第9話 晩餐

 夕食時には、示し合わせたように全員がテーブルに座った。保積もちゃっかりと席に着いている。加連としては文句の一つも言いたいところだったが、これから食事だというのに空気を悪くするのは無粋だと我慢した。

 女性三人が用意してくれた夕食は美味で、侘しいコンビニ弁当の日々を送っていた加連には、どれもご馳走だった。


「現実の私たちって、今どんな状態なんだろう」

「どういうこと?」

「だって、仮想空間で食事したところで、満腹感は得られてもエネルギーになるわけじゃないし。そういう意味」

「栄養剤でも投与されてんじゃない?」

「点滴みたいに? それってやばいんじゃないの」

「看護師とか雇ってんじゃないかな。資格があればやっていいんでしょ?」

「たしかに、病院以外で働いている看護師もいるみたいだけど……。それにしても、美味しいですね。これが現実じゃないなんて、いまだに信じられない」

「僕はずっとこのままでいいな。ご飯はおにぎりとかカップラーメンばっかりだから……」

「栄養が偏っちゃいますよ」


 この世界に投げ込まれて、数時間を過ごしそれなりに馴染んできた。無言の晩餐にならずに済んでいる。これまでの体感では、一時間はきっちり六十分経過しているように感じた。本当に七日間ベッドに横になりっぱなしというわけはないだろうから、体内時計をも狂わされていると思われる。もしかしたら、終わってみたら一時間しか経過していなかったなんてこともあり得る。だとしたら、栄養補給など必要ない。

 食べながら夕食はそのまま報告会になった。得られた情報は少なく、七日間過ごすのに不便はないことや、屋敷の周囲に不審な点はなかったことなどが語られていった。保積にいたっては、ベッドの寝心地が最高と、なんの役にも立たない話だけだ。

 唯一、星埜が話した内容、ここが島だと判明したのが収穫だった。驚きの声こそ出なかったが、全員の動きが一瞬だけ止まった。


「……やっぱり島なんだ」


 畔蒜が、白身魚のソテーをフォークで刺した。


「どれくらいの広さだったの?」

「そこまで広くなかった。でも、七人で過ごすにはすべてのエリアを網羅するのは無理かな」


 加連の説明では要領を得なかったようで、畔蒜は首を傾げた。


「徒歩でも、二時間もあれば一周できるでしょうね」

「たった二時間? すごくちっぽけな島なんだ」


納江がワイングラスを口に付けた。先ほどから、結構なペースで飲み続けている。どのくらい強いのかは定かではないが、かなりの左党である。


「でも、山や森もありますから、立体的に考えれば広いとも言えます。自由に動け回れるけど、行動範囲に制限がある。リブルティアが求めた条件が、この孤島という環境なのでしょう」


 脱出不可能な孤島である点は、皆の不安を煽った。なにか対処を必要とされる出来事が起きることは、猪口から予告されている。


「外には、なんか怪しいもんはなかったのかよ」


 保積も納江に劣らず、酒を煽っていた。顔が真っ赤に染まっている。納江と違って酒豪ではなさそうだが、喋り方はまだしっかりしている。


「なんかって、なんですか?」


 七尾が訊き返した。


「なんかはなんかだよ。獣の声とか、見たこともない植物だとか……いかにもってのがあるだろ」

「そんなのあるわけないでしょ。サバイバルホラーじゃあるまいし」


 七尾の呆れ顔に、保積は声を荒げた。


「ここが仮想空間ってこと忘れてねえか? 現実じゃなければ、なんでもありだろが」

 保積は執拗に危険性を訴えてきた。そんな彼を見て、加連は合点がいった。

 保積の非協力的な態度は、臆病の裏返しだったのだ。彼はこの世界をゲームに例えた七尾よりも、遙かに想像を逞しく拡大しているのだ。根っからの小心者なのか、なにがなんでも途中退場は避けたいのか。おそらく両方だろう。彼は七日間のほとんどを自室に引き込もってやり過ごすつもりだろうか。


「怪物説はともかく、油断はしないでおくに越したことはないでしょうね」


 皆の視線が、一斉に星埜に集まった。彼の皿はきれいに片付けられていた。


「猪口さんが言ってたでしょう。仮想空間における、人の脳の動きを調べるって」


 星埜は一旦言葉を区切って、皆の反応を待った。


「ここに来てまだ数時間ですが、いろんな感情を抱きました。驚きや不安や安心や喜びなどです。今後は、さらに感情のバリエーションを増やすはずです」

「感情のバリエーション……。怖いとか悲しいとかですか?」


 神谷が、ナイフとフォークを置いた。


「ああ、ごめんなさい。そんな怖がらなくても大丈夫ですよ。なにが起ころうが、しょせん仮想空間での出来事です。ホラーゲームでビックリするのと同じですよ」

「私、ジャンプスケア駄目なのよね」


 納江は茶化す言い方をしたが、グラスに酒を継ぎ足す手が止まっている。彼女にも途中退場できない理由がありそうだ。


「びっくりしないためにも、ここの環境をもっと知っておく必要があります」

「でも、それだと臨床試験の目的から外れることになるんじゃないの?」


 畔蒜も食事を終わらせ、アルコールを入れる段階に入っている。ほんのりと染まった頬が、妙に艶かしかった。


「それは大丈夫でしょう。リブルティアが求めているのは、飽くまでサンクチュアリがどこまで現実に近づけているかです。なにかが起こるのがわかっていながら、なんの対応もしないのは現実的ではない」

「安全を確保するのも、立派なデータになるってわけ?」

「そういうことです」


 こんな会話自体が、現実からかけ離れていた。加連は、ふとここにいる全員の背景を知りたくなった。どのような理由があって今回の試験に参加したのか。そこまで考え、思考を中断した。考えたところで、詮索なんかできない。自分が訊かれても、口籠もってしまう。金が目当てなんてストレート過ぎるし体裁が悪い。落ちぶれてはいても、自らを貶めるまでプライドは捨てていない。


「明日は保積さんも参加してくださいね」


 星埜がにっこり促すと、保積は彼から目を逸らした。


「まあ、気が向いたら、な……」


 初日が終わりに近づいている油断からか、日中に見せた棘は幾分丸まっていた。保積の尖った態度が臆病から来るものなら、慣れれば解れてくるのは道理だ。その分、一度遠慮がなくなると増長するのも、こういった手合いの常套なので注意が必要だ。


「そういえばさ」


 七尾が、唐突に口を開いた。彼は酒は飲めないようだ。オレンジジュースを飲みながら、納江たちが酒のつまみに作ったナッツのハニーチーズカナッペを貪っていた。


「リビングにあったメッセージには、成功報酬の話が書いてなかったよね」

「……そうだな。聞いてるやつはいないのか? あんまり勿体振られると、興醒めしちまうぜ」


 保積の質問は、水面に投げ込まれた小石だった。互いに沈黙を守っているが、交錯する視線が複雑に絡み合った。

 ここに集まっている者は、仲間であると同時にライバルでもある。打ち解けていながらも、各々が虎視眈々と報酬を狙っている。もしかして、なかなか内容を明かさないのも、争いの火種にしようと意図してのことか。だとすれば、とんだ悪趣味と言わざるを得ない。


「それも追々わかるでしょう。明日もあります。今日は早めに休みませんか」


 星埜の一言で、軽い緊張は解かれた。晩餐後は各自が自由に過ごす流れとなった。

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