第5話 聖域
屋敷は洋風で、どことなくイギリスの富豪が住んでいそうな外観だった。入ってみると、重たそうな扉から想像する圧倒されそうな雰囲気はなかった。屋敷内は明るく清掃が行き届いていた。エントランスホールは吹き抜けで解放感があった。足を踏み入れた者に好感を与える、さりげない趣向が散りばめられている。今にも執事やメイドが出てきて歓迎の挨拶をしても違和感がないくらいだ。
「なんかある?」
玄関脇にプレートが貼られていた。見ると屋敷の見取り図で、二階にある各部屋には参加者の名前が記されていた。
「部屋割りは、これに従えってことらしいね……」
星埜が、加連も思ったことを口にした。男女が入り交じっての配置で、なにか法則性があって割り振ったのではなさそうだった。
プレートから、星埜のフルネームは
二階から物音がした。先に入った連中が見当たらないのは、自分の部屋をチェックしているからに違いなかった。
一刻も早く今後の対策を話し合いたいが、落ち着ける場所の確保も大事だった。生き物が持つ本能を刺激して、無視できない誘惑があった。
「あの……」
神谷が言い出しにくそうに切り出した。
「私も、自分の部屋を見てきていいですか? ちょっと……横になりたくて」
一回りとはいかなくとも、年下の女の子に上目使いで頼まれたら、駄目とは言えない。疲労回復が必要なのも事実と思い、加連は笑顔を作った。
「ああ。シャワーでも浴びて、着替えるといいよ」
「……シャワー、ありますか?」
「あると思うよ。仕掛けた者の意図は掴めないけど、この屋敷で過ごすよう用意されたんだから。あ、ほら」
加連が見取り図を指さすと、セパレートタイプのバスルームが表示されていた。加連が借りている部屋よりも上等だ。
「ほんとだ」
神谷は自分の部屋の位置を確認し、窺うようにして階段を上がっていった。
「僕たちも、一度解散しましょう。落ち着いたら、リビングに集合でどうです?」
「そうだな。そうしよう」
星埜の提案に、加連は賛成した。
「僕はキッチンに寄ってから行きます。水を飲みたいんで」
七尾は危なっかしい足取りで奥へと消え、加連たちは自分の部屋へと入った。
部屋はベッドと机が置かれており、ペンションであてがわれる部屋より少し広い程度だった。しかし、見取り図で確認した通り、浴槽と洗面台、それにトイレは備え付けられている。一人で過ごしたいなら、ずっと閉じ籠ってくださいと言われているような造りだった。見取り図では、各部屋は同じ間取りになっていた。
加連は重たい体をベッドに放り込んだ。弾力のあるクッションが、二回三回と抵抗した。浮遊感に弄ばれながら、加連は今なにが起きているのか整理しようと頭を切り替えた。後に行われるであろう議論のためにも、頭の中を整理しておく必要があった。
我々をこんな場所まで連れ出したのは、リブルティアに間違いない。繰り返される疑問は、なんのためにこんな真似をしたかだ。本人の意思確認もせずに、見知らぬ土地へと連れ出す。これは立派な犯罪ではないか。
いくら金銭的に逼迫していたとはいえ、用心が足らなかった。思い返すまでもなく、アルバイトの内容自体、怪しかったではないか。なんでもっと慎重に行動しなかったのか。今さら悔いても仕方のないことだが、追い詰められた人間は冷静な判断力をいとも容易く捨て去るのだと、戦きの槍が胸を突き刺す。
壁に掛けられている時計が目に滑り込んできた。針は三時を指していた。当然、午後の三時なのだろう。
空気を取り込みたくて、窓を開けた。内開きのドレーキップ窓だ。初めて接する窓だったので、開けただけなのに奇妙な感動があった。海から森を抜け浄化された風が入り込んで、とても心地好かった。
まずは、ここがどこなのか調べて、どうすれば帰れるのか……。
加連は再びベッドにダイブした。柔らかいスプリングが揺らぎを誘い、加連のまぶたは抗いがたいほど重たくなっていった。
騒がしさに目を開けた。はっと跳ね起きる覚醒だった。加連は慌ててベッドから降りて、周囲を見渡した。
「………………」
間抜けか俺は。こんな不条理な環境で睡魔に負けてしまうなどと……。己の迂愚さに嫌気が差す。
