第15話 二人目
七時に神谷が降りてきて、慌てて畔蒜の手伝いを始めた。保積が降りてきたのは八時近くになってからだ。保積はあまり眠れなかったのか、顔が青ざめて歩き方もぎこちなかった。彼にこそコーヒーが必要だ。
「七尾さんにも起きてもらいましょう」
星埜が言うと、髪を乱したままの穗積が気色ばんだ。
「ほっときゃいいじゃねえか。別行動を取るって本人が言ったんだからよ」
保積は半ば意地になっている。星埜はそんな保積を宥めた。
「食事は、大勢で食べた方が美味しいですから」
「私たちのサンドウィッチは、1人で食べても美味しいよ。ねっ」
畔蒜が神谷に同意を求め、神谷は遠慮がちに頷いた。みんな空気が重たくならないよう、気を使っている。
「俺が起こすよ」
加連は憮然とする保積の横をすり抜け、階段を上った。
「七尾、起きろ。飯くらい一緒に食おう」
扉をノックするも、反応はなかった。
「おい、七尾」
今度はやや乱暴にノックしたが、やはり返事はなかった。
その様子を黙って見ていた星埜に、畔蒜は話し掛けた。
「彼、昨夜の夕飯にも手をつけてないんだ」
星埜は、畔蒜の目を見つめ返した。
「午前二時過ぎだったかな。トイレに行こうと下に降りたら、テーブルの料理がそのままでさ。冷蔵庫に入れといたんだ」
「冷蔵庫にしまった料理もそのまま?」
「そう。彼が食事を抜くって、ちょっと考えられないでしょ」
「加連さん。ドアを開けてください」
星埜は加連に指示しながら、自らも二階に上がった。
「しかし」
「構いません。なにか変です」
加連は星埜から発せられる熱を感じ取り、ドアノブを捻った。当然、鍵が掛かっていると思っていたが、扉はなんの抵抗もなく開いた。何回も扉越しに呼び掛け、ノックをしたのが馬鹿らしく、拍子抜けした。
「七尾?」
遠慮の箍が外れた。反応を待たずに奥まで入った。部屋は空だった。人がいた際に生じる、独特の空気の淀みも感じられなかった。
「あいつ、部屋に閉じ籠ってたんじゃないのか?」
シーツは乱れていたが、温もりはない。もう何時間も前から不在だったことを示唆していた。
「保積さん。地下室を見てきてください」
星埜は階下に向かって声を張り上げた。彼が地下室を調べさせる理由はすぐにわかった。一階は加連たちが起きる前に、戸締まりを確認するために一通り見たと言っていた。
「ああ? なんで俺が」
「いいから。行くよ」
畔蒜に促された。腹立たしくはあったが、女を先に立たせるほど情けなくはない。保積の矜持は、そこまで枯れていなかった。
降りたのは保積だけで、畔蒜は首を伸ばして様子を伺った。地下室は食糧の保管に使われており、それほどのスペースはない。二人で降りると窮屈に感じてしまう。
「どう?」
「いねえよ。でも、変だな」
「なに?」
「缶詰めや飲み物が、ごっそり減ってるぜ?」
「なにそれ」
「まんまだよ。あいつが持ち出したのか?」
「とにかく上がってきて。星埜さんたちに知らせなきゃ」
畔蒜は保積が上がってくるのを待たず、リビングに戻った。
「可愛くねえ女……」
保積は照明を消して、地下室を後にした。
情報を擦り合わせて、七尾は食糧を持って屋敷を出ていったという結論に至った。屋敷にいるよりも、身を隠した方が襲われる可能性が低くなると考えての行動だと思われた。
「やりようはあるって、隠れることだったんですか?」
神谷は少し落胆した。攻略法などと大仰に言うからには、もっと積極的な手段があるのだと、密かに期待していた。
「あいつに、野宿する根性なんかあるかよ」
保積の意見には頷けるものがあるが、屋敷内にいないのも厳然たる事実だ。それに、人は見掛けによらない。彼がサバイバルゲームに精通していて、野宿などお手のものという可能性だって皆無ではない。
「……しかし、困りましたね」
