第6話 危機的状況

「あっ! えっ? エルヴィラって姉ちゃんの子どもだったの?! いや、たしかに似てると思ったけど、エルヴィラって中学生……いや、女子高生か? でもそれくらいの年だよね? 姉ちゃんの子にしては大きすぎない? それに二人が並んでる姿だって、少し年の離れた姉妹にしか見えないし!」


「あー、リオくん、ゆっくり、しゃべるして、ください」


 驚きのあまり、通常より早口になっていた羅王の言葉を、アナスタシアは聞き取れなかったようだ。


「ごめん、姉ちゃん。――エルヴィラは、姉ちゃんの子ども?」


 羅王が意識的にゆっくりした口調で問いかけると、アナスタシアは「はい」とはっきり答えた。

 その表情は、会話ができたことを喜んだのか、満面の笑みを湛えている。


「エルヴィラ、わたし、子ども。わたし、おばちゃん。姉ちゃん、違う」


「あー、こんな大きな子どもがいるから、もうおばちゃんってことね? でもなんて呼べばいいんだ? アナーシャ……じゃなくてアナスタシアさん? なんか他人行儀で嫌だな。って、他人なんだけど……」


「ん、なに?」


 話しかけたのではなく独り言が漏れ出ただけなのだが、アナスタシアは羅王の言葉に反応していた。


「えーとー、俺は、姉ちゃんを、どう呼べばいい?」


 羅王は努めてゆっくり問いかけた。


「あー、リオくん、わたし、呼ぶ?」


「そう」


「う~、わたし、アナスタシアだから、アナスタシア呼ぶ、いいいです」


 そう言われても、羅王は年上を呼び捨てにするのはなんとなく嫌だった。

 なので、質問して答えを得ながらも、勝手に呼び方を決めてしまう。


「よし。アナさんって呼ぶ」


 アナスタシアという名は、羅王からすると長いのでアナと略す。

 かといって、アナちゃんと呼ぶのはさすがにおかしいと思い、アナさんと呼ぶことにしたのだ。


「わたし、アナさん?」


「そう。俺、羅王くん。じいちゃん、拳さん。姉ちゃん、アナさん」


「おー! わかる、しました。――あっ、ケンさん、元気?」


 大伯父をケンさんと呼んでいたアナスタシアは、羅王の説明に合点がいったようで、納得の表情を浮かべた。

 しかし、大伯父の名を出したことで、当然であろう質問をされてしまう。

 羅王としては答えづらい質問だが、隠すようなことではない。


「じいちゃん、死んじゃったよ」


「ケンさん、死ぬ、したですか……」


 アナスタシアの言葉は少々不器用だが、意味は理解できているようだ。

 だからだろう、元から疲れたような表情に、さらなる影が差していた。


 それからしばしの沈黙の後、アナスタシアが口を開く。


「わたしのお父さん、死ぬ、したです」


「あー、アナさんのお父さんも……。ご愁傷様です」


 ご愁傷様と言っても伝わらないだろうが、羅王が手を合わせて頭を下げたことで、アナスタシアは彼の言わんとすることの意味を察したようだ。

 だが突然――


「お父さん、お金、いっぱい、借りるでした。お金、返す、わたし大変。エルヴィラ、連れる、されるです。うっ、うっ……」


 そう言ったアナスタシアは、ピクニックテーブルの天板に顔を伏せて泣き出してしまった。

 それに羅王が驚いたのは当然のこと。

 アナスタシアの隣に腰掛け、黙って置物のようになっていたエルヴィラも驚いた様子だったが、突然泣き崩れた母に何か話しかけていた。


 その後少しして泣き止んだアナスタシアに、羅王は急かすことなくゆっくりと問いかける。

 彼女のつたない日本語は、なかなか理解に苦しむものだったが、羅王は我慢強く聞き出した。


 聞いてみると、離婚されたアナスタシアがエルヴィラを連れて実家に戻ると、程なくして借金に苦しんでいた父親が亡くなってしまう。

 するとその借金は、一人娘のアナスタシアに回ってきた、という話だった。

 羅王が大伯父の残してくれた土地や家屋、その他諸々の”財産”というありがたい遺産を引き継いだのとは逆に、彼女は借金という負の遺産を継がされたわけだ。


 しかも問題なのは、その額が大きという点。

 それともう一点、アナスタシアの暮らす地は、外国ではなく異世界だったこと。

 しかし今回は、異世界云々について追求していない。

 今重要な、借金問題についてのみ聞いてみた。


 アナスタシアは離婚されても慰謝料どころか、十六歳だというエルヴィラに対する日本の養育費のようなものももらえず、二人で必死に働いているらしい。

 だが大した収入も得られず、それでも借金返済のために雀の涙程度のお金を必死に貯めていた。

 だが父が亡くなったことで契約条件が変更されていて、債権者から『少なくとも一割は返せ』と言われてしまう。

 その期限が明日。

 もし返済できなかった場合、エルヴィラを連れて行くと言われているようだ。


 エルヴィラが連れて行かれると聞いた羅王は、勝手なイメージで”奴隷にされてしまう”と思ってしまった。

 だが不幸中の幸いか、の国で奴隷は許されていないという。

 しかしそれでも、若い女性は娼館などで働かされるらしく、悲惨な人生を送ることになるらしい。


「あれ? 返済期限……お金を返すのは明日だったんでしょ? さっきの人は、どうして無理やりアナさんを連れて行こうとしたの? しかも連れていかれるのは、エルヴィラだったはずだよね?」


 アナスタシアは、返済期限が明日だと言っていた。

 だがつい先程、彼女が連れ去られそうになった場面に、羅王は遭遇している。

 しかも話では、エルヴィラが連れて行かれると言っていたのに、実際はアナスタシアが連れて行かれそうになっていたのだ。


 色々と話が食い違っているのは、何処かで齟齬そごが発生していたのだろうか?

