第二話・焦燥、暴走?! 迷う月夜にトラブル発生!

Aパート


「楽しい」ことに、理由はいらないはずだったのに。


◆ ◆ ◆


 喫茶店『DARETO』。愛野シティでは知る人ぞ知る隠れた人気店。しかし店の前の扉には小さな張り紙がラミネートに包まれた状態で貼り付けられている。


 それは、手書きの字で綴られた、期限を定めない臨時休業のお知らせだった。

 

 街に住む人々はその知らせに驚いたが、一方で事情を知る者は余り多くを言わずに受け止めた。

 ――身内の失踪。そんな事件が起これば店など開けられるはずもなかろうと、そう考えるのは自然な事。中には心無い裏事情を勝手に想像して勘繰る人間もいないではなかったが、基本的にそういう連中は白い目で見られるばかりである。


 一方で、人々の同情と心配を向けられている肝心の店主はと言うと。


「こいつがその、『アクマーダー』とかいうやつなのか」

「はい。実体化して間もない相手ですので比較的危険度は低いですが、初陣には丁度よいかと」

 少女二人と空を飛ぶぬいぐるみ紛いと共に、昨日の裏路地にやってきていた。


 昨日と同じように、周囲には異様な気配が漂っている。空も夕暮れと夜空をマーブル模様にしたかのような薄気味悪い色合い。そして、今眼前にあるのは先日のような少女の姿ではなく――。


「「murrrrrrdeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeer!!!」」


 凡そ三メートル近い影が、天に向かって咆哮する姿であった。

 体色は墨汁のような黒一色。てらてらと輝く山なりの身体に、指と爪とが一体になったような形の手が生え、顔と思しき部分には子供の落書きでよく見るような、吊り上がった目と牙の生えた口を抽象化したような窪みのようなものがあり、その中は赤と橙の中間くらいの色合い。

 まるで絵本に出てくる戯画的な怪物を、そのまま現実に引っ張ってきたような姿。これこそが、闇の王国が遣わせた尖兵、『アクマーダー』であるという。


「それじゃあ、ぼくの出番ってことカフね!」


 先程までついてきたルナと睨み合っていたカフタンが意気揚々とトイフェルと日向斗の間に割り込むと、日向斗に謎の小道具を渡した。


「なんだ、この、ピカピカしたオモチャは」

 それは小さなペンライトのようなもので、先端にはひし形の外側が内向きに弧を描く、例を挙げるとするなら四芒星形に近しい形状の飾りがついていた。


「それは『ルクスステッキ』カフ! それを使うことで、光の力に身を包み、魔法少女と同じ力を得ることができるようになるカフ! 日向斗は男の子だけど……多分大丈夫なはずカフ!」

 自信満々の解説を行うカフタンを、疑わし気な目で見る日向斗。呆れ顔を隠さないトイフェル。未だに吼えかかる犬のような顔で唸っているルナ。

 曖昧な説明を受けたまま、そのステッキとやらを掴まされた日向斗はどうしたものかと首を捻るが、無論そんな悠長な動きをしている隙を、見るからに意志疎通の不可能な相手がただぼけーっと待ってくれるはずもなく。

 

 尖った手が、目下の人型――その中で最も手近な日向斗に向かう。

 貫こうとするのか、あるいは叩き潰そうとするのか。ともかく、体躯による重量と振るう腕の鞭のような遠心力によって高まった破壊力によって行われた攻撃。だが、残念ながら砕かれるのはアスファルトのみであり、そこに命を奪った感触はなかった。


「舌噛むよ」

 一方で、聴覚がそれを認識したそのコンマ数秒の後に、泥人形のデカブツが感じたのは自身の身体が吹き飛ばされ、自身を構成する「黒」が千々に弾けて消えていく消滅の予兆だった。


 ――振り下ろされた拳に合わせて跳躍。背後で起きた破壊と土煙を突き破るだけの速度を得たまま、光の力を帯びたステッキを握り締め、その手で顔面をブン殴る。

 ごくごくシンプルで簡単なその一撃で、泥人形は後ろに倒れながらバットでノックされた水風船のようにぶしゃ、と軽い音を立てて体内から生じた光と共に飛散した。その散りざまは、人類を絶望に叩き落とす侵略者であり闇の尖兵、などと大仰に持ち上げた割にあっけないものである。