星埜の呟きの意味は、手に取るようにわかった。この島で人一人を探し出すのは不可能だ。見つけられるほどの敷地しかない島なら、七尾よりも犯人役の人物を探している。
「探すのは無理か……」
加連の消極的な確認を、星埜は頑強に固めた。
「無理ですね。彼が家出少年みたいに、見つけてほしくてわざと痕跡を残していない限り」
「じゃあ、放っておくしかないの?」
「彼は協力を拒み、出ていったのも自分の意思ですから。見つけられたところで、素直に帰ってくれるか……」
「割りきってるんだ」
畔蒜の言い方には、小さな棘が含まれていた。星埜を批判するより、彼女自身が抱いている苛つきが、つい出てしまった感じだ。
「彼は彼のやり方で、この世界に挑戦しているということです。生き残りゲームとして受け止めるならば、彼のやり方は間違っているとは断言できません」
「……一通り、屋敷の周りを見てこようか。もしかしたら、その痕跡ってやつが見つかるかも知れないしさ」
加連は、なにもしない選択肢を避けた。半分は冗談だったが、もう半分は彼の幼稚さに期待した。本当に追跡可能な目印を残していたなら、まだ交渉の余地はあると受け取れる。
保積はほっとけと繰り返したが、星埜は賛成も反対もしなかった。加連の意思を尊重する姿勢を保っていた。
「行ってくる」
エントランスに向かう加連に、星埜は警告を放った。
「一人では危ない。僕も行きましょう」
立ち上がろうとするも、神谷が彼を遮った。
「私が一緒に行きます」
本当なら星埜に来てもらった方が心強いのだが、神谷の含みのある目を見た加連は、彼女の申し出を受けた。
「じゃあ、明莉ちゃんに来てもらおうか」
「明莉ちゃんは、家の中にいた方がいいんじゃないの?」
畔蒜の心配は当然だった。犯人役が強引な手段に訴えるなら、まず力が弱い女子供を狙う。だが、残りは五日間ある。屋敷から一歩も出ないで過ごすのは無理があるし、とっさの事態にも動けるよう、心の準備運動とも言える行動は必要だ。
「彼女もここにいる以上、いろんな経験をしておいた方がいい。大丈夫。俺がいる限り、滅多なことでは襲われないさ」
「いっそのこと、全員で行きましょうか」
加連は、星埜の提案に苦笑した。屋敷を一周するだけだ。全員揃っては、いくらなんでも大袈裟だ。
「屋敷を空にするのも怖いし……」
「私が行くよ。三人なら平気でしょ」
畔蒜が立候補した。彼女は他の意見が出る前に、さっと加連の横に立った。
加連が星埜の様子を伺うと、アイコンタクトで了解の意を伝えてきた。
「行ってくる。すぐに戻ってくるから、先に食っててくれ」
「私たちの分まで食べちゃ駄目だからね」
「行ってきます」
加連たちは連れだって屋敷から出た。この時、加連は深刻には考えていなかった。やるべきことはやったと主張できる事実を残そうとした程度だ。軽くでも見て回れば、後で七尾に絡まれた時にも堂々と言い返せる。そのくらいの気持ちだった。
表に出た三人を迎えたのは、深緑によって程よく冷やされた一陣の風だ。なびく畔蒜の黒髪に惑わされて、加連は目眩を覚えそうになった。
漠然と見るのと観察するのとでは、得られる情報量に大きな差が生じる。加連は足跡くらいは残っていないかと地面に注意して歩いた。
「なんか見つかった?」
畔蒜と神谷も、視線を巡らせながら付いてくる。
「ないね。彼は本気で雲隠れするつもりだ」
「五日間も一人で過ごせるものでしょうか」
神谷の疑問は、彼女の線の細さを強調させた。
「一人が好きな人間っているから。七尾はゲームが得意とか言ってたけど、ひょっとしたら引きこもりとか……」
「それは偏見じゃない? 私もゲームならそこそこやるし」
「軽率な発言だったかな」
畔蒜に戒められ、加連は肩を竦めた。
「明莉ちゃんは、なんで来たの?」
気まずくなったわけではないが、加連は話題を変えて神谷に話し掛けた。
