第12話 葬斂
重たい足取りで加連たちが屋敷に戻ると、畔蒜たちは蒼白で待っていた。神谷から納江がどういった状態だったのかを聞いたのだ。
まず畔蒜が駆け寄った。
「明莉ちゃんから聞いたんだけど……」
「ああ。納江さんは、こ……死んでいた」
畔蒜は両手で口を抑えた。神谷の話だけでは信じられなかったわけではないだろうが、加連が改めて断言したので、望みは完全に断たれた。
「マジかよ……」
保積は呆けた声で呟き、七尾に至っては声も発しなかった。
急転直下の出来事が重大性を帯び、加連の肩に圧し掛かった。なにか行動を起こさなければならないのに、なにから始めればよいのか皆目見当がつかない。ドライブ中に強引に車から降ろされ、濃霧の只中に立たされた心境だ。
「皆さん。落ち着いてください」
星埜は加連にしたのと同じように、畔蒜たちを諭した。
「死んでいたのは納江さんのアバターです。現実には彼女は生きています。今頃はリブルティアの休憩所で一息ついているんじゃないでしょうか」
「あ?」
保積には、星埜がなにを言っているのかわからなかったようだが、七尾はすぐに理解した。大袈裟な動作で立ち上がった。
「そうかっ。ここは仮想空間で僕たちは皆アバターだった。あまりにもリアリティがあるんで、すっかり忘れてました」
「そうです。つまり、納江さんは残念ながらリタイヤされたわけです」
「死亡イコールリタイヤ……。つまり、これが用意されたイベントってことか?」
保積がようやく話が飲み込んだ。理解したことで、さらに驚きを大きくしている。
「ちょっと待って」
畔蒜がはっとして星埜を凝視した。
「てことは、これで終わりじゃない。むしろ始まりってこと?」
彼女の想像は嫌な警告音となって、各々の頭に直接響いた。
「成功報酬をちらつかせたくらいです。そう考えるのが妥当でしょうね」
「でも……なんで美緒さんなんですか?」
神谷のか細い声が錐となって刺さる。彼女はまだショックから完全に立ち直っていない。いきなり死体を突きつけられただけでも冷静さを失うには充分なのに、それが知り合いの斬殺死体だったのだ。心臓を鷲掴みにされたみたいな体験だったであろうことは想像に難くない。
「おそらく、一人になったからだと思います。納江さんは我々から離れた。犯人からしてみれば、襲うのに絶好のシチュエーションが到来したということです」
「犯人? 今、犯人って言ったのか?」
保積の反論とも質問とも取れる噛みつきに、星埜は人差し指を立てた。
「納江さんは殺されていました。神谷さんも見ているし、僕も加連さんも見ました。間違いありません。あれは事故でも自殺でもない。殺人です。当然、犯人がいます。ここは仮想空間ですが、究極的にまで現実に則しているのであれば、そうでなくてはならない」
星埜にはすでに組み立てられた骨組みがありそうだったが、加連の脳内では納江の無残な姿が繰り返し浮上していた。落ち着いて聞く余裕が欲しかった。
「星埜さん。話を進める前に、納江さんを……」
「……そうですね。そうでした。アバターといえども、あのままでは不憫だ」
「裏に納屋があったな。シャベルがないか見てくる」
加連は出て行こうとするが、星埜は引き留めた。
「待ってください。一人になるのはまずい。保積さん、一緒に行ってください」
「シャベルなんかどうすんだよ?」
二人の会話を聞いていながら、少しも想像の線を引けない愚鈍さだ。加連に浸食した毒が濃度を増した。苛立ちを怒声に変換して説明した。
「聞いていなかったのか。納江さんを埋葬するんだ。あのままにはしておけない」
加連から熱波を浴びせられ、保積は弾かれた。一瞬でも怯えたのが彼の矜持に引っ掻き傷を負わせた。
「なんで俺が行かなくちゃなんねえんだよ」
「なんだと?」
「そ、そんなこと、おまえらが勝手にやればいいだろ……」
最後の方は聞き取れないくらい尻つぼみになった反発は、保積の器の小ささと度胸のなさを露呈させた。やはり、初日の探索に加わらなかったのは、臆病を無礼な態度で塗りたくってごまかしていたのだ。
「いい。私が行くよ」
畔蒜がずいと前に出た。
「いざって時に動けない奴を当てにしても、時間の無駄だから」
強烈な嫌味を残して保積を凹ませた畔蒜は、加連と一緒に出て行った。熱っぽいのに冷え切った空気の中、保積は立ち尽くした。
「保積さん」
「………………」
「埋葬には付き合ってもらいますよ。男手が必要ですから」
星埜の要請は冷めた空気よりもさらに冷ややかな響きを帯びて、保積の耳に滑り込んだ。
埋葬は男四人で行うが、神谷たちも同行した。誰も口にこそ出さないが、全員が固まることでお互いに危険から警戒できる。
畔蒜と神谷を森の縁に残し、加連たちは納江を取り囲むように立った。早くも保積の顔が青ざめている。実際に見るのと話を聞くのだけでは、情報量に圧倒的な差がある。朱に染まった花、嫌でも嗅がなくてはならない死臭。草原を走る風さえも、不吉な記憶となって脳の襞に入り込んできた。
「……どこに埋める?」
「このまま、ここに埋めよう。もう花を摘みに来ることもないだろうし」
