第14話 静寂

 小さな島といっても、青ヶ島を一回り小さくしたくらいの敷地はある。星埜が以前に訪れた時の眺望に近かったから、そんなものだと言っていた。

 たった五人で捜索できる広さではない。加えて、島には山もあれば森もある。犯人役で投入された人物がいたとして、身を潜める場所を探り当てるなんて不可能だ。

 下手に歩き回るのは、待ち構えている獣に餌を放り込むのに等しい。危険と判断して守りに徹する方針に決めた。

 手分けをして屋敷への侵入を防ぐべく、窓の補強をすることになった。補強と知っても手頃な材料が見つからなかったので、納屋にあったビニール紐で窓が開けられないようにしただけだ。ひどく単純だが効果はある。強引に入ってこようとしてもワンテンポ遅らせることができるし、音を立てずに忍び込むのも簡単にはいかないよう、小物も配置した。

 星埜が一人になるのはまずいと念を押すので、作業は二手に分かれて行われた。少ない家具を希望に沿った位置に配置しなければならなかったので、何度かやり直す必要が生じたり、意外と重量があったりと、予想していたより時間が掛かってしまった。侵入可能と思われる窓すべてに細工が施された時には、午後三時を過ぎていた。


「あとは七尾さんの部屋だけですね」

「ほっとけよ。あいつは別行動を取るって、はっきり言ったんだ」


 やはり彼に対する反感が根っこに残っているのだろう。保積はばっさりと切り捨てた。


「でも、彼の部屋から侵入されたら、我々にとっても脅威になります」

「そんときゃ、あいつの太った体が障害物になるだろ」


 笑えないブラックジョークだった。たしかに犯人の侵入を知らせる警報にはなるだろうが、それは即ち七尾のリタイヤを意味するからだ。


「そう割り切るのも、冷たいです」


 保積のつれなさをやんわりと戒め、星埜は扉をノックした。


「七尾さん。星埜です。開けてくれませんか」


 返事はない。


「屋敷の窓をビニール紐で結わえ付けて、簡単には空かないようにしました。障害物を置いて、犯人が侵入しにくいようにもしたんです。七尾さんはなにか対処してるんですか?」


 やはり返事はなかった。


「七尾さん、開けますよ」


 星埜はドアノブを捻った。しかし鍵が掛かっており、ガチャガチャと音を立てるだけで終わった。星埜が振り返り、一同と視線を絡ませた。加連の胸に雲が立ち込めた。


「七尾さん。いるんですか? せめて返事してください」

「かまわない。ドアを破ろう」


 加連が焦れると、部屋から怒鳴り声が聞こえた。


「うるさいなっ。ほっといてくれよっ」


 必死に発しているのにドアに跳ね返されるほどの細い怒号は、さっき見せた靦然たる態度とは程遠かった。七尾の胸中は計り知れないが、室内にいることだけは確認できた。


「もう少し時間を置きましょう。下手にしつこくすると、却って捻れてしまいます」


 結局、七尾は夕食にも降りてこなかった。さすがに心配よりも不快な思いが先に立ち、一度声を掛けただけで済ました。意地になっているというより、啖呵を切った手前、顔を突き合わせる気まずさがあるのだろう。全員の分を片付けた後、神谷が七尾の分だけをテーブルに用意した。

 食事の後はトランプに興じたり、酒を楽しんだりして、数時間過ごした。納江がいない分、笑い声が薄くなっている。みんな敢えて口にはしないが、納江の不在を意識している。彼女のリタイヤは単なる警告ではなく、一緒にクリアできなかった申し訳なさを押し付け、心に影を落としている。我々はライバルかも知れないが敵ではない。協力を示さない七尾の姿勢には、理解を越えた不気味さがあった。

 リラックスしながらも軽い緊張感からは解放されない奇妙な重たさに、日中に培われた疲労が加わり睡魔を誘う。

 神谷が自室に戻ったのを機に、解散の運びとなった。


「結局、七尾は出てこなかったな」


 加連が星埜に耳打ちした。


「我々が部屋に戻ったと知れば、出てくるでしょう。食事が用意されているのに空腹に耐えられる人間なんていません。彼の場合は特に、でしょ」


 星埜も小声で答え、視線を七尾の部屋に向けた。破ろうと思えば可能な扉は頑強な防壁となって、七尾の気配を完璧に封じていた。



 七尾は頼りない灯りをぼんやりと眺め、今回のアルバイトに参加したことを後悔していた。

 彼の人生は苦痛の連続だった。コミュニケーション能力が、他者に比べて圧倒的に不足していた。学生時代は常にイジメの対象として狙われていた。社会に出てからも似たようなもので、対人関係の苦痛から逃れられたのは、働くのを止めてニート生活を選んでからだった。

 人と関わらない生き方は非常に快適で、七尾の生活はあっという間に堕落した。なにしろ、日がな一日ゲームに興じていればよいのだ。

 食事は母親が運んだもので済ませた。いかにも栄養バランスに重きを置いた内容で、野菜を多用したおかずは、ちっとも食欲が湧かなかった。どうしても内容が気に入らなかった場合は、コンビニやファーストフード店に買いに行かせた。菓子パンやカップラーメンなどの、いわゆるジャンクフードが彼の好物だった。

