第3話 集結

 その夜、加連は敷きっぱなしの布団に大の字になって、天井を見上げていた。大して動いていないのに、ひどく疲労感があった。それほどまでに神経が張りつめていたのだろうか。

 応募する時には、あれだけ胡散臭いと思っていたのに、面接を受けてみれば「よろしくお願い致します」なんて言葉を口にしていた。

 なにか目に見えない影響力に支配されたようで、胸の中に霧が漂っていた。

 一向に晴れない濃霧に悶々としていると、スマートフォンから着信音が奏でられた。電話ではなく、メールの着信音だった。

 加連は、おそらく採用を知らせるメールだろうと思った。面接が終わった時に、歯車が噛み合うようなたしかな感覚があったから予想していた。

 確認すると、果たして採用通知だった。加連の脳裏に、卯月の笑みが浮かんだ。

 試験開始の日時と場所も記されており、辞退は一切認められないとあった。いきなり拘束されたみたいで、加連はなんとなく気持ちが重たくなった。

 開始日は二週間後とある。今勤めている職場には、適当な理由をつけて一週間休ませてもらおうと思った。アルバイトの急な欠勤や、長期の休暇も許容できる土台を有した会社だ。かなり心苦しいが、こちらだって生きるために必死なのだと、強引に自分を正当化した。


「ん?」


 文章の最後に、秘密保持に関する誓約との一文があった。箇条書きで本誓約の目的とか秘密の保持など、いくつもの項目に分かれて綴られている。要約すると、試験の性質上、他言無用というものだ。もし団体名や内容を僅かでも第三者に漏らしたのが発覚した場合は、一切の報酬は支払われないと記されていた。


「………………」


 他言するなとは、卯月からも言われた。情報漏えいを防ぐのが目的との理由はもっともだし、納得もできる。しかし、団体名すら秘密にしろというのは……。

 加連は暗雲が立ち込めるのを感じた。断ろうという考えが浮かんだが、文面に辞退は認められないと明記してあるし、読み進めていくと損害賠償や管轄裁判所などの単語も認められた。履歴書を渡してあるので、こちらの居所は調べるまでもない。なにをされるかわからない怖さがあった。載せていた求人サイトを閲覧したが、すでにリブルティアの求人は掲載が終了していた。


「まさか、逆に金を払わされるなんてことにはならないよな……」


 持っていたスマートフォンが、急に禍々しい物のように感じられた。加連は、自分の意思でここまで漕ぎ着けたのだと開き直るしかなかった。



 二週間は瞬く間に過ぎた。いよいよリブルティアで働く初日、加連は面接の時以上に緊張していた。考え過ぎだと自分に言い聞かせても、拭えない不安が胸にへばり付いている。人生で一度も経験したことのない挑戦は憂虞を伴うものだが、ここまで気負った経験はない。自分がこんなに心配性だとは思わなかった。

 赴いたのは、先日訪れた建物だ。また卯月と二人きりになるのかと、少々息苦しかった。だから案内された部屋に入った時、複数の男女が着席していたことに味方を得たような気になった。

 採用されたのは、自分一人ではなかったのか……。

 普段は会議室として使われているような無機質な部屋だった。カーテンが隙間なく窓を覆い、その分、照明で明るさを補っていた。涼しく過ごしやすくなったためか、空調は動かしていなかった。

 着席している男女は、一様に落ち着きのない硬さを滲ませていた。さりげなく人数を確認したら、六人の男女が着席していた。


「加連さんが最後です。空いている席に座ってください」


 暗に遅れて来たのを攻められた気がしたが、遅刻したわけではない。

 着席しながら室内を見渡したが、卯月の姿は見つけられなかった。


「皆さん、この度は我がリブルティアの臨床試験にご応募いただき、ありがとうございました」


 加連が座ると同時に、職員らしき女性が第一声を放った。女性は猪口いぐちと名乗った。胸に留めているネームプレートを指さし、お酒を飲む器ではありませんよと、下手くそなジョークを飛ばした。場を和ませようとしてのことだろうが、白ける空気は如何ともし難かった。

 猪口はコホンと咳払いをしてから、今回の実験を取り仕切るマネージャー的なポジションにいると自己紹介した。眼鏡を掛けた利発そうな外見と、意志が強そうな鋭い目をしている。ジョークも下手だったし、本性はきつそうな人だなと思った。