「想像より、ずっと簡単だね」

 そう独り言つ日向斗に、カフタンは驚きにぽかんと口を開ける。


「へ、変身もしないで、『アクマーダー』をやっつけちゃった、カフ……」

 驚きぷかぷかと浮くばかりのカフタンに、振り返った日向斗はずかずかと詰め寄るとその頭を乱暴に掴み自分の顔の前に引き寄せた。


「妖精もどき、説明が足りない。こういう道具は実際に場所に来る前に渡して効果を説明するものだろう? まさか、妹たちにもこんな半端な説明でこれを押しつけたんじゃないだろうね?」

「お、仰る通り、カフ……」

「次に情報や道具の出し惜しみをしたらその角をへし折る。まだそっちの二人の方が素直に話してくれてることを自覚してくれ」

 縮こまる妖精をカフェのエプロンのポケットに突っ込む一幕。パワハラ上司に睨まれた新人社員の説教風景のようなやり取りが視界に入るが、トイフェルは妖精のいたたまれなさとは全く別の理由から冷や汗を隠せない。


(流石に、どう考えても異常でしょうこれは)


 先の『アクマーダー』が、実体化して間もない相手であるのは事実だ。脅威の度合いで言えば決して高くはないというのも偽りはない。

 最もそれは『闇の王国の兵として、人々に絶望を与えるうえではまだ未熟』というだけであり、魔法少女たちでさえ初戦だとかなりの苦戦を強いられたと記録に残っている。


 それを、一撃。

 更には力を得るための道具をそのまま武器のように使ったデタラメな戦い方で。

 もっと言えば、身体能力の向上などの些細な強化を受けつつではあるが、ほとんど生身の状態のまま。


 ルナが簡単に無力化されたのは、単純にルナが格下だと侮ったせいであるとも、それからこれまで碌な敗北を経験してこなかったとも考えていた。けれどその考慮すらともすれば油断であり驕りであったかもしれないと、トイフェルは背筋を伸ばす。

 ともすれば、日向斗というアレは、想定を超える脅威であるのではないか、と。


「トイフェル、だったよね」

「な、なんでしょうか?」

 そんな思考を巡らす中、日向斗に声を掛けられたトイフェルは動悸に気付かれないよう平静を繕いながら返答する。


「次のアクマーダーはどこにいる? この調子なら、今日であと二、三匹はどうにかできるはずだ」

 先程の異空間が消え、空の色合いが正午近くの晴天に戻る。同時に澄んだ空に背を向けた日向斗は影となり、トイフェルは見上げる格好となる。

 ――陰になった身体。隠れる表情。そして、ぎろりと見下ろす紫の瞳。その目には、変わらぬ決意と、薄れぬ怒気が燃え盛る。


「……お気持ちはわかりますが、『アクマーダー』に憑かれた方の経過を注視するべきかと。人々の絶望を増幅させ成長する『アクマーダー』を刈り取ったとて、憑かれた人がたちどころに快調に戻るというわけではありませんから」


