第12話 翻弄されるアナスタシア

『だから俺は、親父さんにまずは薬を飲むなりして、しっかり療養するよう忠告した』


 無言のアナスタシアを他所に、借金取りの男は淡々と語る。


『そしてあの条件が付け足されたことで、ウチの商会ではなく他所から借りるよう進言もした。それも当然だ。どう考えても無理難題で、”相応の対価を即時に支払う”を目当てにした条件なんだからな』


『…………』


『それでも親父さんは、他所ではもう借りられないと言って、苦渋の決断でこの条件を飲んだ。それもそうだろう、他所に返済するための借り入れだ、ウチの商会……というか、俺に頼むしかなかったんだからな』


 困窮していたアナスタシアの父は、業界最王手のこの商会でも借り入れは不可能で、個人的な伝手のあるこの番頭に頼るよりほかなかったのだ。


『これは以前にも伝えたが、会長はエルヴィラ嬢ちゃんを娼館で働かせるつもりだ』


『……やはり、私ではダメなのでしょうか?』


『前にも言ったよな? アナスタシアちゃんは容姿が整っていて、若々しさから二十代に見える。だが実際は、三十も半ばの年増だ。そして娼館は、娼婦の正確な年齢を掲示する。年齢詐称は重罪だ、偽れない』


『わかっています……』


『仮に三十路女と十代の女が同じ値段で抱けるなら、客が若い女を指名するのは当然だ。しかも三十歳を堺に、見目に関係なく娼婦の価値が一気に下がる』


『…………』


『だが元伯爵夫人という肩書は、かなりの付加価値になる。元とはいえ、お貴族様のご夫人だった女性を抱ける機会など、平民にはまずないのだからな』


 借金取りの言葉に、アナスタシアの中で希望が膨らむ。


『それなら――』


『でもダメだ』


 どうして、と言おうとするアナスタシアだが、借金取りの男が言葉を続ける。


『いくらウチの商会でも、今のグルホフスキー伯爵に睨まれるわけにはいかない。そうなると、元伯爵夫人の肩書は使えないことになる。つまりアンタは、どこにでもいる三十過ぎの女と同じなんだ』


『――――っ』


 これぞ大商会の番頭と言うべきか。

 上げて落とす巧みな話術に、アナスタシアは翻弄されてしまう。


『指名の少ない三十過ぎの娼婦が、値を下げて安売りしても指名してくれる客は少ない。それでいて数少ない客から得た売上を娼館に取られ、残りの金から借金を返済する』


『…………』


『アンタは大金貨十七枚を返済するわけだが、時間が経つにつれて老いは進み、売上はさらに減っていく。で、いつ返済が完了する?』


『それは……』


 ぐうの音も出ない。

 だが会話の中に手掛かりはあった。


『ですが、エルヴィラはグルホフスキー伯爵令嬢だったのです。それならあの子を娼館で働かせるのは――』


『可能だ』


 グルホフスキー伯爵の元妻であった自分が肩書を使えないのだ、娘のエルヴィラもダメではないのか? そう思ったアナスタシアが攻勢に出ようとしたが、あっさり言葉を遮られてしまう。

 しかも、短くとも絶望的な言葉で。


『エルヴィラ嬢ちゃんはあれだけ見目が良いんだ、わざわざ伯爵令嬢なんて付加価値を付けなくても、そのままで十分に売れっ子になるだろう。それに成人したばかりだ、アンタと違って長いこと稼げる』


