第2話 没落した悪役令嬢?

「~~~~~~~~~~! ~~~~~~~~~~~~~~!!」


 怒鳴り声が止まらない。


「なんだよ、何言ってんのかサッパリわかんねーよ……。英語の授業、もっとちゃんと受けておけばよかった……」


 バカな羅王りおは特に英語が苦手で、地域一番のおバカ工業高校在学中の三年間、英語の試験は必ず追試を受けていたほどだ。

 読み書きが苦手なのは当然で、リスニングなど以ての外であった。


「~~~~~~~~~~! ~~~~~~~~~~~~~~!!」


 羅王は恐ろしい状況に置かれ、一切の反応ができない。


 それからしばし、女性の声で意味不明な言葉が叫び続けられていたが、その声を繰り返し聞かされることで、むしろ人間が発している声のような気がしてくる。

 そうなると、逆に幽霊的な何かに対する恐怖心が薄れてきた羅王。

 彼は意を決して顔を上げる。


「ん?」


 視界が捉えたのは、膝立ちになって胸の前で腕を組み、喋っている途中に羅王が動いたことに驚いたのか、大きく開いた口をわなわなさせ、丸っと目を見開いた少女の姿だった。


「う~ん……」


 倉庫内を照らす光を浴びた少女は、薄汚れているがドレスっぽい衣装に身を包んでいる。

 素人目にもカジュアルではないとわかる装いで、重機の油臭さが漂うこの場にはあまりにも不釣り合いな格好だ。

 そして、場違いな衣装をまとった彼女の横には、揺らめく炎を灯すランタンらしき物が置かれている。

 羅王が火の玉だと思ったのは、どうやらそのランタンらしき物の光だったようだ。


「えっとー、悪役令嬢のコスプレ? いや、薄汚れたドレスだし、ざまぁされた後の没落した悪役令嬢コスか? 随分とマニアックだな」


 色味の薄い茶色の髪は、ドリルヘアーと言うほどではないが非常に癖が強い。

 目にはカラコンを入れているのだろうか、瞳の色は明るく、オレンジとも金とも言えるような琥珀色をしている。

 そして汚れどうこうを別にしても、ドレスっぽい衣装はどう見ても日常で着るような物ではない。

 なのでそれらを総合して、羅王はネットのどこかで見た悪役令嬢をイメージし、なんらかのコスプレだと思ったのだ。


 だがしかし、よくよく少女の顔を見てみると、その造りは日本人からかけ離れているのがわかった。


「あれ? 本物の外人さんか。でもどうして、こんな場所に外人がいるんだ? ――それはそれとして、この少女の顔、なんとなく見覚えがあるような気が……」


 羅王が落ち着きを取り戻し始めた一方で、今度は目を見開いたまま固まっていた少女が動きを取り戻す。


「~~~~~~~~~~! ~~~~~~~~~~~~~~!!」


 一瞬だけ困惑気味な表情を見せた少女は、一転して鬼気迫る表情でまたもや叫びだした。


「ちょっ、まずは落ち着け! つーか、何言ってんだか聞き取れねーよ!」


「! ~~、~~~~……」


 仮に聞き取れる速度で話してくれたとしても、きっと羅王には理解できない。

 それでも、『この場の主導権を取れ!』と本能が訴えかけてきたので、彼は思わず怒鳴っていたのだ。

 しかし、少女が一瞬驚いたような表情を見せ、その後に怯えたように何かを口ごもる姿を目にして、逆に羅王のほうが慌ててしまう。


「ご、ごめん」


「…………」


 羅王が謝罪の言葉を口にするも、少女は怯えたままだ。

 これはまずいと思い、彼は意思疎通の方法を必死に考える。


「えっと~、ゆっくりって英語でなんて言うんだ? ……そうか! ――あ~、スローリー、スローリー。オーケー?」


 ゆっくり喋ってくれれば、もしかして会話ができると思った羅王は、自身の知る数少ない英単語を口にしてみたのだが……。


「?」


 少女は首を傾げてキョトンとする。

 その反応から、彼女が困惑していることが伝わってきたが、羅王もまた困惑してしまう。

 だが彼は諦めず、さらに考える。


「あっ!」


 羅王はふと思い出した。

 英語が苦手な芸能人が、身振り手振りで外人とやり取りをするというアレを。


 羅王はおもむろに右手を口の前に運び、「しゃべる」と言いながらグーパーグーパーと手を開いて閉じてを繰り返し、次は地面に手の平を向けて上下に動かしながら「スローリー」と言葉を繰り返す。