「……私は、今の稼ぎが少なくて……。恥ずかしいんですけど、お金が必要で……」
「あ、違う違う。なんで七尾を探すのにって意味で」
加連は少し慌てた。人には踏み込んではいけない事情がある。今の短い説明だけでぼんやりとした背景は想像できてしまうが、全容を知ろうとは思わなかった。個々の背景など、打ち解けた者が言いたくなったら言えばよい。
「なんとなく雰囲気が尖ってるから、離れたくて……」
「わかる~。保積の奴、感じ悪いよね。どこにでも一人はいるんだ。ああいうの」
感じが悪いと思うのは、加連も一緒だった。彼には余裕がない。心が弱い人間ほど虚勢を張るものだ。彼の粗雑さはそれ故だ。
余裕のある者ならすぐに見抜けるし寛容にもなれるが、人生の経験が浅い者からすれば、ただおっかないだけだ。他人の心の内まで気遣える人間など、そうそういない。
あまりにも粗い態度を続けていると、いずれ人は離れていってしまう。人が怖いのなら離れるのは望むところと思うだろうが、今度は孤独に耐えられなくなる。弱い人間は集団にも孤立にも馴染めないのだ。七尾はどうかわからないが、保積は孤独に耐えられないタイプだ。彼は自分が周囲の人々に甘えているのだと気付く日が来るのだろうか。
この島に名があるのか知らないが、警戒をほどくほど穏やかな表情を見せている。日光は森に中和され優しく降り注ぎ、耳に触れる程度の波の音は、焦りを薄めてくれる。穿った見方をすれば、島全体が被験者を油断させる罠になっているとも考えられる。
張った気が緩くなりかけた時、神谷が足を止めた。
「……あの窓、割れてましたっけ?」
神谷が指差したのは、屋敷の裏手に位置する納屋だった。納江を埋葬するためのシャベルが置いてあった場所だ。
加連の腕が、瞬時に粟立った。窓が割れていたかは覚えていないが、理屈抜きの危機感が生じる。精神に食い込む杭を打ち付けられた。
同時に、己の考えの浅はかさを思い知った。サバイバルゲームだと? 彼は砂浜から屋敷まで歩くのにすら息を切らしていた。山の探索を辞退するほど体を動かすのを嫌がっていた。保積の言った通りだった。やはり七尾に野宿など無理だった。納屋に身を潜ませ、やり過ごそうというのが、彼が思い描いたクリアの方法だった。彼の幼稚さに相応しい、思慮が足りない単純な手段といえた。
そして、その納屋から異様な醜さが滲み出ている。
「……二人はここにいて」
「加連さん」
神谷が付いてこようとしたが、畔蒜が押し留めた。
揺れる木漏れ日が当たる納屋は、それ自体が小刻みに動いているように見えた。なんの変哲もない納屋が、急に近寄りがたい魔窟へと変身する。
「七尾、いるのか?」
返事はない。壁を隔てた向こうに、人の気配も感じられなかった。
屋敷の部屋と違って、遠慮はしなかった。加連は身構えながら扉を開けた。
「七尾?」
臨戦態勢を取りながら、小屋の中に足を踏み入れた。
「ううっ!?」
赤く染まった床は視覚的な暴力となり、加連の頬を思い切り叩いた。缶詰めやペットボトルが散乱している中央に、七尾が倒れていた。後頭部に斧が食い込んでおり、異形のオブジェクトと化している。
「くそっ!」
加連はおぞましい光景に耐えきれず、納屋を飛び出した。近くの幹に手をついて腰を折り、荒い深呼吸を繰り返した。
「加連さんっ? どうしたのっ」
「来るなっ」
畔蒜が近づこうとするのを、加連は手を上げて制した。
「来るんじゃない。二人で戻って、星埜さんと保積を呼んできてくれ」
「でも、加連さんが……」
「早くするんだっ」
加連の激昂は、納屋の中の惨状を想像させるのに充分だった。中を見なくともわかる。七尾が二人目の犠牲者になったのだ。
畔蒜は神谷の手を取って、来た道を駆けていった。
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