Bパート


「ねぇねぇトイフェル、こんな玩具じゃつまんないよ。ボク、もっともっとたくさんたくさん遊びたいのに!」

「いけませんよ、ルナ。楽しくなるのはこれからなのですから」


 後輩から掛かってきた切羽詰まったSOSの電話。それを受けて駆け付けた日向斗。

 彼を待ち受けていたのは、後輩たちが死屍累々に倒れる姿。そして、大の大人の男にアイアンクロ―を食らわせながら片手で持ち上げる少女、そしてそれを眺めるまた別の少女の姿だった。


 繰り返し後輩たち、と言ったが彼らは学生などではない。元不良で、現在は建設会社に所属する社会人である。現代においては珍しい喧嘩も度々していた上に、肉体労働で体を作っている成人。そんな相手を、やすやす叩きのめせることなどそうありえない。

 しかもそれが、妹たちと然程変わらない歳に見える、か細い少女たちが。となればならば直更にありえないと言える。


 だが、実際にそれが目の前で起きている真実だ。


「ヒナト、あいつらカフ!」

 言葉を失った自分のポケットから、声高に叫ぶコフリンの声。


「あいつらが、アカネとアオバを連れて行った、闇の王国の手先カフ!!」


 指の無い手を向けながら、怒りと恐怖をないまぜにカフタンは言う。張り上げた声はどうやら相手にも届いたようで、二人の少女が一斉に日向斗とカフタンへと目を向けた。

 その眼差しは、どちらも無機質。然し、同時に獲物を見つけた狩人のようでもある。爛々と、淡々と。日向斗とそのポケットで震えながらも眉を必死に吊り上げているカフタンを射た。


 日向斗はただ歩を進める。後輩を足蹴にする、或いは自分が今ポケットに収まる妖精にしたように顔を掴んで掴み上げる少女に向かって。

 

(――私たちの姿、それにあの妖精が見えているということは、事情はご存じの方でしょうか。まあ、どちらであっても構わないでしょう)

 そんな日向斗の様子を警戒心の欠如とみなしたのか、或いはどのような意図であっても構わないという余裕からか。

 薄紅色の髪をした少女は表情を緩め、にこやかに笑んだ。


「わたくしの名はトイフェル。あなた様は、こちらの方々のご友人でしょうか?」

 そう言って目線を移すのは、地面に倒れた男たち。彼女の問いに重ねるようにして、一人の顔を掴み上げていた星形の虹彩を持つ少女も顔から手を放し、ぬいぐるみを掲げるように男の胴を左右から掴んで日向斗の方に示す。


「そこにいる彼らは俺の後輩だよ。それから、俺は『魔法少女』とやらにされた子たちの、兄だ」

 問われたから答える、とばかりに素っ気ない返答。

 魔法少女。その言葉が場の緊張を高めた。男の身体をさっきから玩具のように扱っていた方の星眼の少女は驚きにその身体を取り落とすも、日向斗と話す方の少女――トイフェルは、興味深げに僅かに眉を動かした程度であった。

 いまだに、両名とも、日向斗を脅威としては認識していない。ただ、物珍しい関係者が現れた、とだけしか感じ取れていない。


「成程。でしたら、そちらの妖精から話を聞いたのでしょうか」

「ああ。どうやら妹が君たちに『世話になった』と」


 淡々としていたはずだった。だが、その中に怒りが無意識に滲む。

 そしてトイフェルは理解する。彼はどうやら、妹の為に来たのだと。

 聞かれてもいない魔法少女の親類であるという情報を自ら語り、その上で感情を殺しきれていない言葉。となれば、彼が単純な正義感などではなく、復讐か、ないし妹をさらった相手を捕まえてやる、といった感情的なモチベーションで動く人間であると予想がつく。