 そして最後は、親指と人差し指で円を作ると「オーケー?」と確認を促した。


 しかし現実というのは残酷なもので、少女は困ったような表情を浮かべながら、またもや早口で意味不明なことを言い出す。

 そしてバカな羅王もようやく気づく。


 少女の発している言葉が英語ではないと。


「どうすんだよ……。英語でさえ和製英語みたいなインチキなのしか知らないってのに、他の言語なんか完全にわかんねーよ……」


 意思疎通の糸口を見つけたと思いきや、そのか細い糸は瞬時に消えてしまった。

 そのことに肩を落とす羅王だったが、逆に開き直ろうとする。


「そもそも英語だって喋れないんだから、日本語とゼスチャーでゴリ押しするしかねーよな」


 そう思うと気が楽になり、その方針で行くことを決意。

 となったらまずは自己紹介。

 他人とのやり取りは、挨拶や自己紹介から始めるのが基本だ。


 友達が多くなければ、就職も未経験の羅王。

 それでも接客メインのアルバイトを五年続けた経験があり、引きこもりは生活環境がそうさせていただけで、別にコミュ障なわけではないのだ。


「えっと~、俺……じゃなくて私か。え~、私はゴウダリオ……これも違うか」


 右手の人差し指を自分に向け、自己紹介しようとした羅王だが、外人が相手なので姓名の順で名乗るのではなく、名姓の順で名乗るべきだと気づく。


「こほんっ。私は、リオ、ゴウダ、です」


 わざとらしい咳払いの後、自分を指差しながら羅王はゆっくり名乗った。


「あなたの、名前は?」


 今度は少女を指差し、名乗るよう促す。

 幼い頃、”他人を指差してはいけない”と教わっていたが、状況的に仕方ないと自分に言い訳しつつ。


「?」


 しかし少女は、またもやキョトンとしている。


「リオ、ゴウダ。――あなたは?」


 羅王は癇癪を起こすこともなく、必要最低限のやり取りを心がけ、自分を指差して「リオ、ゴウダ」とだけ言い、こんどは少女を指差して「あなたは?」と何度か繰り返した。

 どうやら少女も合点がいったようで、羅王を指差して「リオゴーダ~~~~?」と口にする……が、その表情は不安そうに見える。

 だがそんな彼女に対して、羅王は接客で培った笑顔でうなずく。

 すると今度は、少女が自分自身を指差しながら口を開く。


「~~~~~、エルヴィラ、ウェセロフ~~~~~」


 口調をゆっくりにしてくれた少女が、何度か同じ言葉を繰り返してくれた。

 しかし、その言葉にはまだ情報量が多い。

 だがなんとなく、エルヴィラとウェセロフが名前だろうと思った。

 とはいえ、どちらが姓でどちらが名かわからない。

 それに羅王のことも、『リオゴーダ』と一緒くたにして呼んでいたので、ハッキリさせようと思った。


 羅王は地面を指差して「ゴウダ」と言い、次に自分を指差して「リオ」と伝えるのを何度か繰り返す。

 どう説明すればよいのかわからなかったので、地面を指差すことで『ここは豪田さん』つまり姓を表し、自分を指差すことで『俺が羅王だ』と伝えたつもりだ。


 だがその仕草は正解だったようで、少女は自身の背後を指差して「ウェセロフ」と言い、次に自分を指差して「エルヴィラ」と応えた。

 それに対し羅王も、少女を指差して「エルヴィラ」、少女から指をずらして彼女の奥を指差しながら「ウェセロフ」と口にする。

 すると少女は満面の笑顔を浮かべながら羅王を指差して「リオ~~」、自分を指差して「エルヴィラ」と言った。


 少女エルヴィラは、名前以外の言葉もちょくちょく口にしていたが、羅王は理解できておらず、それどころか理解しようとする気が完全にない。

 学校で教えられた英語が覚えられなかったのだ、それ以外の言語が独学で覚えられるわけがないと、速攻でエルヴィラの国の言葉を学ぶのを放棄していたのだ。


 それはそうと、羅王は土下座からしれっと胡座あぐらへと体勢を変えていたが、エルヴィラは最初の祈るようなポーズ――膝立ちのままの姿勢だった。

