第11話 交渉の始まり

「ぼちぼち行こうか」


 昼食には少し早い時間だったため、賞味期限が今日までだった菓子パンを軽く食べ、いよいよ異世界へ向かう。


 ちなみにエルヴィラは、菓子パンを両手に持って嬉しそうにモキュモキュ食べていたのだが、途中からかなり興奮していた。


『なんですの?! このふかふかした食感の食べ物は!』


『この世界のパンよ』


『これがパンなのですか?! よしんばこれがパンだとして、中に詰まっているとても甘い物はなんですの?』


『このパンはお菓子に分類される「菓子パン」と言って、甘いクリームが入っているの』


『パンなのにお菓子? よくわかりませんが、とにもかくにもこのような甘味、どれほどの砂糖を使っているのか想像も付きませんわ』


 やはり言葉がわからない羅王は、微笑ましく母娘のやり取りを見ていたのだが、エルヴィラはクリームの甘さに驚いているのだろうな、と予想していた。



 それはさておき、アナスタシアとエルヴィラは、元々着ていたあちらの世界の服を着ている。

 ただアナスタシアの服は、背中側の一部に金色の跡が……。

 エルヴィラのドレスは、全自動洗濯機で洗濯と乾燥をされ、そのまま取り出していなかったので、かなりシワシワになっていた。

 だが問題なない。

 なぜなら、元からそんなデザインだったと思えるほど見事なシワだったので、むしろ見栄えが良くなっていたからだ。


 そして羅王の服だが、もし暴れるような事態があっても動き易いよう、それでいて多少丈夫であろう大伯父の所持していたデニム地のツナギを着ている。

 さらに、倉庫の一角に野球用品一式が置いてあったので、キャッチャー防具であるマスクとヘルメット、プロテクターとレガースを装備。

 足元は鉄板入りの安全靴、手にはおバカ工業高校在学時に使ったことのあるような、なんか丈夫そうな手袋をはめ、名状しがたいバールのようなものを右手に、塗料のスプレー缶――今回は銀色――を左手に持った完全装備の状態だ。


「リオくん、その格好で、行くするです?」


「荒事が起こる前にどうにかしたいからね」


 昨日は身なりの良い男が単独できていたが、今回の借金取りは護衛らしき者を従えているらしい。

 しかも、その護衛は帯剣しているとアナスタシアが言っていた。


 羅王は見た目こそ百九十センチ百キロと威圧的だが、普通程度の運動神経はあっても、何らかの武道を習っていたわけでもなく、はっきり言って荒事は苦手だ。

 ならば、”巨漢を活かして見た目で圧倒する”という方向でいくことにした。


 昨日は威圧する前に羊皮紙を発見して座り込んでしまったため、残念ながら羅王の威圧作戦は不発に終わっている。

 だから今日こそ、自身最大の武器を活用したいと意気込んでいた。

 そんな羅王を見て――


「はぁ~」


『リオ様は武神ですわ』


 アナスタシアはため息をつき、エルヴィラはあちらの言葉で何かを言いながら、キラキラした目で羅王を見ていた。



 ◇ ◇ ◇



「メンドクサ」


 日本側と異世界側、奥行き一メートルとはいえ、二度も地面を這いつくばって通るのは、大柄な羅王からするとなかなかに面倒だった。


「ユンボでガッツリ穴を広げたいけど、今の俺では無理だよな……。ユンボの資格を取ろうかな」


 ユンボなどの重機は、私有地なら資格がなくても運転できる的な話を聞いた覚えのある羅王。

 そして敷地外で重機を動かす気のない彼だが、そもそも正しい操作方法を知らない。

 なので、操作方法を教わるのなら結局資格を取るしかないと思ったのだ。


「へー、これが異世界の建物か。昨日はしっかり見れなかったけど、コンクリの打ちっぱなしとは違うし、ブロックを積んだチープな感じでもなく、重厚感のある石を積んだ造りなんだな」