 その説明を聞くと、日向斗は目を僅かに細めたが納得もしたらしい。僅かな変化ながらどうにか自身の言葉が響いたことに、内心で深く深く安堵するトイフェル。

 日向斗は確かに、妹の事を最も大切にしている。だが同時に、決してそのために全てを犠牲にすることを良しとはしない。

 「人間はやるべきことのためならなんでもする」とは彼の言だが、そのやるべきことという範疇には決して一つの事物だけが収まるわけではないのだろう。


 ――であるからこそ、トイフェルは細心の注意を払う。

 それらのやるべきことを警戒し、伺い、波風を立てず、そしてできる限り迂遠で長い道のりに、舵を切らせることができるように。


 そうしてカフタンをポケットから取り出し。今後について話す日向斗。その背を見つめるトイフェル。

 一心に彼らを見るトイフェルの袖を、小さく、遠慮がちに。


 星の目を潤ませ、ルナは引っ張った。



 ◆ ◆ ◆


「トイフェル、こんなのつまんないよ。あいつをやっつけて、早くかあさんのところへ帰ろうよ」

 駄々を捏ねるように、腕を落ち着きなく振りながら、必死に訴えるルナ。

 なぜかあの男に協力的なトイフェルに対し、ルナは真逆。日向斗に対して敵対的であり、常に歯向かい攻撃的だった。


 捕まってから実際に『アクマーダー』と戦うその前に何度か日向斗に襲い掛かったが、そのたび拳骨を貰い一度として勝てていない。そのたびにトイフェルが自分を庇う。それもまた、ルナの苛立ちと共に心の中の靄を深めていた。


「ねえねえ、なんであんな嘘つくの? 帰ろうと思えばすぐに帰れるでしょ? 戻ってかあさんに伝えれば、あんなやつすぐに」

「ルナ」

 半ばべそが混ざり出したルナの訴えを、トイフェルはそっと抱き締めながら、名前を呼ぶことで抑え込む。

 体温と、穏やかな声音。ただそれだけでも、ルナはひどく安心する。


「――母様なら、きっとあの男など歯牙にもかけない。けれどねルナ、それではダメなの。は、ただ潰すだけには惜しい」

 背を撫で、頭を撫でる細い指。子供の頃からそうして宥められてきたルナにとって、それは安心する『いつもの』こと。これまでと変わらない、優しいトイフェルのものだと。


「あれを絶望に堕とすことができれば。闇へと引き摺り込めれば。きっと、母様は大変にお喜びになるわ。たくさん褒めて、抱きしめてくださるはず。だからもう少しだけ、我慢できるでしょう?」

 そっと力を緩めると、眼鏡を外してにっこりと微笑むトイフェル。そこに敵対者に向ける嗜虐はなく、ただ慈愛のみを宿した眼差し。ルナと対になるような、左目の暗色と普段前髪で隠した金色の右目。それは確かに二人を繋ぐ運命の証。


「……うん」

 少しの沈黙ののちに、頷くルナ。

 トイフェルの言葉に、笑顔に、間違いはない。これまでもそうだったし、これからもそうに違いない。


 自身の肯定に、目を閉じこつと額を合わせるトイフェル。

 より近い体温。呼吸が届くその距離。それは、ルナに嘘をつけない距離。

 如何に美辞麗句や嘘を得意とするトイフェルを相手にしても、直感の鋭いルナが決して本心を見間違えない距離。本心を曝け、互いの絆を再確認する行為。


 ――今日も、トイフェルに嘘はない。

 だから、大丈夫だと。ルナは自分に言い聞かせる。


 そして、余り離れると疑われると手を引き日向斗の元へ戻るトイフェルの背を、ルナは星の光を宿した両目で、ただ見つめる。


 ――嘘は、ついてないよね。

 ――けど、トイフェル。ボクは力が強くて、戦うために生まれてきたのに。

 ――ボクより強い、あいつが来たら。


(ボクは、んでしょ――?)


 問いを口に出すことはできない。

 ただ胸の底の靄ばかりが、しくしくと重く。月を翳らせた。


 ◆ ◆ ◆


 その日は、『アクマーダー』に取り憑かれていた男性を病院に送り届け、そうこうしているうちに日が傾いたため、三人と一匹は日向斗の家へと戻ってきた。

 ルナとトイフェルは喫茶店の休憩室を寝室にあてがわれ、睡眠の時間を除いては目の届く喫茶店の中にいることを義務付けられていた。当然その場所には常に監視役として日向斗がおり、基本的に日向斗はトイフェルとカフタンに質問をぶつけている。


 光の楽園と闇の王国、そして魔法少女について。

 妹が巻き込まれた戦いと、その詳細について。

 荒唐無稽で理解不能な話だと思われるような内容でも、彼は理解を深めようとする。最も基本的には話を聞きながら、自身の身内が巻き込まれたことへの怒りを増すばかりであった。


