第13話 亀裂

 テーブルを囲んでも、すぐに言葉を発する者はいなかった。畔蒜が作ってくれた料理は、とっくに冷めてしまっている。納江の埋葬を終えた後に、当たり前のように並べられた朝食は、悪い冗談を突き付けられているようだ。

 星埜の手には、メッセージの紙が握られていた。紙面の一点、生き延びろと書かれた部分を見つめる。


「リブルティアがやろうとしているのは、殺人ゲームみたいですね。どうりで、絶海の孤島を舞台にしたわけだ」


 星埜の分析は、室内の温度を確実に下げた。


「つまり……」


 加連は唾を飲み込んだ。喉がつかえて、上手く喋ることが難しいくらいだ。


「納江さんは一人きりになったから、AIだかコンピューターだかに選ばれたってことか? ゲームの被害者として?」

「一人きりになったから襲われたのは、同意しますが……」

「なに? はっきり言って」


 さすがに、畔蒜も余裕がなくなっていた。つい急かす言い方になってしまった。


「無作為に選ばれたというのは違うと思うんです。我々の他に、この世界に入り込んだ者がいるんじゃないでしょうか」


 星埜は全員の顔を覗き込んで「わかりますか?」と確認した。


「お、俺たちの他に島に潜んでいる者がいるってのか?」


 保積が反応し、それきり沈黙が降りた。当てられたわけではないが、加連も背筋をぴんと伸ばした。


「そうです。犯行はAIによるものではなく、面識のない第三者である可能性を言っているのです」

「そう考える根拠は?」


 加連の質問に、星埜は目を細めた。


「僕たちが寝かされている部屋には、ベッドが八つありました」

「あっ」


 複数の者が同時に声を漏らした。たしかにあった。収まりがよかったので意識もしなかった。加連たちがダイブした後にサンクチュアリを訪問した何者かがいても、気付きようがない。当然、そんな人物がいるとすれば、リブルティアと与する犯人役として潜り込んだのだ。状況を進行させるためのトリックスターとして。

 加連は頭に血が上り、顔が紅潮するのが自覚した。


「これは人権侵害だ。現実に帰してもらおう」


 立ち上がり、天井に向かって大声を張り上げた。


「おいっ。こんな話は聞いていないぞっ。サンクチュアリを止めろっ。一度現実に戻せっ」


 天井を見上げた姿勢でしばらく待ったが、反応らしきものはなにもなかった。ひどく間の抜けた静寂だったが、意に介している余裕などない。

 加連は、もう一度同じ台詞を叫んだが、やはり応える様子はない。ここは落とした石の着水音も聞こえない、あまりにも深い井戸の底だ。


「……説明では、心拍数や心電図のような数値は表示できても、心や気持ちを視覚化するのは無理と言ってましたね。聞こえていながら、無視している可能性も否定できませんが」


 星埜は淡々と喋っているが、要するに現時点では、こちら側から現実に戻る術はないということだ。


「死亡するのが、現実に戻る手段ってことか?」


 サンクチュアリが現実を追求しているなら、痛みや苦しみも味わわなければならない。納江は殺される苦しみを体験しながら目を覚ましたというのか。

 加連は全身が粟立つのを抑えられなかった。


「……食べながら話しましょう」


 星埜はパンをちぎって口に放り込んだ。


「こんな時に食事なんて……」


 加連の批難を、星埜は静かに受け流した。


「食べてください。ここで食べないと、現実でも栄養補給されない仕組みだったらどうするんです」

「そんな。そんなことするわけ……」


 加連の擁護は途切れた。この時点で、リブルティアがまともな組織ではないと思い知っている。ここにいる全員が、自由を奪われた囚人だ。

 星埜の言うことには説得力こそあったが、なかなか手を伸ばす者はいない。ただ一人、七尾だけは、お預けを解除された犬みたいに貪り始めた。


「話し合いたいのは、他でもない今後についてです。生き残りを掛けたゲームであるなら、これで終わりということはないはずです」

「ま、まだ人殺しが続くってのか」


 保積がカッブを手にしたまま固まった。


「それをさせないための対抗手段を練ろうというのです。ゲームである以上、勝ち負けはプレイヤー次第ですから」

「はじめから勝ち目のない設定だったら、つまり無理ゲーという可能性はないか?」


 保積は不安を隠そうともしない。縋るように星埜に確認する。その問いに、星埜はゆっくりと首を振った。


「それはないはずです。成功報酬をちらつかせているのなら、必ず勝てる方法があります。クリア不可能なゲームなんてナンセンスです。どう機転を利かせるか、我々はプレイヤーとして試されているんですよ」


