第8話 興奮する異世界母娘

「ごはんは少なくにしておいたから、足りなかったらおかわりしてね。これは取皿。で、ナイフとフォークにスプンね。あっ、アナさんは箸って使えたっけ?」


 着替え騒動が落ち着いたことで、羅王は料理――冷凍食品ばかり――をテーブルに並べ、キョトンとする二人にあれこれ渡し、最後に質問を投げかけた。


「はし?」


 そう言って首を傾げるアナスタシアに、羅王は手にした箸を動かし、カチカチっと鳴らしてみせる。


「あー、お箸! むずかしいだけど、わたし使えるです。エルヴィラ、お箸、知らないです」


 納得顔のアナスタシアの隣に座るエルヴィラは、器用に箸を鳴らす羅王の手元を物珍しそうに見て、驚きから感動の表情に変化させている。


「じゃあ、この箸を使ってね」


 そう言ってアナスタシアの前に箸を置いて、今度はエルヴィラに視線を向ける。


「エルヴィラもどうぞ」


 一応、彼女の前にも箸を置いた。


「使えなかったら無理せず、フォークとか使っていいからね。エルヴィラにもそう伝えてあげて」


「ありがと、リオくん。エルヴィラにも、言うするです」


 一人暮らしをしていたはずの大伯父だが、キッチンには”何人家族分だよ!”と言いたくなるほど、食器やらなにやらが備わっていた。

 なので箸は割り箸ではない。


「じゃあ食べよう」


「はいです」


 羅王は両手を合わせて「いただきまーす」と言うや否や、即座に構えた箸を唐揚げへと伸ばした。


「いただきます」


「…………」


 大伯父から教えられた食事の作法をアナスタシアは覚えていたようで、手を合わせると羅王に続いて「いただきます」と言っていたが、エルヴィラは当然ながらキョトンとしている。


『エルヴィラ、こっちの世界では、食事の前に手を合わせて、「いただきます」と言ってからいただくのよ』


『それよりお母様、リオ様がカチカチされていた棒はなんですの? それにこの美味しそうな香りを放つ物はなんなのですか? どれも見たことがありませんわ』


『少しずつ教えていくから、まずは手を合わせて「いただきます」と言うの。わかった?』


『わかりましたわ。えっと~「いた、だき、ます?」。お母様、間違えていないかしら?』


『大丈夫よ。よくできました』


 朝食以来、昼食を飛ばしての夕食だったため、”待て”ができないほど限界だった羅王。

 彼は異世界の母娘に軽く意識を向けつつ、それでも我先に食べ始めてしまう。

 一方でアナスタシアは、異世界を知る先輩としてなのか、それとも母親としてなのか不明だが、我が子にしっかりと異世界の作法を伝授していた。

 その光景は実に微笑ましく、それでいて美しい。

 空腹に抗えなかった羅王の手が、その光景に魅入って止まってしまうほどに。


『お母様、この茶色の食べ物の中身はお肉ですわ! すごく美味しいですわね』


『これは「からあげ」ね。懐かしいわぁ~』


『この白いつぶつぶはもちもちしていて、なんとも言えない珍しい食感ですが、あまり味がしませんわね。――あっ、噛むとほんのり甘みが感じられますわ』


『これは「お米」という植物を煮た物で、「ごはん」と言うの。この日本では主食なのよ』


 味噌汁を用意し忘れていることに気づいた羅王が、インスタント味噌汁を作り、それを配膳しつつ、アナスタシアとエルヴィラのやり取りを観察していた。

 当然、二人が何を言っているのかわからない。

 それでも、所々で聞き馴染みのある単語が聞こえたことで、母が娘に説明しているであろうことが察せられた。

 少しばかり険悪そうな雰囲気を感じることもあったが、どうやら母娘仲は良好のようだ。


 母娘仲が良さそうなのもいいことだが、怒ったり不安がったり思案したりと、難しい表情ばかり浮かべていたエルヴィラが、驚きなど見せつつも沢山の笑顔を浮かべていたことで、羅王も嬉しい気持ちになってくる。

