第3話 壁を抜けると……

「まいったなー。言葉は通じなくても”待て”のゼスチャーは通じたからあぁしたけど、動物にするようなことを何度もしたら、そりゃ普通の人なら怒るよな」


 母屋から持ってきたポテチをパリパリ食べ、スポドリで喉を潤した羅王りおは、頭を悩ませつつ反省していた。

 第三者目線から見たらふざけているような態度でも、本人からしたらいたって本気なのである。


「最悪、穴を塞いでなかったことにして、俺の記憶からも抹消すればいいだけの話だけど、どうにも気になる」


 何が気になるかといえば、エルヴィラのことだ。


 羅王とエルヴィラの邂逅かいこうは、必然ではなく単なる偶然でしかなかった。

 当然だが、彼女の顔を見たのは初めて。

 だがしかし、どうにも引っかかってならない。


「初めて会ったのは間違いない。でも初めてじゃないような……。いやいや、そもそも女を気にかけるのが俺らしくない。ましてや外人の女なんて……ん、ちょっと待てよ。……外人の女?!」


 二十年近く女性に興味を抱かなかった羅王は、自身の中に理想の女性像があったことを思い出す。

 しかも、ぼやけていた理想の女性像が外人の女性だったことを。


 羅王本人すら自覚がないのだが、彼の中で理想の女性は長い年月をかけて偶像化され、女性に対する期待値だけが高くなっていた。

 その一方で、本来理想とする姿は記憶から薄れており、羅王本人の中でも幻影のようになってしまい、結果として女性に興味を持たなくなっていたのだ。


「俺が女に興味を抱かなくなったのって、理想からかけ離れた日本人しか周囲にいなかったことが、そもそもの原因だったんだよな。――いやはや、そんなことすら忘れていたとは……」


 どうでもいい……かは別にして、羅王は自分の中にあったしこりが一つ消えたような気がした。

 一方で、”外人の女性だったら誰でもいいのか?”という疑問が湧く。


 たしかに羅王は、女性に対っして恋愛感情を抱くことはなったが、一般的な成人男性と違わず性欲は勝手に溜まっていた。

 なので仕方なく処理する際は、無意識に幻影の面影を感じる洋モノを選んでいたのは事実。

 それはあくまで処理が優先されていたので、外人女性であっても惚れることはなかった。


 だが現状、シモの話は二の次だ。

 根本的な問題は、初めて会ったはずのエルヴィラの顔が、どうにも初めて会ったように思えなかった、ということに尽きる。

 この一点は、非常に大きな意味を持ち、とても重要であった。


「行ってみるか?」


 今の羅王は、『巨大倉庫の崩れた壁の奥から外人の少女が現れた』という不思議現象そのものよりも、エルヴィラのことが気になって仕方ない。

 いや、エルヴィラのことと言うより、自分の中でくすぶる感情をどうにか解消したいと思っている。

 となれば、状況の動かない現状を静観するのではなく、自分が動いて止まってしまった状況を動かそう、そう思った。


「幅は約一メートル、高さは一メートル五十……はないか。中腰はきつそうだし、赤ちゃんみたいにハイハイしていけば、図体ずうたいのデカい俺でも通れるな」


 壁に空いた穴の前で、所謂いわゆるうんこ座りをした羅王は、その穴を自身が通れるか目測していた。

 しかしいざとなると、なかなか踏ん切りがつかない。

 もはやエルヴィラが幽霊などと思っていないが、だからこそ逆に恐ろしいのだ。


 誰もいないはずの自分の所有地で、偶然壊れた壁の中から外人が現れた。

 冷静に考えてそれは、幽霊が出てくるよりも確率の低い事象だろう。


「……グダグダしてても仕方ない。行ってみよう」


 恐怖より興味が勝った羅王は、作業室にヘッドライトと言うのだろうか、それが付いたヘルメットがあったことを思い出し、急いで取りに行くと、近くにあった名状しがたいバールのようなものを手にした。