 地下の暗い冷暗所から地上階に上がり、懐中電灯の明かりを周囲に巡らせた羅王は、改めてじっくり見た異世界の室内に感嘆の声を上げた。

 すると、石造りの建物に据えられた木製の鎧戸を、アナスタシアとエルヴィラが開けていく。


「あー、こっちはガラス窓ってないんだね」


 数ヶ所ある鎧戸を彼女たちが開けたことで、室内に陽の光が差し込み、ようやく懐中電灯が不要になる。


「ガラス、あるです。でも日本、透明ガラス、こっち、ないです」


 昨日ちょっと見た感じでも、文化レベルが低いであろうことは察せられたが、ガラスはあっても透明なガラスはないと聞き、予感は確信に変わった。


「でもまぁ、ある意味では想像通りかな」


 競馬ゲームの息抜き程度ではあるが、ウェブ小説を読んでいた羅王は、漠然とではあるが異世界のイメージがあった。

 そしてそのイメージは、あながち外れていないと思えたのだ。


「つまりこれがあれか、ナ―ロッパとか言われる世界なんだな」


「なーろっぱ?」


「気にしないで」


 中世ヨーロッパ風の世界観を説明不要で言い表せるらしい、ナーロッパと言う便利な言葉を羅王がつぶやいたところ、アナスタシアがしっかり拾っていた。

 だがそれを説明するのは面倒なので、彼は軽く流す。


「お店と住むの建物、あっちあるです」


「そういえば、昨日もお店っぽい所の前でやり取りしてたよね。――あれ? じゃあなんで、今ここの窓……じゃなくて鎧戸を開けたの?」


「空気、入れ替え? するでした」


「あー、換気ね」


 この部屋が埃っぽいと思っていた羅王は、無意味そうな行動の意図に納得しつつ、促されるまま母屋へと向かった。


「リオくん、こっちのお茶、美味しいないです」


 元は商会の応接室かそれっぽい場所であったのであろうが、今はすっかり殺風景な部屋で、アナスタシアが申し訳無さそうお茶を出してくれた。

 羅王は彼女が謙遜して言っているのかと思ったら、本当に美味しくなかったので、感想を言わずにスルーを決め込んだ。


 それから最終確認をしつつ、借金取りがくるの待った。



 ◇ ◇ ◇



『やあアナスタシアちゃん、返済の用意はできたかい?』


 アナスタシアの父が経営していた商会に、いよいよ借金取りがやってきた。

 彼女を親しそうにアナスタシアちゃんと呼ぶ男は金貸し屋の番頭で、かつて彼女の父が面倒をみていた時期もあり、旧知の間柄である。

 彼はアナスタシアと十歳ほどの年齢差なので、現在は四十代半ばのはず。

 だが実際には、若干疲れた様子で五十を過ぎたような見た目している。

 それでも商人らしく、嫌味にならない良い笑みを浮かべていた。


 そんな金貸し屋の男の後ろには、剣を腰に下げた男が立っている。

 如何にも用心棒といった風体で、当然ながら表情に笑みなど浮かべていない。


『随分と物珍しい格好をした人物をはべらせているけど、もしかして暴力で借金をなかったことにするつもりかな?』


 アナスタシアの後ろにも、意味不明な出で立ちの羅王がたたずんでいる。

 男の視界に入るは当然で、このような反応をされるのは想定済みだった。


『こちらの方は、過去に父が少しだけお世話をした異国の商人のお孫さんです。珍しい格好はの国の旅装束らしく、ほんの少し前に到着したばかりなのです』


 これは打ち合わせ中に羅王が考えた設定で、強引だが下手な説明もできないので採用した。


 ちなみに、当初は威圧感を与えるつもりで完全防備にしていたが、それはこちらから事を荒立てる愚策だと思い直し、旅装束という設定に変更している。

 万が一があると怖いので、防具を外すという選択肢は羅王になかった。


『異国の商人、ね』


 いぶかしげに羅王を見る借金取りは、素直に信じているとは思えない。


『で、異国の商人がなぜこの場に?』


『この御仁はこちらの言葉を理解できておりませんが、商人として勉強がてら見学させてほしいとのことでしたので』


『言葉を理解できていない者と、そのようなやり取りが可能なのかい?』


『多少ですが、私は彼の国の言葉を話せますので』


『さすが、博識なアナスタシアちゃんだ』