 羅王としては不思議な感覚であったが、それでも心地良い感覚でもあった。


「ごちそうさま、でした」


「ごちそ、う、さま、でした?」


「はい、お粗末様でした」


 和やかと言って良いのか疑問だが、ほっこりした気持ちで食事を終え、空腹が満たされたことで大満足の羅王は、このまま何もしないで部屋でゴロゴロしたい気持ちになっていた。

 だがしかし、異世界母娘の件を進めなければならない。


 羅王はだらけたくなる気持ちを振り払い、大伯父が自室として使用していた部屋へ向かう。

 アナスタシアとエルヴィラは、食洗機に入れておけば勝手に食器が綺麗になる、という羅王の言葉を確認すべく、何も見えないのに食洗機の前で待機している。


「あれ、銀色のコインが複数種あるな。あぁ~、そういえば、銀貨も遺産の中にあったっけ。――となると、どれがプラチナコインだ?」


 貴金属が入っている金庫を開けた羅王は、想定外のことに困惑する。

 だがコインの入っているケースに説明があったので、プラチナコインはすぐに見つかった。


「こうして並べてみると、プラチナより銀のほうが白に近いんだな。ほうほう、プラチナはやや落ち着いた白って感じで、なんとなく高級感がありそうに思える。――ん、これって、異世界で銀と間違われないか?」


 実物を見つけたはいいが、羅王は若干の不安を覚えた。


「アナさん、これがプラチナコイン……白金貨。わかる?」


「あ、リオくん。これ、静かなるしました」


 羅王がキッチンに戻り、早々にコインの話を持ち出したのだが、アナスタシアは食洗機の中が気になっている様子。


「はいはい、今出しますよ。――はい、どう?」


「わー! お皿、綺麗なってるです! すごいです!」


『すごいですわ! お母様、お皿がピカピカですわ!』


 食洗機を開けた羅王が、中の皿を一枚取り出して二人に見せると、随分と興奮した様子でアナスタシアが答えた。

 エルヴィラの言葉は意味不明だが、醸し出している雰囲気がアナスタシアと似ているので、きっと彼女も興奮しているのだろう。


 羅王からすると、そんなことよりアンタらの未来がかかったプラチナコインのほうが大事だろ、と言いたい気持ちがあった。

 だが今は、楽しそうな二人の邪魔をしてはいけない、という空気が醸し出されている。

 それなりに空気の読める羅王は、取り敢えず二人が落ち着くのを待った。


 少しして食洗機の興奮から落ち着いた異世界母娘を連れ、大広間と呼びたくなるような居間に移動する。

 キッチンは洋風のダイニングキッチンだったので、テーブルとイスだったが、ここはリビングではなく居間だ。

 板張りだが洋風のそれとは違う古民家らしい造りで、大きめのラグに如何にも日本的な座卓、それも高級感があって大きめで重厚なものが置かれている。

 なので座椅子はあるが、床に直に座る格好だ。

 アナスタシアは経験済みだが、エルヴィラは未経験のようで、少々座り方がぎこちない。


 それはさておき本題だ。


「アナさん、これ白金貨。わかる?」


「色、ピカピカ。わたし、見たあるです。あ~、えっと~、大銀貨軽い、大白金貨重い。だからこれ、大白金貨です」


 プラチナコインをアナスタシアに渡すと、受け取ったプラチナコインを右手に、異世界から持ってきた大銀貨を左手に持って重さを確認し、自信満々にプラチナコインを”大白金貨”と言い切った。

