第7話 探索

 神谷と七尾とは、屋敷を出てすぐに別れた。


「あまり奥まで行く必要はありませんからね」

「わ、わかってます」


 七尾の背中は、いかにも頼りなさげだった。これが現実だったら森の入り口ですら躊躇するのではないかと思わせるほどだ。


「なあ、明莉ちゃんと彼の二人だけにさせて大丈夫かな?」


 離れたのを確認してから、加連は不安を口にした。


「大丈夫でしょう。屋敷から遠く離れるわけじゃありませんから。危険はないと思います」

「いや、そうじゃなくて……」


 七尾の神谷に対する視線に粘つくものを感じたのは、彼がゲーム好きと聞いて生じた偏見か。七尾はオタクっぽい雰囲気を醸し出しており、どこか偏向性を嗅ぎ取ってしまう。

加連の心配を知ってか知らずか、星埜は大丈夫ですよと繰り返した。



 七尾は落ち着かなかった。理由は他でもない。すぐ隣に神谷がいるからだ。神谷は学生か社会に出たばかりと思われるあどけなさを残しており、七尾からすればまだ少女といっても不自然ではない瑞々しさがあった。

 人格の深さは生きた年数に比例しない。どんな経験をし、恥や苦悩を次に活かそうともがいた頑張りが雰囲気に滲み出るのだ。その点において、七尾が醸し出す空気はあまりにも稚拙で、一回りも年下の神谷に対してでさえ、挙動がぎこちなくなってしまう。


「ここが仮想空間なんて、信じられませんね……」

「え?」


 七尾は思わず聞き返した。神谷の呟きが聞こえなかったわけではない。むしろ、彼女の軽やかな喋り方は耳に心地好かった。それでも問い返してしまったのは、相手にもう一度喋らせることで時間を稼ぎ、その間に会話のつなぎ方を考える彼の癖からだった。


「説明には聞いてましたけど、ここまで現実と区別がつかないなんて、夢でも見てるみたい。あ、ある意味、夢の中にいるといってもいいんでしょうかね」


 神谷も不安があるのだろう。自分に言い聞かせるように口数が多かった。返答もしないのに一人で喋ってくれる。七尾は次第に緊張が解れていくのを実感した。


「ぼ、僕も驚いた。ゲームや映画では実写と見分けが付かないくらいにCGが進化しているけど、体感までとなるとこれまでのバーチャル・リアリティとは一線を画する技術だよ」

「私はゲームはしないんですけど、やっぱりここまで凄いのは、世の中に出回ってませんよね?」

「出てないね。これが世間に発表されたら一大革命だよ。これまでの技術なんて、一気に過去のものになってしまう」

「そんな凄いものの開発に、私みたいな一般人が参加していいのかな……」

「一般人だからこそいいんだよ。ゲームテスターだって、アルバイトやパートが殆どなんだ。変に知識がない方が忌憚ない意見が出るから、僕たちも物怖じなんかする必要ないよ」

「七尾さんはコンピューターとかに詳しそうですね」

「ま、まあね。現実では外の景色よりモニターとにらめっこしている時間の方が長いくらいだから、視力が落ちちゃって適わないよ」


 モニターを長時間見ているのは本当だが、コンピューターに精通しているというのは嘘だった。モニターにかじりついているのは、MMORPGをプレイするためだ。チャット機能を使って、どこの誰とも知れないプレイヤーとの交流はあるが、何気ないつぶやきを投稿したり友人とのコミュニケーションを目的としたSNSには手を出さなかった。七尾にとっては、ネット上であれ人付き合いは忌避すべき行いだったからだ。

 この仕事を見つけたのは、オンラインゲームで知り合った者から教えられたからだった。このままずっと引き籠ったとしても、どうしても親の方が早く亡くなる。その後はどうなるのだろうか。漠然とした不安が首をもたげていたタイミングで誘われた。胡散臭さはあったが、親以上に気心を許していた相手から持ち掛けられた仕事だったので、求人サイトを覗いてみた。

 仮想空間なる単語に強く惹かれた。内容を読み進めていくうちに、名指しで呼ばれている気になった。面接に赴く際には、ありったけの勇気を振り絞った。

 卯月と名乗った面接官との質疑応答は燦々たる有り様だった。考えたことを上手く言葉にできず何度も流れを止めた。終了を告げられた時は、与えた印象など気にしなかった。ようやく息苦しさから解放される安心感で、逃げ出すように退室した。

 自宅に帰って母から手応えを訊かれたが、無視して自室に閉じ籠った。やはり自分に外界との接触など無理だと再認識し、久しく忘れていた胸の重みに押し潰された。

 だから、採用の通知が来た時には、容易には信じられなかった。なにかの手違いがあったのだと疑った。それでも、参加の意志を返信したところ、きちんと返事が戻ってきた。一生に一度訪れる幸運に恵まれたのだと、己を鼓舞してやって来たのだ。

 結果としては大正解で、七尾にしてみれば七日間といわず長期間の滞在を望むくらいだ。穂積というアホがいるのは不愉快だが、その他はまともそうだし、サンクチュアリにいる間は、楽しく過ごせそうな予感がした。


「明莉ちゃん……は、どうして試験に参加しての? 僕が言うのもなんだけど、かなり怪しげな内容だなって感じなかった?」


 神谷がまっすぐ視線をぶつけてきた。質問を押し返された気がして、七尾は内心怯えた。相手に拒否されるのは、彼にとって恐怖でしかなかった。


「いや、べつに言いたくなければいいんだ。みんな事情ってもんがあるだろうしさ。はは……」

「七尾さん、あれ」

「ん?」


 神谷が指さした方向に、一棟の納屋があった。屋敷の真裏に位置しており、森との境目にぽつんと建っていた。納屋といっても宿泊ができるほどのスペースを有しており、改修すれば立派な家になりそうな風格を湛えている。