 アナスタシアは悔しかった。

 それは、自分が低価値だと言われたことに対してではない。

 無垢な娘にそんなことをさせねばならない、不甲斐ない自分に対してだ。


『でもまぁ、そんなのは建前だ』


『建前?』


『……これはあまり言いたくないんだが、エルヴィラ嬢ちゃんがこれからたどる道だ、母親のアンタは知っておく権利があるだろう』


 ろくな未来ではないのだ、正直知りたくない。そう思うアナスタシアだが、だからこそ知っておかねばならないと感じた。


『会長はエルヴィラ嬢ちゃんを随分と気に入っていてな、自分専属の娼婦にするつもりのようだ』


『えっ! それは性奴隷なのでは? この国で奴隷は禁止されています!』


『これはウチの会長だからできる方法で、違法性はない』


『どういう、こと……?』


 借金取りの男は言う。

 通常、金貸し屋は借金返済に困った女性を娼館に斡旋し、そこで得た給料から借金を返済させる。

 しかし彼の勤める商会の会長は、金貸しの他に娼館を経営しているのだ。

 そこでエルヴィラを働かせ、会長は客としてエルヴィラに正当な料金を支払う。

 だが会長は、娼館の経営者でもある。

 なので、経営者としてエルヴィラの出勤管理をし、自分以外に客を取らせない。

 そうして、エルヴィラを自分専属の娼婦にするのだ。


 一見グレーのようだが、会長は客として支払いをし、エルヴィラには正当な給料が入る。

 いち娼婦の出勤管理を、大商会の会長自らが行なうのは珍しいが、ただ珍しいだけで不法行為ではないのだ、どこにも違法性はない。

 それどころか、他所の娼館では経営者が立場を傘に、娼婦へ無理やり関係を強要することもある。

 そのような経営者に比べれば、この商会長はむしろ良い経営者と言えるだろう。


 しかし結局のところ、そうすることで自分専属の娼婦化――悪く言えば性奴隷化が合法でできてしまう。……いや、しようとしている。

 だがこの方法は、誰にでもできる方法ではない。

 金貸しと娼館の両方を経営しているからこそできる、究極の方法だった。


『ひ、酷いです……』


『慰めにもならないと思うが、逆に考えるんだ』


『逆に?』


『エルヴィラ嬢ちゃんは、会長だけに抱かれる。誰とも知らない数多の男に抱かれるのではない分、他の娼婦よりマシだろ?』


『それは……』


 アナスタシアは詭弁きべんだと思ったが、正論のようにも思えてしまう。

 もはや正常な判断ができなくなっていたのだ。



 ◇ ◇ ◇



「アナさん、なんだかぐったりしてるな」


 名状しがたいバールのようなものを杖にし、アナスタシアの後ろに立っていた羅王は、意味不明な言語で交わされるやり取りをボケっと見ていたのだが、うなだれてしまったアナスタシアの背中を見て、ぼそっとつぶやいた。


 そもそも、この世界の大白金貨に相当するプラチナコインを出し、さっさと交渉すべきなのだ。

 しかしアナスタシアは、羅王の手を煩わせるのをよしとせず、自分で解決できるならしたという思いがあるようで、もう一度だけ交渉させてほしい、そう彼に頼み込んだのだが……。