 羅王も両方受け取り、それぞれ持ってみる。

 たしかにプラチナコインのほうが重い。

 なんとなくではなくはっきりと。


 羅王がネットで軽く調べた情報で、比重はプラチナがシルバーの約二倍あると書いてあった。

 であれば、硬貨が同じサイズで作られているなら、必然的に大銀貨より大白金貨のほうが重くなる。


 ついでとばかりに、異世界の大銀貨とこちらのプラチナコインを重ね、サイズ感を確認した。

 偶然にも、直径がほぼ同じ大きさだ。


「じゃあこれで、アナさんの借金は返済できるかな?」


「……あっ! 思い出す、しました」


「ん、何を?」


「え~、薬、塗るする。銀貨、黒いなる。白金貨、黒いならない、です」


「へー、銀と白金を判別……わかるようにする薬があるんだ?」


「そうです」


 なんとも便利な薬があるようだ。

 こっちのプラチナがあっちの白金と同じ性質か不明な分、若干の不安は残るが、黒くならなければ問題ない。

 きっと大丈夫だろう。


「それなら大丈夫そうだね」


「大丈夫、思うです。……でも、リオくん、大白金貨、わたし使う、悪いです」


「これはじいちゃんが遺してくれた物だし、俺は大丈夫だよ」


「大白金貨、ケンさんの? ケンさん、思い出ある、使うダメです……」


「あー、金庫にしまってあった物だし、これに思い出とか詰まってないよ」


「でも……」


「むしろ思い出だったら、この家とか他にもたくさんあるから問題ないし。それに困ってるアナさんのために使うなら、じいちゃんは喜んでくれると思うよ」


 羅王は無邪気で天真爛漫な昔のアナスタシアしか知らないため、考えなしにその場の感情で動いてる人、という印象が残っていた。

 しかし、単に彼が本当のアナスタシアを知らなかっただけなのか、はたまた長い年月を経て彼女が成長したのか不明だが、他人を思いやれる人なのだと感じる。

 だからこそ、よりいっそう助けたいと思う気持ちが働いた。


「それに、地球とそっちの世界だと貴金属の価値が違うみたいで、こっちだと白金貨より金貨のほうが高いんだよ」


「金貨、白金貨よりすごい、です?」


「うん。それにね、俺の資産はその白金貨百枚以上あるから、あとで買い直してじいちゃんに返すこともできるし」


「リオくん、お金持ちです?」


「う~ん、俺と同じ年頃の一般的な人よりは多く持ってるかもしれないけど、特別お金持ちってわけじゃないから……小金持ち、かな?」


 家族から”引きこもりニートギャンブラー”とうとまれていた羅王だが、実際にはかなり稼いでいるし、彼自身も稼げているという自覚はある。

 だがしかし、アルバイト経験はあっても定職に就いたことがなく、二十五歳で年収一千万円以上、貯金が三千万円少々の自分が、同年代の一般的な正社員とどれほど差があるか知らない。

 そのため、そのあたりの位置づけだと自分を評していた。


 そんな説明を理解できなかったアナスタシアに、生活に困ることはない程度のお金はある、と伝えたが――


「でも、わたしのお父さん、借りたお金。リオくん、出す、悪いです」


 彼女は申し訳無さそうにそう言った。

 だが羅王も引かない。


「これは俺がそうしたいだけ。俺のわがまま。それにこのプラチナコイン……大白金貨が、そっちの大白金貨と同じ扱いになるかわからないでしょ?」


「はい……」


「だから試してみるだけだよ」


 あんな金色のスプレー缶で、いくら分か不明だが未払金と相殺できた。

 その前提があるだけに、確信はないが大丈夫だと思っている羅王。

 だがそれでも絶対ではないので、懸念はある。

 仮にプラチナコインで返済できなかったら、羅王はどうしてやることもできない……いや、念の為に金貨も使うつもりだが、それとて絶対ではない。

 なので明るくアナスタシアをさとしているものの、”試してみる”はある意味で自分を安心させる言葉でもあった。


「そもそもアナさんは、借金の一割も返せないんでしょ?」


「ない、です……」


 異世界母娘は、死にものぐるいで半年働いて得た給金も、最低限の食事以外は使わずに貯めていたらしい。

 さらにアナスタシアは、家財道具など売れる物はほぼ売っており、そのお金を合わせても羅王の想定する日本円で百万円弱。

 明日までに支払わなければいけない借金の一割とは、ざっくり百三十六万円なので、約四十万円ほど足りていない。

 彼女がどうあがいても、返せる見込みがないのが現状だ。


「だったら試すだけ試してみようよ」


「……わかる、したです。――リオくん、ありがと」


「お礼はまだ早いよ。無事に借金返済できたらしてね」


 羅王はなおもおどけて見せて、この場はお開きにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る