 羅王はもう一度、しっかり話し合いをすべきかと考える。


「あの人、お金貸す人、違うです。お父さん――」


 アナスタシアがまた説明してくれた。


 明日返済するのは、金貸し業界最大手の商会。

 父親はそこから借りた金で、他所からの借金や仕入れ業者への払いはすべて済ませていた……とアナスタシアは思っていたそうだ。

 しかし、商品を買い付けた仕入れ業者に未払金があったらしく、明日にはその大手の商会が取り立てに来るのを聞きつけたようで、その前に未払金を回収しようと慌てて取り立てにきたのだそうな。


「本当に未払金ってあったの?」


「お父さん、名前書いてある、しました」


「ああ、あの羊皮紙ね」


 羅王とアナスタシアは、金色の塗料が附着した軍手と一緒に置かれている、金ピカのそれに目を向けた。


「ま、まぁ終わったことはいいとして……」


 自分のやらかしから目を逸らすように、金ピカのブツに向けていた視線をアナスタシアに向ける羅王。


「ねえアナさん、そっちの暮らしを捨てて、日本で一緒に暮らさないか?」


 もしかしてアナスタシアは、借金を名目にして色々と食い物にされているのではないか、そう思った羅王は、対応策として日本で暮らす提案をした。

 しかしアナスタシアは、お金を貸してくれた人が困るからそんな無責任なことはできない、と言う。


 自分たち母娘が危機的状況にあり、先程も連れて行かれそうになったばかりだというのに、随分とお人好しなことを言うアナスタシア。

 そんな彼女に、羅王は少々呆れてしまった。


 だが実際、羅王が危惧する”食い物にされている”ということがなければ、”借りたら返す”という常識をわきまえているアナスタシアの感性が普通なのだろう。

 彼は自身の考え方を反省した。

 それと同時に、建設的な解決策を模索する。


「外国なら円を両替して俺が出してあげることはできるけど、異世界となると日本円なんて役に立たないよな……」


 アナスタシアから大金だと聞いているが、具体的な金額がわからないので、仮に日本円が使えたとしても、羅王の全財産でも一割に届かないかもしれない。

 念の為、彼女に借金額とそちらの国の貨幣価値を聞いた。


「大金貨十七枚の借金ね。ってことは――」


 アナスタシアが背負わされた借金や、貨幣関係について教わったことを、羅王は自分の中で色々と整理していく。


 彼女の国では、一定の地域でしか使えない鉄貨が最低の貨幣。

 その上に銅、銀、金、白金があり、それぞれ小中大の三種ある。

 金貨であれば、下から小金貨、中金貨、大金貨といった具合だ。

 サイズは大を基準にしているようで、金貨であれば大金貨の二分の一が中金貨、大金貨の十分の一が小金貨となる。


 そうしてわかったのは――

 小銅貨十枚で大銅貨一枚になり、大銅貨二枚で小銀貨一枚になる。

 小銀貨十枚で大銀貨一枚になり、大銀貨二枚で小金貨一枚になる。

 これらから、同じサイズであれば銅から銀、銀から金と価値が上がる度に価値が二十倍……つまり必要枚数が二十枚ということだ。


 日本円換算しても意味がないのだが、イメージするために当てはめてみた。

 最低価値の小鉄貨が十円。

 小銅貨が二百円で大銅貨が二千円。

 小銀貨が四千円で大銀貨が四万円となる。

 金額が上がると価値の乖離かいりが大きくなってる気がするが、そのまま換算すると大金貨が八十万円、大白金貨は一千六百万円と推測できた。


「大白金貨は大金貨二十枚と同等だから、大白金貨一枚で借金は全額返済できるのか。で、借金の大金貨十七枚を日本円に換算すると約一千三百六十万円……」


 日本円なら羅王は三千万円以上の貯蓄がある。

 単純な金額だけを見れば一括で返済できるのだが、異世界で日本円は確実に役立たない。


「あっ、コインならどうだろ?」


 地球と異世界、同じ物質か怪しいところではある。

 だが、コインは紙幣と違って貴金属だ、通用する可能性はあるだろう。

 しかも大伯父から相続した物に、メイプルなリーフのコインがあったことを、羅王はしっかり確認している。

 その殆どは金貨だったが、白金貨――つまりプラチナコインが二枚だけあったのを覚えていた。


「アナさんが持ってた大銅貨と大銀貨、材質は違うけど大きさは同じなんだよな。しかもこっちの一オンス金貨と、重さは不明だけどサイズ感は似てる」


 そんな確認をしながら、羅王はスマホでネット検索を終えていた。


「マジか! プラチナって金より高価なイメージあったけど、相場を見るとプラチナのほうが安いのな」


 コインはデザインなどで値段の差が出るが、オーソドックスな一オンス金貨が三十万円少々なのに対し、白金貨は二十五万円少々。

 地金の価値はもっと離れていて、プラチナは金の半分ほどの値段でしかない。

 しかし逆に、アナスタシアの国に於いて、同じサイズのプラチナは金の二十倍。


 これは、実に驚きの結果であった。

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