「――そうですか」

 つまりそれは、考慮に値しない一般的な価値観。

 そして、警戒するべき対象でもないということ。


 どこか悼むような顔つきで、トイフェルは静かに目を伏せ、そして。

 次の瞬間、ぱちんと指を鳴らす。表情を、柔和なものから僅かに口角を持ち上げ、いびつな邪悪さを仄めかしながら。


「では、あなたにはここで消えていただかなくては」

「!」


 気付けば、日向斗の周りを取り囲む様に、宙には謎の鏡が浮かんでいた。

 血走った眼球を模した模様を中心にした、五角形の鏡面が曇り、同時に黒紫色へと染まる。


「あ、危ないカフ、ヒナト!」


 エプロンをポケットの中から引っ張るカフタン。だが悲鳴にも似た叫びは、光の前では遅すぎる。

 溶接機が放つような耳障りな空気を軋ませるような音と共に、五本の熱線が日向斗の身体を通過する。精神を抉り、心を痛め付けながら身体にも傷を残す、闇の力を凝縮したその一撃は、哀れな犠牲者をまた一人増やす――。


 はず、だったのだが。



「不思議な手品だね」

 光によって姿が捉えられなかった。

 だが、その声は変わらず淡々と、目の前から聞こえてくる。


 進行方向を塞いでいた鏡を蹴り飛ばし、なお進み続ける影。決戦の地にて魔法少女を深く貫いた熱線は、しかし男の身体には傷一つ付けられていなかった。

 驚愕、困惑。

 笑みはたちどころに固まり、トイフェルは無意識に後退する。


「あはは、おもしろーい!」


 予想だにしないことが起き、完全に動きを止めてしまったトイフェルの横を駆け抜けていく影。制止すら間に合わず、それは日向斗へ向かっていった。

 動かない玩具男の身体をぽいと投げ捨てたもう一人の少女は、星型の瞳に喜色を満たし、固く握った手に溌剌とした表情に見合わぬどす黒い揺らめきを宿して。


(ルナの攻撃ならば……流石に、倒れるはず)

 トイフェルは、半ば願いを込めてそう考える。

 自身の力は通じなかった。だが、それは百歩譲って妖精が与えた力、或いは潜在的な力がすさまじいものだった、という結論で片付けるとしよう。

 だが、星眼の少女、ルナが持つのは異能だけではなく、シンプルな膂力。


 今地面に転がるものたちの大半も、シンプルな力比べで敗れていた。

 種族の差。シンプルな身体能力の差。如何に強靭な人間とはいえ、雪崩や暴走するダンプカーを止められる道理はないのと同じように、勝ち目はないだろうと。



「おりゃあー!!」

 パンチングマシーンに無邪気に思いきり叩き付けるように、人体に向けて繰り出される拳。サンドバックをブン殴ったような重く鈍い衝撃音。大の男を一撃でのし、魔法少女さえ打ち取ったその拳。

 ――それが、日向斗の手の中にすっぽり収まり。黒い炎のような揺らめきは灰皿に押し付けられた煙草の火元の様にぶすぶすと燻って、消えた。


「へ」

 首を傾げる星眼の少女、ルナ。クエスチョンマークを頭の上で躍らせる羽目になるかと思いきや、浮かびかけた疑問は激痛によって吹き飛ばされることになる。


「い、だいだいだいだいだ、いだ、ぃぃ!!」


 華奢な手を掴み上げるとぐるりとそのまま肩ごと回して極める。手慣れた手つきで関節を決められ、悲鳴を上げる少女。

 傍目から見れば大男が少女を虐めている風に見えるが、日向斗はそれに対して何の感情も動かない。


「人様を殴っておいて、急に哀れっぽくならないでほしいね」


 さらに腕をひねる力を増してやれば、最早少女の上げる声は言葉としての意味を帯びるものではなくなる。


「ルナっ!」

 当然、仲間の様に連れ添ったトイフェルと名乗る少女は、先程までの悪役めいた立ち振る舞いから急に悲鳴にもにた声色で組み敷かれた少女を呼ぶ。再び鏡から無数の黒色を放つが、無論それはなんら意味をなさない。少々眩し気に日向斗が目を細める程度。


「この気色悪い空間をどうにかしてくれ。救急車が呼べない」

 謎の光線を受けながら平然と、年下の少女を痛めつけながら淡々と。ただ無感動に告げる日向斗。これまでの面影が見えない様子に、ポケットの中からみていたカフタンはいよいよ恐ろしくなり、思わず言う。