時計を見ると、時刻は三時十二分だった。眠っていたのはほんの七~八分程度とわかり、ほっと胸を撫で下ろす。
「その言い方がムカつくんだよっ」
攻撃的な怒声に、加連の心臓が跳ねた。目を覚ました原因も、この声に違いなかった。今の声は保積だ。
なにごとだと部屋を飛び出すと、二つ挟んだ部屋の扉が開いていて、中から言い争う声が弾けていた。階下を見下ろすと、嫌悪感剥き出しの眼差しで様子を窺っているショートカットの女性がいた。あれはたしか、猪口に途中退場があるのか質していた女性だ。
ただでさえ落ち着いた行動を求められるのに、この騒がしさは加連の神経を逆撫でた。とにかくやめさせようと部屋を覗くと、保積と七尾が向き合って室内の空気を熱していた。
「いったい、どうしたってんだ」
精神的にまいっている人間は、些細なことでも過剰に反応する。加連は一時的なヒステリーだと思った。状況を把握できないストレスが、諍いの原因になっているのだと。しかし、二人の口からは、想像もしていない内容が飛び出した。
「保積さんが、強引に部屋を取り替えようとしてるんです」
加連には七尾がなにを言っているのか、すぐには理解できなかった。部屋を取り替えるとは、どういうことなのだろうか。
「僕ははっきり断ったんです。それなのに、保積さんは無理やり僕を部屋から追い出そうとして……」
加連は無言で保積に視線を投げると、睨み返してきた。そして、再び七尾と対峙した。
「おまえの家じゃねえんだ。代わってくれたっていいだろう」
加連は軽い怒りと激しい苛立ちを覚えた。こいつら、今がどういう状況なのか、わかっていないのか?
「そんなくだらないことで……」
「それはやめといた方がいいです」
加連が怒鳴りだす寸前で、遮る声が割り込んできた。星埜が部屋から出てくるところだった。
「わざわざ部屋割りをされていたなら、そこにはなにかしらの意図があるはずです。勝手に取り替えるのは控えるべきです」
星埜の説明的な戒めに、加連の気持ちが鎮められた。
保積が不貞腐れた目でなにかを言い返す素振りをした時、階下から女性が相手を定めずに人を呼んだ。誰か来てくれと叫んでいる。家の中で虫や蜘蛛を発見したような、焦りを含んだ呼び方だった。
加連たちは互いに顔を見合わせたが、ここでも星埜が先陣を切った。
「全員で話し合わなくてはならないこともあります。取り敢えず降りましよう」
落ち着きのある指示に、保積も今度は言い返そうとしなかった。
加連たちは並んで階段を降りた。見上げていた女性に付いていく形となった。着いた先はリビングだった。心なしか顔が青ざめている女性が立っていた。みんなを呼んだのは彼女か。
いつの間にか、加連の後ろに神谷がいた。不安げに加連の背中に隠れている。
「これって、どういう意味かわかる人いる?」
大きなテーブルの天板の真ん中に、一枚の紙が置かれていた。嫌でも気付くように置かれたのは明らかだった。
サンクチュアリにようこそ。お好きなように生き抜いてください
A4サイズの用紙の中央に、細いゴシック体で記されていたのは、たったそれだけだった。フォントサイズは小さく、紙面のほとんどが空白だ。読めと主張しておきながら、読めればよいと言わんばかりの体裁は、ちぐはぐな印象を与えた。
その短いメッセージを読んだ時、可蓮は胃の腑にまで落ちるものを感じた。
星埜は紙を手に取り低く唸った。穴が空くほど凝視しているが、思考は違うところに飛んでいるようだ。
保積が星埜から紙をひったくって、テーブルに叩きつけた。
「どういうこったよ。サンクチュアリにようこそってなんのことだ?」
「……もしかすると」
星埜の慎重な口振りに、加連は背筋を伸ばした。彼はここに七人揃っている事実に、すでに一つの結論に達していた。なんの根拠もないのに、星埜が言おうとしている内容は、きっと同じだと感じた。
「ここは、仮想空間なのではないでしょうか」
雰囲気が変わった。屋敷ごと座標がずれたような、大きな違和感が場を覆った。
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