 七尾の堕落振りを見かねた父親から、扉越しに文句を言われたことが何度かあった。しかし、ことごとく無視した。生んだなら面倒を見るのは当たり前だ。おまえらが享楽を貪り合った結果が僕だろう。世話が大変だから嫌になったなどと、到底受け入れられない理屈だ。身勝手極まる。

 自己弁護の城壁を築いた生活は、昼夜が完全に逆転した。そんな頃だ。オンラインゲームで知り合ったペッパーなる人物から、完璧な仮想空間を体験できるアルバイトの噂を聞いた。

 ペッパーとは、当然ゲーミングネームだ。だから素性は何も知らない。どこに住んでいるのか、年齢はいくつなのか、性別すらわからなかった。それでも、これまで何度かアバター同士で接触しており、今や親以上に会話が弾む相手だった。けっして正面を向き合わない、ネットを介しての交流は心地好かった。

 最初は何気ないお喋り程度だったが、ペッパーの語り方の熱量が半端ではなかったのと、ペッパー自身も応募したと聞かされたので、心が動いた。求人サイトを覗いて可能空間なる単語を見つけた時、強烈な興味を抱いた。まるで誘導されるように応募し、そして受かった。

 参加者の中にペッパーはいるのだろうか。交わした会話からでは、男とも女とも判断できなかった。だが、それはペッパーだって同じことだ。

 なんの娯楽もない部屋で、一人でじっとしているのは、想像以上に苦痛を伴った。全員が寝静まったら、娯楽室に暇を潰せるものがないか漁ってみよう。

 貧乏揺すりだけが慰めになった頃、外に人の気配がした。また出てくるよう説得に来たのか。

 七尾は姿見えぬ相手を鼻で笑った。

 両親の説得にも折れなかった僕が、他人の声に耳を傾けるわけないだろう。誰だかわからないけど、ご苦労様だ。

 扉をノックされるのを待ち、七尾は我知らず貧乏揺すりをやめていた。



 翌朝、加連は重たい体を無理やりベッドから引き剥がした。いつ眠りについたのかわからず、時刻もまだ六時を過ぎたばかりだ。神経が昂ぶっているのだ。

 筋肉痛の心配をしたが、軋む箇所はない。日頃から肉体労働に従事している効果か、それとも、サンクチュアリも筋肉痛までは再現できないのか、どちらのお陰かはわからなかった。

 階段を降りる。星埜が椅子に座ってコーヒーを飲んでいた。


「おはようございます」

「おはよう。星埜さん、早いね」

「目が冴えてしまって」

「ずっとリビングにいたの? 一人で」

「その前に、屋敷の戸締まりをチェックして廻りました。一応、ね」

「問題なかったでしょ?」

「ええ。加連さんもコーヒー飲みます?」

「うん。もらおうかな」


 星埜は腰を上げてキッチンに入った。計量スプーンを使わず、コーヒー豆の袋から直にミルにざらざらと流し込む。

 てっきり余っているものを注いでくれると思ったので、加連は慌てた。


「そんな。自分でやるよ」

「コーヒーを淹れるのは慣れてるんですよ」

「そうなの?」

「小説を書くときは、いつも一杯淹れます。ブルーマウンテンなんて高級な豆は買えませんが、コーヒー豆専門の、美味しいブレンドを提供してくれるお店を知ってまして」


 言うだけあって、動きに淀みがない。湯を注がれた豆ががぶわっと膨らみ、鼻腔を喜ばせた。


「今回のことを小説にすれば?」

「そのつもりです。言ったでしょう。面白い経験が欲しくて、今回の試験に参加したって。しかも、こいつは滅多なことでは得られない貴重な経験です」

「いずれは、一般化されるであろうシステムだよ?」

「情報は鮮度が命です。先んずればってやつですよ。加連さん、抜け駆けなんかしないでくださいね」

「俺は小説なんか書けませんよ」


 星埜がちらりと見せた意地汚さは、却って彼の人間味を感じさせた。


「そういえば、まだ成功報酬がなんなのか知らされてないな」

「クリアした時にわかる仕組みになってるんでしょうか」

「星埜さんは、なんだと思う?」

「さあ……。単純に金銭なら話は早いんですが、それだけとも思えない気もするし……」

「おはよー。わ、いい香り」


 畔蒜が降りてきた。加連と違って、背筋が伸びている。寝起きのだらしなさを部屋に置いてきたのは、いかにも女性らしい。


「今朝はご飯と味噌汁にしようと思ってたんだけど、パンが食べたくなっちゃった」

「畔蒜さんもいかがですか?」

「んん。朝食の時に頂こうかな。サンドウィッチでも作るよ」

「なら、俺も手伝うよ。具を挟むだけならできそうだ」

「料理ってのは、そんなに単純じゃないの。だから、のう……」


 畔蒜の口が途中で止まった。納江が男の調理場入りを拒否したのを、言おうとしたのだ。


「我々は、皿を並べるのを手伝いましょうか」


 絶妙なタイミングで星埜が話の接ぎ穂を見つけてくれたので、沈黙は通り過ぎてくれた。たった一日時間を共有しただけだ。だが、今回の仕事には、なにかしらの期待を抱いて集った仲間だった。納江を思う度に、リブルティアに対する腹立ちが起き上がるのを抑えられなかった。

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