 羅王について深く言及してくることを想定していたが、男はそれ以上余計な詮索をしてこなかった。


『ところでエルヴィラ嬢ちゃんは?』


『無理をして体調を崩してしまったので、自室で横になっています』


 借金取りとのやり取りなど、エルヴィラに聞かせるものではない。

 なので、彼女には自室で待機してもらっている。


『まぁ気持ちのいい話ではないし、彼女はこの場にいなくてもいいだろう』


『彼の見学については?』


『おかしな真似をしないなら構わない。だがいざという時は、俺の後ろにいる男が剣を抜くよ』


『心配ご無用です』


『そうかい。ならばそろそろ本題と行こうか』


『そうですね』


 もう少し何か言われると思っていたアナスタシアだったが、羅王の同席が思いの外あっさり認められ、すんなり本題へと進めた。


『アナスタシアちゃん、俺はアンタの親父さんには世話になった。今こうして働けているのも、アンタの親父さんのおかげだ』


『それでしたら、もう少し返済期限を――』


『それはダメだ』


 早速始まった本題。

 借金取りの言葉を聞き、アナスタシアは慈悲にすがるべく、返済期限の延長をお願いしようとしたのだが、彼は彼女の言葉を遮った。

 それまでのどこか親しげな雰囲気を霧散させ、金を貸している側としての強い立場を乗せた声で。


『そもそも親父さんに貸した金は大金貨十五枚。利息は固定で大金貨たったの二枚で、合わせて大金貨十七枚。それを五年以内に全額返済することで、催促なしという契約だ。この条件は普通ではありえない、破格の契約だと理解しているか?』


 大金貨十五枚も借りれば、仮に一年で返せたとしても、その間の利息が大金貨二枚前後になるのが相場だ。

 それが五年間催促がないうえに、利息は大金貨二枚で固定。

 常識的にありえない、破格過ぎる激甘な条件だった。


『それは……。ですが、まだ五年経っておりま――』


『それも以前に言ったはずだ。あの契約は、アンタの親父さんが”生きていれば”、という条件付きだと』


 たしかにアナスタシアは、その話を聞かされている。


『まぁたしかに、この条件で契約するのを俺が会長に黙っていたせいで、余計な項目を増やされてしまった。それは俺のミスだと認めよう』


 この男は商会長から信頼も厚く、番頭としてある程度のことは自分の裁量で動かすことが可能だと聞いていた。

 だがこの男の雇い主である商会長も、バカでなければ情弱でもない。

 むしろその逆で、貴族や大商会など有力者や富裕層の凋落を嗅ぎ取り、取りっぱぐれのないよう実に見事な塩梅で金を貸している。

 生かさず殺さずの状況を作り出す手腕は見事で、平民なのに貴族を手駒として動かしたりしつつ、利息などで利益を生み出しながら飼い殺しにしているのだ。

 そんな商会長だ、ウェセロフ商会が不味い状況なのを知っているのは当然。

 さらにいえば、ウェセロフ商会の娘、つまりアナスタシアがグルホフスキー伯爵に嫁いだことも、その後に離婚されて娘と共に実家へ戻ってきていたこともまた、知っていて当然だった。


『だがアンタの親父さん、自分の体調が悪くても、自分のための薬を買うこともしていなかっただろ?』


『それは……、はい』


 そのくらいの情報、知られているのは当然だとアナスタシアも理解している。


『だから会長は、俺の出した契約内容を簡単に了承し、そして項目を追加した』


 契約者本人が死亡した場合、相続人が半年以内に利子を含めた総返済額の一割――今回であれば大金貨一枚・中金貨一枚。小金貨二枚――を返済し、再度同様の条件で契約を結び直す。

 履行されなかった場合、契約は破棄され、全額の一括返済、もしくは相応の対価を即時に支払う。


 上記の条件が追加されたのだ。


『こんなことは言いたくないが、会長はアンタの親父さんが長くないと確信していたようだ』


『…………』


 男の言葉に対し、様々な感情がい交ぜになったアナスタシアは、言葉を発することができなかった。

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