 少しでも不安を取り除こうとする意図があるのか、星埜はゲームとかプレイヤーとかの単語を多用した。


「まず屋敷の戸締まりを徹底しましょう。外から容易に侵入できないよう、補強するんです。それから、なるべく全員で固まっていた方がいい」

「お風呂とかトイレとかは、どうすんの。あと寝る時とか」


 畔蒜が質すと、星埜は苦笑いで受け止めた。


「なるべく、誰かに声を掛けて一人になるのは避けるべきですね。就寝の際は、必ず部屋の鍵をかけること」

「待ってよ」


 七尾が話の進行を止めた。彼の料理はとっくになくなっていた。


「ゲ、ゲームであるなら、話が進まないやり方はよくないと思うんだけど」

「どういう意味です?」


 星埜が怪訝な面持になった。


「みんなで固まるなんてチートじゃん。犯人には手の出しようがない」

「そうですよ。それが目的です」

「だ、だから、それがよくないって言ってるんです。ストーリーが進行しなければ、ゲームは成り立たないんだから」

「……七尾さんは、犯人役の人が役目を果たせるように、お膳立てしてやれと言ってるんですか?」

「お膳立てとは言わないけどさ、ごく普通に生活してた方がフェアなんじゃないかなって……」

「しかし、リブルティアが求めているのは、現実的なデータですよ。殺人犯がうろついているとわかっていながらなんの対策も立てないというのは、些か常識的ではないと思うのですが」

「そ、そう言われれば、そうなんだけど……」

「みなさんは、どう思います?」


 星埜が落とした水は、鹿威しを響かせた。


「現実じゃないからといって、殺されるのは嫌だよ」


 畔蒜の至極まっとうな答えに、神谷も頷いた。加連も同様だ。


「各々が好き勝手に動いたとしてよ、おまえは犯人役に狙われて、やり過ごす自信があるのかよ? 」


 保積の問いに、七尾は鼻を膨らませた。


「ありますね。サバイバルゲームと割り切ってしまえば、攻略法はいくらでもあります。生き残るのは僕です」

「だったら、その攻略法とやらを教えろ」

「馬鹿なんですか? 僕たちはライバルなんですよ。敵に塩を送るつもりはありませんよ」


 七尾の険の含んだ態度に、保積から剣呑な気が滲み出た。この二人は最初から噛み合っていなかった。いわゆる反りが合わないというやつだ。


「おまえ、自分だけ生き残ればいいってのか」

「それが、このゲームの本質なんでしょう? 成功報酬は頂きます。早々に一人減ったのはラッキーでした」


 保積が勢いよく立ち上がり、七尾を殴り倒した。止める間もない出来事だった。


「ぐっ!?」

「きゃあっ!」


 七尾と神谷の悲鳴が重なった。床に転がった七尾は、鼻を抑えてうずくまっている。

 ここを仮想空間と割り切れる七尾と、境界線を越えるのを拒否し受け入れられない保積との差が明確になった。割り切り、なおかつゲームとしての進行を望んでいるのは、おそらく七尾一人だけだ。埋めようのない溝がはっきりした瞬間だった。


「いってえな……」


 七尾が呻いた。これまでと違って、地の底から這い出るような低い声だった。殴った保積の方が腰が引けている。


「保積さん、暴力は……」


 星埜が保積の肩を押さえる。星埜の行動に加連は違うと警戒心を強めた。押さえるべきは七尾の方だ。加連は七尾の背中から青白い炎が立ち上るのを見た。


「……僕は皆さんとは別行動を取らせてもらいます」


 七尾はゆらりと立ち上がり、階段を上がり始めた。


「待ってください。勝手な行動は統率を乱します」


 星埜の制止も、七尾には届かなかった。


「チームプレーは強制されてません。昨日は保積だって探索に加わらなかった」


 保積はぐっと詰まった。不参加を蒸し返されたからなのか、いきなり呼び捨てにされたからなのか、それとも両方か。


「一人では危険なのは、わかってるでしょう」

「言ったでしょう。やりようはいくらでもあるって。もう皆さんがどう動こうと口を挟みませんが、僕の邪魔はしないでください」


 七尾の背中からは拒絶の壁が築かれており、近づくのも憚られる雰囲気だった。


「これはゲームなんだ。何度言えばわかるんだ。頭悪いな……」


 微かに耳に触る侮蔑を吐いて、七尾はそのまま自室に入ってしまった。化学調味料を舐めたような、エグい味だけが残された。


「なんなんだよ。あの野郎……」


 保積の舌打ちも、弱々しく空回りするだけだ。限られた空間の中に複数の人間を閉じ込めると必ず諍いが発生するというが、最悪のタイミングで起こってしまった。

 星埜は軽く息を吐いた。


「仕方がありません。とりあえず彼は抜きにして、話を進めましょう」


 七尾を除いた全員が改めて席に着いたが、残された料理を片付けるほどの食欲はなくなっていた。

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