「ほ、本当にヒナト、カフ……?」

「君が俺の何を知っているんだ?」

 吐き捨てるように答え、そして。


「人間は、大切なもののためなら『なんでも』できるんだよ」


 ごく当然のことだ、といった口振りで言う日向斗。


 その様子に妖精は恐怖した。やるべきことのために死力を尽くす。その姿は魔法少女として戦ってくれた少女たちの姿を見て理解していたはずだった。

 諦めない心、立ち上がる覚悟。大切な物や、守りたいものを守るために全力を尽くす光に満ちた正義感。

 それとは全く性質の異なる、だが決して曲がらない頑強な意志。

 それは、心の奥底にあった出どころのわからない『何か』を刺激してやまない。


 同じように、二人の闇の世界の住人もまた、底の知れない相手に目をつけられたことへの寒気を覚えた。これまで観察してきた『人間』のどれにも属さない動き、感情、そして自分たちへの敵対心。それが魔法少女以上の力を持っているなど、想像だにしていなかった。


「――それで?」

 急かす様な言葉。それが何を意味するのかは、最早言うまでもない。


 トイフェルは、唇を噛む。既に喉が裂けそうなほどに叫び終えたルナは、口から涎を垂らしながら、痛みに涙を流し呻くばかり。これ以上の刺激すれば、どうなるかは目に見えていた。


「――全て、お話します」


 人質同然の相手を、見過ごせないとでもいうように。しおらしく抵抗をやめたトイフェルと言う少女の様子に、日向斗はただ不快そうに眉をひそめる。


 妹を、その友人を。そしてこうして自分の後輩たちを痛めつけた相手が、自分の仲間に情深さを見せつける姿に、ただえも言えぬ『嫌な予感』を感じていた。


 ◆ ◆ ◆


 時刻はあっという間に過ぎていく。


 外は夜闇に染まり、人通りもごく少ない。

 カーテンの閉め切られた喫茶店の中で、僅かな卓上照明の光だけがぼうと光る。テーブルを避けた広いスペースに、二人の少女が座らされていた。


 薄紅色の髪に眼鏡をかけた少女、トイフェルはただ目を閉じ、じっと沈黙している。

 逆に椅子に縛り上げられもごもごと猿轡を噛まされているのは、銀髪の髪に星の瞳を持つルナ。そうまで拘束されながらも、未だ椅子の足をガタつかせてなんとか逃れようとしていた。


 それを神妙な面構えで見つめるのは、短い腕を組んで睨みつける妖精、カフタン。大きくつぶらな瞳を最大限に怒らせ、二人の監視役を買って出た。

 だが当然、ぬいぐるみもどきの等身のマスコットのような見た目に威圧感などまるでなく、拘束力などまるでない。

 ――だが、ルナは兎も角として、あの場で日向斗に降伏したトイフェルはその後も酷く従順だった。それこそ、最初に見せた悪意がすっかりとなりを潜め、いっそ不気味さを感じるほどに。


 とはいえ、カフタンも突然彼女らが暴れることはないだろうとは思っている。自分では認めたくなかったが、そんな風に感じられる。

 何より、もし抵抗すれば、またあの日向斗を見なければならない。それだけは避けたい。その意志が、自分と闇の尖兵の中で共通しているだろうことも、カフタンには認めたくない事実だった。


「それで、話すことは纏まったのか」

 あの後救急車に運ばれた後輩たちの容態についての電話を終えた日向斗が戻ってくると、トイフェルが漸く目を開いた。


「――私からお話しできることは、全て」


 ――妹たちはどこにいるのかと、日向斗は問う。

「闇の王国、その深部でしょう。我々と同じ闇の王国の中で女王直属の幹部が、その身柄を握っているのだと思います」

 ――なぜ妹を捕らえたのか、日向斗は問う。

「既に幹部が一人、魔法少女に敗れ、散りました。彼女らは我々の目的の最大の障害だったからです」

 ――妹たちは無事か、日向斗は問う。

「殺害することはないでしょう。私たち、闇の住人が必要とするのは闇のエネルギー。それらは生きるものの感情が生み出すものです、死んでしまってはエネルギーなど取り出せません」