 なんとなくその構図が嫌だった羅王は、椅子のある場所へ移動してからやり取りを再開したいと考える。

 となると、飲み物や茶菓子の一つも必要だろうと思うも、巨大倉庫の入り口にある作業室はまだ把握していない。

 よしんば飲み食いできる何かがあったとして、それは大伯父が生前に用意した物で、気分的に口に入れたいと思えなかった。


「そうなると、母屋にエルヴィラを連れていくしかないよな。でも……」


 名前のやり取りでさえ大変だったというのに、言葉が通じない人物を部屋に招いてどうこうというのは、かなりハードルが高いと思えてしまう。

 しかし、『巨大倉庫の崩れた壁の奥から外人の少女が現れた』という、ちょっと常識では考えられない事象について、何もせずに”なかったこと”にはできない。


 意思疎通が困難でも、エルヴィラという重要参考人を手放す行為は愚の骨頂だ。

 羅王はどうにかしたいと思うも、よい方法が思い浮かばない。


 はてさて困ったと思いつつ、羅王は倉庫内を見渡す。

 すると、キャンプ道具っぽい物が目についた。

 彼はエルヴィラに対し、犬に『待て』と命令するような仕草をし、道具のある方へ向かう。

 少し歩いて羅王はチラリと振り返る。

 彼女は羅王の仕草の意図が理解できたのだろか、何か意味不明な言葉を発していたが、その場から離れることなく待機していた。


「これあれだ、広げるとテーブルと長イスになるヤツだ」


 どこかで見たことのある、ジュラルミンケースっぽいけど明らかに細長いそれを手にした羅王は、エルヴィラの所まで戻ると組み立て作業を開始する。


「色味からして丈夫そうな感じだったけど、組み立ててみるとマジで安定感あるな。青い合成樹脂製っぽいのとは違う気がする」


 組み立て終わったピクニックテーブに腰掛けて満足していると、興味津々にこちらを見ているエルヴィラに向かって手招きする。


 実のところ、作業中からエルヴィラが目を輝かせているのは気づいていた。

 しかし、ピクニックテーブルを組み立てるのは羅王も初めてで、その作業をしながら会話のできないエルヴィラとやり取りするの不可能。

 だから敢えて無視を決め込んでいたのだ。


 手招きの意味に気づいたエルヴィラは、立ち上がるとゆっくりと近づいてきた。

 それを見て羅王は、腕を伸ばして手の平を上にして自分の対面に向け、日本語で「どうぞ」言いながらと着席を勧める。

 エルヴィラは意味がわからなかったのか、はたまたマナー的ななにかで着席しないのかわからないが、握った右手を口元に当て、落ち着かない感じでおどおどと立ちすくむ。


「マナーとかわからんぞ……。それに、体に触れて無理やり座らせようとするのもまずいよな?」


 羅王も困ってしまう。

 だが腰を上げ、当たって砕けろの精神で動く。


 取り敢えずエルヴィラ側のイスに座った羅王は、彼女を見ながら自身の隣をポンポンと軽く叩く。

 それは『ここに座れ』の意味だが、エルヴィラは相変わらずおどおどしている。

 しかし羅王は気にせず、笑顔のままポンポンを続けた。

 やがて、根負けしたのかどうか不明だが、エルヴィラがゆっくりと動き出し、ようやく着席する。

 それを見て逆に立ち上がった羅王は、再びエルヴィラに待ての仕草をし、あろうことが倉庫から出ていってしまったのだ。


「飲み物は……開けてないスポドリがあるからこれでいいか。お菓子はポテチの薄塩味が無難かな」


 母屋に戻った羅王は、そんなことを口にしながら来客をもてなす準備を上機嫌でしていた。

 実のところ、何気にこれが初来客で、アルバイトとはいえ五年も接客業をしていた彼は、誰かをもてなすのは嫌いではないのだ。

 だからだろう、羅王は自分で気づかぬほど浮かれていた。


 倉庫に戻ってピクニックテーブルを見るまでは。


「エルヴィラ、どこ行っちゃったんだよ……」

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