加連の意見に反対する者はいなかった。
「い、移動させる手間も勿体ないしね」
七尾の軽口に、一斉に視線が集まった。七尾は一瞬たじろぐも、すぐに不敵な笑みを浮かべた。目が弓形に歪んだ、いやらしい笑みだった。
「これはアバターですよ? 星埜さん、さっきそう言いましたよね」
この瞬間、加連ははじめて七尾に薄気味悪さを感じた。一時期、ゲーム脳なる造語が話題となった。現在では様々な研究者などから批判され鳴りを潜めたが、好ましくない印象だけはいまだについて回っている。
「たしかに言いましたが、わざわざ手間とか口にする必要はないと思います」
星埜に抑揚はなかった。それでも批難されているのは感じたのか、七尾は憮然としてシャベルを地面に突き立てた。
「……現実に帰ったら、誰でもいい。リブルティアの職員をぶん殴ってやる」
保積の物騒な独り言の方が、よほど人間味があった。やるやらないは別として、心情的には加連も同じだ。
「………………」
沈黙の中、穴がどんどん大きく深くなっていく。加連の思考は、残りの時間を切り抜ける方法に飛んでいた。星埜は犯人がいなくてはならないと言っていた。仮想とはいえ行動を共にしていて、多少なりとも人柄なり性格なりは掴めつつあるが、各人の背景までは何一つ知らない。考えれば考えるほど這い上がってくる怖さがある。沈黙の重さも手伝い、何気なさを装って抱える事情への接触を試みた。
「七尾さんは、なんでこのバイトに? やっぱり時給がよかったから?」
星埜に批難めいたことを言われた後だったので、違う話題を振られた七尾は飛びつくように喋りだした。
「そ、そうですね。そうです。僕、なにをやっても要領が悪くて、長続きした仕事がないんですよ。半ば引きこもりみたいな生活を送ってて、両親に面倒見させています」
「見させている?」
加連は聞き間違えたのかと思った。面倒を見てもらっているではなく、見させているとは、どういった了見なのだろう。
「親が子供の面倒を見るのは当たり前ですから」
子供……。七尾はどう若く見繕っても三十代後半だろう。もう中年といっても差し支えのない年齢の大人が、赤面することなく自分を子供と位置づけている。加連は軽い衝撃を受けた。彼は児童養護施設で育ち、高校卒業と共に自立して生きていくのを求められた。一度も訪れたことのない国の人間に遭遇したみたいな戸惑いを覚える。
「ゲームを仕事にできたら、最高なんだけどな」
「最近では、プロゲーマーなる生業があると聞いてるけど……」
「ダメダメ。あいつら、勝たなきゃなんないから死ぬほど練習しているんだ。ゲームは楽しむものなのに、指先を擦り切らしてまで努力するなんて馬鹿のすることだよ」
仕事にしたいが頑張りたくはない。努力もせずに描いた通りの生き方ができると思っているのだろうか。他人に聞かせにくいことをさらりと言ってのけるのは、人生への諦念の為せる業か。七尾の語り口に重たさはなかった。
加連は密かに、この男とは距離を空けた方がよいだろうと思い始めていた。
「仮想空間って聞いた時には、呼ばれた気がしました。実際には頭を使ったり体を動かさなくていいってことですもんね」
言いながらも、七尾の息は早くも切れかかっていた。汗の量も三人の倍以上だ。苦しさが同じなら、仮想世界に逃げ込んでも一緒な気がしたが、口にはしなかった。この男とは根幹の部分で交わらない。努力とか奮励について話し合ってもこんがらがるだけだと、簡単に予想できた。
七尾は自分からは喋ることは少ないが、振れば訊いていないことまで話す。刺激を与えると反応する植物と一緒だ。そして、保積に部屋の件で悶着を起こしたことから、守る姿勢に関してはムキになる傾向がある。堅牢な臆病者と表すればよいのか。要領云々ではなく性格的に、サンクチュアリには長居できないのではないかと思わせる。
「保積は?」
「………………」
保積は加連の質問を無視して、黙々と手を動かしている。
「保積?」
「言いたくねえ。言う必要ねえだろ」
汗で前髪が額に張り付いているうえに、ずっと俯いたまま目を合わせようともしない。しつこくするのは得策ではないと、加連も深追いはしなかった。ただ、今のわずかなやり取りだけでもわかることがある。保積は常になにかに怯えている。昨日の探索拒否から始まり、一貫して面倒を避けている。そのくせ突っ慳貪な言動に終始しており、典型的な張子の虎だ。臨床試験に参加したのも、現実から逃避したいがための行動と考えるのは飛躍が過ぎるか。
納江の埋葬が終わった。花畑の中にぽっかりとできあがった四角い墳墓は存在感が強すぎ、土中に隠したはずの納江が主張して迫ってきた。
「……帰りましょう。今後のことで話し合いをしなければなりません」
汗だくになった星埜が、やるべきことはまだ終わっていないことを告げた。慣れない重労働から解放された安心感はまったくなく、腰を伸ばして仰いだ先には作り物の蒼穹がどこまでも広がっていた。
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