 説明内容は、先日卯月がしたものと大差はなかった。超が付くほどの仮想現実を体験してもらい、その中で起こる様々な出来事を、脳がどれだけ現実と錯覚して受け入れるかを調べるという。

 質問を受け付ける流れとなった時、すかさず挙手した者がいた。加連と同じくらいの年齢で、ライトブラウンでショートカットの髪が照明を反射していた。考えるよりも先に動くタイプを思わせ、実際、真っ先に手を上げたことからも、活発な性格が窺えた。


「どうぞ」

「募集の文面には、参加した日数分の報酬を支払うとありましたが、それはつまり、途中退場もあり得るということでしょうか」

「はい。あります」


 猪口の返答は素早かった。


「あの、それはどういったケースで?」

「試験の経過は、専門のスタッフが二十四時間体制で監視しています。脳波や脈拍が異常を示した場合、仮想空間から戻ってきてもらいます」

「危ない目に遇うということですか?」


 猪口の説明を聞いて、新たな質問を投げ掛けたのは、加連よりも若い女性だった。女の子と称してもよさそうな幼い顔立ちをしており、艶のあるロングの黒髪が若さを象徴しているよう

見える。まだ学生なのではないかと、ちょっと不思議に感じた。

 そして、自分と同じ不安を抱いている二人に、加連はなんとなく親近感を覚えた。


「脳の動きを調査するための試験ですから、多少の刺激を経験してもらうよう、設定してあります」


 猪口はしれっと言い放ったが、加連には不安を拭うよう、わざと明るく振る舞っているように感じた。


「怖いの結構ですよ。僕、ホラーゲーム得意なんです」


 加連の背後から、か細い声がした。振り向くと、覇気がない目をした男が座っていた。肥満体で、いかにも不健康そうだ。加連と同じか、少し歳上っぽく見えたが、陰鬱な雰囲気と体格が判断を難しくさせていた。


「ゲーム。そうですね。ホラーではありませんが、ゲームと思ってくださればいいと思います。怖いと思っても、ケガをすることはありません。皆さんはこれから、仮想空間に入ることをお忘れなく。他にご質問は?」


 次に挙手をしたのは、眼鏡をかけた理知的な男性だった。長髪を後ろで束ねているのが印象的だった。


「仮想空間の中では、ここに集まっている皆さんと一緒に過ごすことになるんですか? つまり、ゲームでいうところのギルドとかパーティみたい感じで……」


 細い声だったが、話し方ははっきりしていた。ピンと張った糸を連想させる。加連の目には、何事も熟考して動く人間に映った。感情ではなく理性で動ける者の方が、いざという時に頼りになる。仮想空間に入ったら、真っ先に彼に接触しようと決めた。


「そうですね。同じ仮想空間に入って頂きますが、パーティになるかは皆さん次第です」


 加連は猪口の説明に違和感を覚えた。皆さん次第とはどういうことだ? 問い質そうと手を挙げようとしたが、その前に他の質問が投げ掛けられた


「成功報酬ってあったけど、それは金を上乗せしてくれるって考えていいのか?」


 喋ったのは、加連の斜め前に座っている男だった。金髪にショートフェードで整えている。外見に気を使うようだが、シャツから出ている腕は細い。短期のアルバイトとはいえ、勤務中では上司にあたる猪口に対して、いきなりタメ口をきく神経が加連には信じられなかった。常識のない者と関わっても、決して得はしない。仮想現実といえども、あまり近づきたくないタイプだった。


「報酬に関しては、私は聞かされておりません。ですが、損をする話ではないはずです」

「なんだよそりゃ。まさか頭にいいサプリ一年分とかいうオチじゃないよな」


 男は冗談めかしながらも、追求するつもりはないようだ。一日で十万円も稼げるのなら、がっつく必要はないと思っているようだ。

 加連は質問をする機を逸してしまった。皆さん次第とはつまり、現実と一緒で上手く噛み合わない相手がいたら、適当に距離を保って過ごせということか。離れようがくっつこうが、それも試験の一部ということなのだろう。そう解釈することで自分を納得させた。

 他に質問する者がいないと判断した猪口が、部屋を移るよう指示を出した。

 加連も含めて全員で七人。怪訝な表情を隠さない者もいれば、もう報酬を受け取ったみたいに上機嫌な者もいた。

 様々な思惑を抱き、七人は促されるままに試験を行う部屋へと向かって行進した。 

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