪の時もそうだったが、この島で人一人を見つけるのは不可能だからだ。ましてや犯人役の者には、隠された洞窟や抜け道などが予め教えられている可能性だってある。固まって行動したところで、外に出れば狩られる側に回るのは避けられない。

 改めて、全員で屋敷の防御を固めた。二組に分かれて塞いだ窓をより頑強に塗り固めていく。

 半分も進んだ頃、加連の作業が少しずつ乱雑になっていった。防壁を強固にするに伴って、怒りの度合いも濃密になっていく。なぜ、こんな不条理な目に合わなければならないのか。怒りの矛先はリブルティアを通過し、倒産した会社、一向に回復しない景気にまで伸びた。不景気の洗礼を躱している者に言わせれば、努力が足らないのを社会のせいにするなと蔑むだろうが、経験しなければ身に染みこんでこない運命の激流というものは厳然と存在する。

 一度その流れに飲まれれば、いくら抗っても行き着くところまで身を任せるしかない。もがいてももがいても、あらゆるものに嘲笑される。無駄な足掻きと思い知る。

 現在の我々の抵抗を見て、リブルティアの連中も笑っているのだろうか。仮想空間の中で、なにを必死に生き延びようとしているんだと。


「借金さえなければ、こんな仕事に応募しなかったのによぉ。こんなところとはさっさとおさらばして、賞金をせしめたいぜ」


 保積はすでに、成功報酬は金と決めつけている。彼の悪態は加連の耳を刺した。軽い侮蔑と共に共感も沸き上がる。加連にしても、金に逼迫しているから参加したのだ。立場的にもっとも近いのは、保積かも知れない。彼の場合は自業自得な背景も憶測できるが……。貧窮の同志が近くにいても、なんの慰めにもならない。加連は再び己の人生を振り返ることに没頭した。

 熱い妄想は事態を遠ざけ、頭の熱が冷めた頃には、補強作業は終わっていた。驚いたことに、加連には作業内容のほとんどが記憶に残っていなかった。

 一瞬だけ、頭に異常が生じているのかと背筋が冷たくなった。すぐにそれだけ理不尽な思いをしているからだと、気を取り直した。

 最終チェックは念入りに行った。昨日も手を抜いたわけではないが、さらに守りを強固にしたことで、ちょっとやそっとのことでは窓から侵入できない。全員が納得したところで、やっと補強作業が終了となった。



 畔蒜は月明かりを頼りに、慎重に暗闇の中を進んでいた。喉の乾きが耐え難いほどになり、早く水を飲みたいと気が急く。

 犯人侵入を防ごうと即席で設けられた障害物は、静謐な屋敷には不似合いだった。遮られた窓から注がれる月光は歪で、心理的圧迫となり畔蒜の深層にまで染み込んでいく。

 月の光は癒しの象徴なのに……。

 畔蒜は自分が思っている以上に緊張しているのを自覚した。こんな作りものの世界で怖がらなくてはならないなんて理不尽だと思い、すぐさま食い込むような恐怖を求めてゲームに没頭することもあるではないかと自嘲した。

 彼女は、以前の仕事を辞めてからアルバイトを転々としていた。夢を置き去りにして以来、畔蒜はすべてにおいて無気力で、ただ命があるだけの生き物だった。

 気力がなくても腹は減る。命ある限り食糧の摂取は必須だ。金銭が心許なくなり、再就職しようと求人サイトを覗いたら、このアルバイトが目に入った。提示された額は魅力的で、本格的に就職する前の一時凌ぎとして、応募したのだ。本腰を入れての就職活動は、もうちょっと先延ばしにしたかった。

 生きるためには収入が必要だし、収入を得るためにはどんな形であれ活動しなければならない。引きこもるつもりは毛頭ないが、もっと具体的な未来像が欲しかった。なんの目的もなく仕事に就いても長続きしないのは、今までのアルバイトで思い知った。嫌でも毎日は繰り返される。その中で生き甲斐になる刺激が得られる生き方とはどういうものか。答えを見出だせないまま、リブルティアの門を叩いた。望んだ刺激は得られたが、これはあまりにも……。

 冷蔵庫を開け、ミネラルウォーターで乾きを癒した。その爽快感に、改めて仮想空間の凄まじさを思い知る。少し気を緩めると、ここが仮想空間であることを忘れる。サンクチュアリの恐ろしいところだ。

 怖かった。怖くて怖くて仕方がなかった。先の展開がまったく読めない。なにをしても屈辱として刻み込まれるだけだと忌み嫌った日常が、こんなにも貴重だったと思えるとは。

 肚を決めなくてはならない。これからは、一挙一投足に神経を削らなければならない。油断したら間違いなくやられてしまう。ここが仮想空間だとしても、リアリティを究極まで追求しているのならば、今際の際の苦痛だって本物に違いない。そんな悪夢を経験して、精神に異常を来さない保証などどこにもないのだ。

 飲んだばかりの水が汗となって、彼女の背中を湿らせた。

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