 ――そして、多くの場合において、ルナは完全に蚊帳の外だった。


 どういう目的や対立があったかなど、細かいことについてルナは何も知らなかった。ただ自分はトイフェルと一緒に、トイフェルの言うがままに戦ってきた。深く考える必要もなかったし、それが全て正しかったから。

 だからそういうとき、大概ルナは部屋の隅に居たり、ごろごろと敷かれた客人用の布団に寝転がったりしながら時間を過ごした。


 ここに来てから、楽しい事なんて一つもない。

 トイフェルはあの男にかかりきりだし、飛び回る妖精はうっとおしい。

 それに、気に入らないのは、トイフェルに構われているはずのあの男が、時折自分を見て何かを考え込んでいること。


 ――馬鹿にしているのか、それともまた拳骨をしてくるつもりなのか。

 どちらにしても楽しくない。楽しくないのは、苦痛だった。


 ◆ ◆ ◆


 その日の夜。ルナは、寝付けなかった。


 普段なら、何のことはなくトイフェルの近くに居ればすぐに眠れたはずだった。けれど、今日は違う。心臓が妙に騒いで、目を閉じても、姿勢を変えても落ち着かない。


 空腹感は感じていない。

 日向斗は食事をきっちり朝昼晩と三食出してくる。

 必要ならば用意すると言い、ルナの腹の虫が鳴ったたために日向斗が用意することになったのだが、出来合いらしからぬ手作りの料理を盆に乗せて渡された。 

 律義な真似をするとは思ったが、それよりも監視されるような目で見られながらの食事はストレスで、ルナは味も殆どわかっていなかった。

 布団も別に寝心地が悪いわけではない。無駄に天日干しと匂いを消すスプレーをかけ、乾燥機にまで掛けられたそれはふわふわだったし、トイフェルも熟睡している。まるで接待でも受けているかのようだ。

 けど、それを素直に受け止められない自分に、ルナは自分を意外に思う。


 考えるのは、日向斗のことばかりだった。


 ――夜なら、あいつも油断するかもしれない。

 脳裏に過ったのは、そんなこと。


 けれどすぐに蘇るのは、昼の記憶。トイフェルに伝えられた、日向斗を手中に収めるための計略。

 きっと、トイフェルがやるのなら成功するだろう。けれど、その先は?


 ――かあさんは、本当に褒めてくれるだろうか。


 わからない。トイフェルの事はわかっても、かあさんがどう思うかはわからない。けどきっとトイフェルが言うなら、間違いないのだ。ルナはそう繰り返し念じる。


 だがそうして信じようと同じ言葉を繰り返すたびに考えてしまう。気付いてしまう。

 なのにどうして、こんなに胸が重たくて、うじうじと痛むのだろうか、と。

 銀の髪が揺れる。閉めたカーテンの隙間から差し込む月光が、いやに眩しい。胸の奥で疼く居心地の悪さを潰すように、服の襟を強く、強く握りしめる。

 ……すると。


(……甘いにおいが、する)


 ふらふらと、誘われるように起き上がって、トイフェルを起こさないようにと忍び足で休憩室を出る。見れば、喫茶店ではなく繋がった二階、つまり日向斗が生活する家の方に灯りが付いていた。

 別に息を殺すこともなく、足音を潜めるでもなく、ただ純粋な興味と匂いに誘われるがまま「登るな」と言われた階段を登っていくルナ。


 そこにいたのは、昼とさして変わらないエプロン姿でキッチンに立つ日向斗と。その目の前に置かれた、バターの豊潤な匂いを漂わせる、満月のようなクッキーが並んだ天板だった。


「あ?」

 当然。目が合う。

 ここでようやくルナはまずいと思ったが、だからと言って謝るつもりも毛頭ない。いい匂いをさせているお前が悪いと言わんばかりの顔で睨みつけるが、一方の日向斗は彼女を怒るでもなく、ただ呆れたように溜息をつく。


「――そんなとこに突っ立ってないで、そのへんに座ったらいい」

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