「やっぱり、交渉は上手く行かなかったのかな?」


 であれば、さっさとプラチナコインを出したい羅王だったが、事前の取り決めでアナスタシアの合図で動くことになっていた。

 そのため、彼は勝手に動くことができないのだ。

 どうしたものかと羅王が考え込んでいると、黙っていた借金取りの男が再び話し始めた。


『とにかく、今日の返済が無理ならエルヴィラ嬢ちゃんは預かっていく。先程言ったとおり、扱いはそう悪いものではない』


『……少し、待っていただいても?』


『エルヴィラ嬢ちゃんを呼んでくるのか?』


『違います。少しだけ私の後ろにいる御仁とお話させてください』


『まぁ……いいだろう』


 羅王は再び状況を見守っていたのだが、アナスタシアが振り返って弱々しい表情で見つめてきた。


「リオくん、わたし、何もできない、でした……」


 思わず、”想定通りだけど?”と言いそうになった羅王だが、ここはグッと言葉を飲み込み、然るべき言葉を吐き出す。


「じゃあ」


「はい。やっぱり、リオくん、頼るします」


「わかった」


 アナスタシアの本心は羅王にはわからない。

 それでも、彼女の精神状態がよろしくないのは感じ取れた。

 だったら、さっさと終わらせるに限る。


 このメイプルでリーフなプラチナコインで。


 羅王はポケットに手を入れ、握ったそれをアナスタシアに渡す。


「たぶん大丈夫だと思うんだ。でもダメだったら言って。一応、もう一枚と金貨も持ってきてるから」


「ごめんなさいです」


「謝ることじゃないから。それより、俺はここに居る以外何もできないから、大変だけど頑張ってね」


「はい」


 アナスタシアは羅王から受け取った品を両手で包み込み、僅かに頭を下げ、祈るように目を伏せる。

 だが少しして頭を上げ、すっと目を開いた彼女の表情は、先程とは打って変わって凛々しいものになっていた。


「リオくん、わたし頑張るします!」


「うん、頑張って」


「はい」


 力強い言葉を返し、羅王に背を向け再び借金取りと向き合うアナスタシア。

 彼女は手にしていた桐箱・・を、自身と借金取りの間にある簡素なテーブルの上に置いた。


 そんなアナスタシアの表情は、羅王には少しも見えていない。

 だがその背中から、少し前までまとっていた悲痛な雰囲気を感じない。

 むしろ逆で、彼女はなにかのスイッチが入ったように、接客を極めたサービス業の達人の如き笑みを浮かべている。


 もしその表情が羅王に見えていたなら、彼はとても心強く感じただろう。

 優しさだけではなく、自信に満ち溢れた強く美しい微笑みに。


『これは?』


『箱の中をご確認ください』


 置かれた箱を見ながら問う借金取りの男に対し、アナスタシアは淡々と答えた。

 男は促されるまま箱を手にする。

 彼は中を確認する前に桐箱から漂う香りと、手に触れた桐箱の感触に驚いている様子だ。


『なんとも珍しい、それでいてとても落ち着く香りだ。それに手触りが非常にいい』


 男の言葉に、アナスタシアは元より浮かべていた微笑みを深めて返す。


 元々このプラチナコインは、ドラマのプロポーズシーンでよく見かける、婚約指輪が入っているあの指輪ケースと似たような箱に入っていた。

 そこで羅王が、プラチナコインをそのまま渡すのではなく、多少なりとも高級感を出すために、箱に入れたまま差し出そうと考える。

 だがせっかくなら日本ぽさを演出したいと思い、プラチナコインに入っていた金庫にあった桐箱を使うことにした。

 これは羅王の茶目っ気だ。


『その箱は「桐箱」という異国の物で、熟練の職人が手掛けた逸品です』


 相手の反応を見て、アナスタシアは咄嗟にそう答えた。

 さらに続ける。


『箱も素晴らしいですが、中には箱以上に素晴らしい品が入っています。是非ご覧になってください』


 アナスタシアの言葉は丁寧であったが、その実、”早く中身を見ろ”と催促している。

 そうなると男は、促されるままに箱を開けるしかない。


『むっ! このサイズなのにも関わらず……いや、この小さなサイズだからこそわかる、見事なまでに手の込んだ精巧な作り。実に素晴らしい小箱だ。だがそれ以上にこの布が素晴らしい。このように見事な光沢を放つ布など見たことがない』


 羅王がなんとなく取り入れた演出部分に借金取りが見事に反応したことで、アナスタシアはその反応に乗ることにした。


『その布は「ベルベット」と呼ばれる物で、異国の王家のお抱え職人が織った逸品です』


 アナスタシアはここぞとばかりに話を盛っている。

 だが借金取りは真偽がわからず、羅王に至っては知らぬ言葉でやり取りがされているため、アナスタシアが何を言ったのかさえ知らない。


『アナスタシアちゃん、アンタは異国の小箱と珍しい布で借金を返済するつもりなのか?』


『そうだとして、その桐箱とベルベット、如何ほどのお値段になるでしょうか?』


 商人の子に生まれはしたが、アナスタシア自身は商人でなかった。

 だが体に流れる商人の血がそうさせたのか、借金取りの反応を見た彼女は、”これはチャンスだ”と感じ、騒ぐ血に急かされるように勝負へ出ていたのだ。

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