 視線を移すと、屋敷に裏口があるのを見つけた。試しにドアノブを捻ってみると鍵が掛かっていたが、納屋の方はあっさりと開いた。


「中を確認した方がいいですよね」

「そ、そうだね……」


 本当は嫌だったが、女の子に促されては断れない。七尾は森が生み出す影に侵食された納屋の中に、そっと足を踏み入れた。



 外観に圧倒された屋敷だったが、調べてみるとコンパクトにまとめられているとの印象を受けた。余計な装飾や部屋はなく、七人が生活するのにあつらえたように思えた。

 納江は、会社の同僚と一度だけ赴いたペンションを思い出した。


「美緒ちゃん、地下室があるよ」


 畔蒜が驚きの声を上げた。元来が明るい性格なのか、彼女は楽しげに屋敷内を見て回っている。薄暗い地下室にも、物怖じせずに降りていった。納江も後に続いた。明らかに地上とは違う、ひんやりとした空気が沈殿していたので眉をひそめる。

 灯りを点けた。やや頼りない灯りは、今いるのが地下であることを、否が応でも認識させられる。すべての壁が品物でいっぱいの棚で覆われているのが確認できた。あまり広くない空間が、棚のせいで圧迫感を増している。


「これ、全部食糧だよ」


 畔蒜が缶詰を手に取って、納江に差し出した。思わず受け取った納江は、ラベルを読んだ。中身はオイルサーディンで、賞味期限はかなり先だ。

 缶詰から視線を棚に移した。缶詰の他にも、飲料水やエナジーバーなどの食品が陳列されている。いずれも保存が利くものであるのが気になった。保管されている食糧は明らかに過剰で、少なく見積もっても二ヶ月は保つのではないかと思われた。

 納江は、そっと缶詰を棚に戻した。


「……滞在期間は七日のはずだったよね」


 違和感を覚えた納江は、畔蒜に質した。


「そうだけど……?」

「それにしちゃ、量が多過ぎない?」


 畔蒜は、ぐるっと室内を見渡した。たしかに一週間分の食糧にしては大袈裟だ。七人分を想定しても、必要と思われる量を遥かに越えている。


「見映えを考えて置いたんじゃない?」

「見映え?」

「私もそこそこゲームやるけど、見た目が寂しくないように、オブジェクト代わりに荷物が置かれてるもの」

「ゲーム……」

「だって、ここは仮想空間。サンクチュアリだよ。あんまり深く考えることないんじゃない?」

「そうかな……」

「夜になったら、この缶詰を使って肴を作ろうよ。お酒もたくさんあるんだから」


 畔蒜が指を上に向け、バーラウンジを指した。納江は苦笑しながら、彼女の陽気さを訝った。たんに明朗なだけではなく、そこに空元気が混ぜられていると感じたからだ。


「さ、次行こう。キッチンに大きな冷蔵庫があったでしょ。中身を確認しなくちゃ」


 畔蒜は、納江を押しやるように階段を上がった。とたんに空気が日に晒されたに戻り、暖かく感じた。



 敢えて明るく振る舞ったが、畔蒜は地下が嫌いだった。

 華やかな世界を夢見て頑張ったが、努力は実を結ばなかった。迷走の果てにたどり着いたのはストリップと地下アイドルとの境界線が曖昧な舞台で、彼女は連日のように舐め回されるような視線を受けた。

 ファンといえば聞こえはよいが、畔蒜を性欲の対象としてしか見ていないのは明らかな男たちだった。吐き気を催す毎日だったが、マネージャーはそんな客を絶対に逃がすなと発破を掛けた。

 物販やツーショットチェキ、コンサートのチケットなどでノルマを課せられ、達成できないと自腹を切らされた。地下アイドルでの収入は惨めなほど低く、アルバイトをしても金銭の苦労は絶えなかった。ファンと濃密な関係を築いて投資させたり、怪しげな金融機関を利用しているうちに、借金は返済不可能な額にまで膨れていた。売れれば問題ないと、半ば自分に暗示を掛けての愚行としか言いようがなかった。

 全部まやかしだ。なにもかもが嘘だ。安っぽい舞台も、きわどい衣装も、狂ったような大声で応援する男たちも、私の人生も。

 支え棒が外れたのは、いきなりだった。ライブ帰りに公園に寄った。自販機で買った缶コーヒーでかすれた喉を潤した。缶を捨てようと、ゴミ箱めがけて放った。缶はゴミ箱に入らず、乾いた音を響かせて遊歩道に転がった。ロードバイクに乗った男性が、缶を避けながらちらりと畔蒜を見て走り去った。その瞬間、なにもかも投げ出そうと決めた。そして今、ここにいる。

 塗り固められた虚像から逃げ出したのに、今は正真正銘の幻の中に身を投じている。冗談のような話だが、とにかく再出発には金が必要だった。

 ここにいる間くらい、余計なことを考えるのはよそう。


「わ、すごい。冷蔵庫にも美味しそうな食材がぎっしり入ってる」


 納江は、冷蔵庫に顔を突っ込まん勢いで覗いている。


「どれどれ。今晩はなにを食べましょうかね」


 今しがた回想していたことは噯にも出さず、畔蒜も冷蔵庫を覗き込んだ。

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