 念の為、武器があったほうが良いという判断だ。


「おっ、これもついでに持っていこう」


 痴漢撃退スプレーではないが目潰しに使えると思い、目についた塗料のスプレー缶を手にする。

 さらにイボ付き軍手をはめた羅王は、左手にスプレー缶、右手に名状しがたいバールのようなものという、よくわからない装備で壁の穴に挑むこととなった。



「『壁を抜けると、そこは異世界だった』なんてことはないよな?」


 作業室を出た羅王は、スプレー缶を上下にカシャカシャ振りながら現場に戻りつつ、恐怖心を紛らわすようにそんな益体もない言葉を口にした。


「ん?」


 ユンボのキャタピラ越しに壁の穴が見えてきたのだが、その奥にまたもや火の玉が見えた気がしたのだ。


「気の所為じゃないな。しかも近い。もしかしてエルヴィラが戻ってきたのか?」


 のんきに歩いていた羅王は、足早に穴へと向かった。

 彼が穴の前に着くと同時に、穴からエルヴィラが姿を表す。

 しかし彼女はかなり慌てている様子だ。

 その証拠に、勢いよく中腰で穴から出ててきた彼女は、体勢を崩して前につんのめるように転んでしまっていた。


「おいおい、大丈夫かエルヴィラ?」


 羅王は慌ててエルヴィラに駆け寄り、言葉が通じないことも忘れて声をかける。

 それでも体に触れるのははばかられるという意識が働き、彼女の前に片膝になって様子を窺う。


「~~~~~~リオ~~! ~~~~~~~~!」


 するとエルヴィラは、羅王のズボンを掴んで上体を起こし、悲痛な表情で叫びだした。

 その叫びは怒声ではなく、何かを懇願しているように感じる。


「えっと~、状況が理解できん。でも多分……」


 困惑する羅王だが、エルヴィラの様子が只事でなく、それでいて自分に助けを求めていることも雰囲気から察せられた。


「この穴の先で何かあって、俺に助けを求めにきたんだろうな。でも突然外人が現れた異空間だし、正直怖いんだよ……」


 羅王のこぼした独り言は、エルヴィラに聞こえていても意味がわからないはず。

 だが彼女は、ただ掴んだズボンをクイクイと引き、自分が通ってきた穴を指差しながら再び叫び始めてしまう。


「~~~~~~リオ~~! ~~~~~~~~!」


 止まらないエルヴィラの叫び。


「初めて会った見ず知らずの外人の女の子だ、シカトしてもいいんだけど……」


 羅王は自分に正義感がないことを一番良く知っている。

 そして自分は、体が大きいだけで荒事に強くないのも重々承知。

 それでも、エルヴィラを助けてあげないといけないような気になっている。


「はぁ~、仕方ないな」


 そうつぶやいた羅王は、腰を上げてエルヴィラが掴んでいないほうの足を、一歩だけ穴の方向に踏み出した。


「俺も行くよ、エルヴィラ」


 穴を指差し、エルヴィラの目を見ながら伝えた。

 彼女は不安そうに何か言っていたので、羅王は敢えて笑顔ではなく強面だと自覚している顔を真顔にし、人差し指を自分に向けて「俺も」と言いながらとんとんと胸を二度叩き、「行くよ」と言いながら今度は穴のほうをツンツンと指差した。



 ◇ ◇ ◇



「ぬあぁー! めっちゃ窮屈だった」


 エルヴィラと一緒にトンネルに入る意思を示した羅王は、少し腰を折って進む彼女の先導でトンネルを這いつくばって進み、ようやく表に出られたことで、体を伸ばしながらうなるように声を上げた。

 そして緊張も相まり、少々凝り固まった首と肩をグルングルン回して凝りを解している羅王を、エルヴィラがわたわたしながら見ている。

 彼的にはそこそこの距離を地面を這いずって移動したので、もはやひと仕事終えたような気分だったのだが、冷静になるとただ移動しただけでまだ何もしていないことに気づいた。