 ――助けに行くにはどうすればいい、日向斗は問う。

「闇の世界への門を開くためには、特殊な条件が必要です。今はそれを満たすことは難しいと言わざるを得ません」

 ――具体的に言え、日向斗は苛立つ。


「では、闇の世界への門を開くために、人間の世界に強い絶望を満たすことができますか? 先程『目的の為になんでもする』と仰りましたが、妹さんの為に、妹さんの守ろうとした世界を壊せますか?」


 トイフェルのその言葉に、日向斗は舌打ちをした。


「――失礼。ですが、それ以外にも方法はあります」

 髪をかき上げ、意味深長に自身の胸に手を置くトイフェル。


「魔法少女を排除したとて、わたしたちが用意した兵隊が消えていけば、王国も対応をせざるを得ません。そうなれば、向こう側からこちらの様子を伺うべく門を開くことでしょう」

「つまり、俺にその『魔法少女』の代わりをやれ、と」


 静かに頷くトイフェル。

「わたしたちは、その兵隊を見つけ出すお手伝いができます。そこの妖精だけを頼りにするよりかは、幾らか能率を高められるはず。何しろ、わたしたちが撒いた種なのですから」

 その発言に、カフタンは否定の声を上げた。


「ヒナト! 騙されちゃダメカフ! こいつらは、アカネやアオバにひどいことをしたんだカフ、きっとこれも何か悪だくみをしてて……」

「少し黙ってくれ」


 カフタンを脳天締めしながら、日向斗は考え込む。

 もごもごいいながらもがくカフタンを一瞥し、数秒の思案を終えた日向斗は、トイフェルを改めて見る。


「そういうことなら、手伝ってもらおうじゃないか」

「ひ、ヒナト!!」

 どうにか口だけは逃れたカフタンがどうにか説得しようとするが、最早日向斗は耳を貸していない。

 一方、それを受けたトイフェルは胸の前で祈るように手を組み、表情を綻ばせながら感謝の言葉を述べる。その眦には涙が浮かんでいた。


「ありがとうございます、日向斗様――! 微力ですが、精いっぱいにお手伝いを」

「そういうのはいらないよ、気持ち悪い」

 

 このまま縋りついてきそうな勢いのトイフェルに、冷たく、然しはっきりと日向斗は拒絶の言葉を告げると踵を返した。



「『仲間を失うことを恐れた』お前が、俺の妹とその友人を傷つけた。このカフカフ煩い妖精と違って、俺がどんな気持ちか。賢しいお前ならわかってくれると信じるよ」


 ◆ ◆ ◆



「ど、どうして仲間にしちゃったんだカフ! あいつらは敵カフ、絶対に良くないことになるカフ!」

 話し合いを終えた日向斗の周りを飛び回りながら、一度脳天締めを食らってなおしつこく先の二人の脅威を訴えるカフタン。

「仲間だなんて冗談が下手だね」

 それに日向斗はぎろりと、鋭い目を向けた。垂れ目の柔らかそうな瞳が、三白眼となって相手を睨む姿は目つきの悪い人間に睨まれる以上に迫力がある。


「少なくともお前よりは、いくらか理解が及ぶよ」



 あの時。自分に降伏したとき。トイフェルは一人で逃げようと思えばいくらでも逃げられたはずだった。だが彼女はこう口にしたのである。


「――全て、お話します。ですから、どうか。その子を離してあげてください。その子は、何も知らないだけなのです――」


 仲間を慮る心。同時に、彼女が見せた表情や言葉から、おそらくあの二人はただ偶然に行動を共にしているだけでないことは察するに余りある。

 無論それに同情したわけでもなければ、酌量の余地になることもない。唯一、そして無二の妹に危害を加えた事実を、赦すつもりは毛頭ない。だが、しかし。


(『家族』を引き裂くような真似、俺にはできない)


 そして日向斗は、未だ納得していない様子のカフタンに本日三度目となる脳天締めを見舞い。

 妹の失踪に端を発する、咲田日向斗の長い一日は、漸く終わりを告げたのである。

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