「エルヴィラ、どこに向かうんだ? あっちか? そっちか?」


 体を動かすのやめた羅王は、エルヴィラに通じないのを理解していながら日本語を口にしつつ、見える範囲にある建物や適当な場所を指差し、移動しようという意思を示した。

 彼女はそれを察したのか、一番近くにある少し大きめで石造りの建物がある方向へ駆け出す。

 その後を羅王も続いた。


 あまり周囲を見る余裕のなかった羅王だが、それでも目に入った建物は、現代日本とはかけ離れ、昔ながらの日本っぽい田舎の建物とも違うのを認識している。

 だがしかし、今いる場所の空気感が、どことなくまだ栄えてなかった頃のじいちゃん周辺の雰囲気を思い出させてきた。

 その影響だろうか、羅王の心は少しだけ穏やかなものになり、多少なりとも落ち着きを取り戻す。


 羅王の緊張が多少解けてきたところで、エルヴィラの足がゆっくり止まった。

 だが追走していた羅王は、急なことだったので慌てて足にブレーキをかける。


「ん? 人がいるな」


 つんのめりそうになった羅王が頭を上げると、視界に人らしき姿を捉えたのだが、そこに立っている人物たちから剣呑な雰囲気を感じた。

 そのせいだろう、少し落ち着いた羅王の体に再び緊張が走る。


「ぺこぺこ頭を下げてる女性と、苛立ちを隠さず紙っぽい何かを突きつけてる男の構図ねぇ。ってことは、エルヴィラは俺にあの女性を助けほしいんだろな」


 構図はともかく、お世辞にも立派とは言えない薄汚れた服の女性と、意匠はともかく綺麗な服を着た男性。

 それを見るに、推測はほぼ正解だろうと思った羅王。

 彼は無意識に、手にした名状しがたいバールのようなものを握る力が強くなる。

 一方で、これを振り回すような事態にならないでほしい、そう真剣に願った。


「~~~~~~~~~~~!」


 しかし、そうは問屋が卸さない。

 羅王の心情などお構いなしに、身なりの良い男が何かを叫びながら、頭を下げる女性の腕を掴んだのだ。

 それを見たエルヴィラが、やはり意味不明な言葉を叫びながら女性のほうへ走っていった。


「肉体言語でやり取りとか、マジで嫌なんですけど……」


 思わず本心が口をついてしまった羅王だが、ここまできて見捨てる気はない。

 なぜなら彼は、持って生まれた武器となる隠し玉を持っているのだ。


 羅王は百九十センチ百キロという恵まれた体格もさることながら、一発殴られたような厚ぼったいまぶたと、それによって細められた目が非常に人相を悪くしていた。

 忖度そんたくなく正直に言えば、まごううことなきゴリラ顔なのだ。

 それにより彼は、幼い頃からのゴリラ顔なのと、豪田ゴウダ羅王リオという名前の合せ技で『ゴリオ』と呼ばれていたのであった。


 その羅王は、やんちゃなバカが集まる工業高校にどうにか進学すると、鍛えられたゴリマッチョな風貌から滲み出る圧で周囲を黙らせ、羅王の字を見て最初に思い浮かぶであろう読み方の『ラオウ』と影で呼ばれ、恐れられていた過去がある。

 本人は何もしていないのに。


 ここまで言えばわかるだろう。

 羅王の隠し玉とは、体格と人相を合わせた圧倒的な風貌のことだ。


「全盛期はそれなりに動いてたからゴリマッチョ体型だったけど、今は筋肉が減って脂肪が増えた分、体重は変わらず体型が俵型に変わっちゃったんだよな。でもまぁ、それでも体積が大きいし顔は極悪なままだから、俺を見て勝手にビビってくれると助かるんだけど」


 己の誇れない武器に期待する羅王は、名状しがたいバールのようなものを右肩に担ぎ、なるべくやからっぽく見える歩き方で、騒動の渦中にオラオラと近付いて行った。


 威圧の意味を込め、左手のスプレー缶を振ってカシャカシャ音を立てながら。

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