第一話・魔法少女、失踪!? お兄さんの人生で一番長い一日!

Aパート


 ここ最近、この街はある噂でもちきりだ。

 曰く、魔法少女が人知れずこの街を守ってくれている、と。


 インターネットでは目撃証言や根拠づけなんかが必死に行われ、人々はその存在に強い興味を抱いている。実際のところはともかくとしても、このまるで子供の夢のような話に、人々は夢中だった。


 ◆ ◆ ◆


 この街、愛野シティでちょっとした人気を誇る、喫茶店『DARETO』。

 珈琲だけではなく、おいしいデザートや軽食も人気な隠れた名店。しかしどうしてか、この日は店先に『closed』の看板が垂れていた。


 いつもはピカピカの店内で、一人の青年がうろうろと落ち着きなく歩き回りながら、時計と電話との間で視線を行ったり来たりさせている。

 黒髪に、一房だけ混じった白髪が特徴的な、ちょっぴり垂れ目がちな大人の男性。実のところ、喫茶店の人気の一助になっている彼だが、しかしその目元にはくっきりとしたクマが張り付いており、表情や仕草以上に焦燥している様が伝わることだろう。


 彼の名前は、咲田日向斗。この家の長男であり『DARETO』の店長。そして、帰ってこない妹を待つ、兄だった。


「どこにいるんだ、朱音……」


 昨日、学校からの帰りが遅い妹に連絡をしたところ「友達と勉強してから帰るから、遅くなるかも」という答えが返ってきた。彼女が言うその友達と言うのも、小学校時代から付き合いのある幼馴染であり、日向斗もよく知る相手。

 高校生にもなったんだしそういうこともあるだろう、とその時はたいして心配もしていなかった。


 だが翌朝になっても、妹は帰ってこなかった。

 学校に連絡しても、友人共々登校していないという。

 知り合いや思い当たる可能性を片っ端から当たってみても打つ手なし。「ある理由」から、警察への捜索願は出しにくい。

 どうすればいい、どうすれば。考えれば考える程、昨晩引き留めていればと後悔ばかりが頭を覆いつくす。


『次のニュースです。昨晩未明、愛野シティ郊外で解体が予定されていたビルにて、足場と建物の一部が崩落しているのが発見されました。警察は事件と事故の両面から捜査を始めていますが、専門家は――』


 ……ニュースで、何かしらの情報が得られないかと垂れ流しにしていた中で飛び込む情報が、ひどく頭をかき乱す。そんなわけはないのに、妹やその友達がそのビルの崩落に巻き込まれていたら、などとありえない妄想を膨らませてしまう。

 睡眠不足も祟り、不安と焦りばかりがどんどんと増していく。


「――いったん、落ち着こう」

 そう言って、覚束無い足取りながらもカウンターに向かい、珈琲を淹れようと戸棚からカップをひとつ取り出そうと手を伸ばした、その時。



「た、たいへんカフーーーー!!!!」



 場に満ちる重々しい沈黙と、少しの火花で発火してしまいそうな息苦しさが満ちていた空間に、突如として特大の異物が現れた。


 白い熊とも犬とも猫ともとれない奇妙なシルエットをしたぬいぐるみみたいなモノが、半透明の光でできた羽を羽搏かせ、人語と奇矯な語尾を織り交ぜつつ、換気の為に開けた窓から泣きながら飛び込んできたのだ。

 字面だけで突然発狂したか、寝落ちでもして夢の中へ埋没してしまったかのような状況だが、取り落としたカップが地面に叩き付けられ割れる音が、これを現実だと訴える。


「な、なんだ……!?」


 先程までの眠気や不吉な考えも消し飛び、ただ困惑する日向斗。その手には咄嗟にカウンター裏のハエ叩きが握られるが、しかしよくよくその姿を確認すると、見覚えがある。


(――朱音が持っていた、ぬいぐるみ?)

 そのなんとも言えないシルエットは、最近UFOキャッチャーで取ってきて以来お気に入りになってしまった、とかでよく持ち歩いていたぬいぐるみによく似ている。誕生日のプレゼントの候補としてネットで調べても、一切情報が出なかったのを不思議に思っていたが、しかしそれがなぜ。

 そんな風に、逡巡する最中に、騒いでいたそのぬいぐるみもどきは、ある言葉を叫んだ。


「どうしようカフ、アカネとアオバが……どうすればいいカフーーー!!」


 ――アカネ朱音アオバ青葉

 日向斗の妹と、その幼馴染の名前。


 直後、ハエ叩きを投げ捨て、カウンターを片手で飛び越えて。忙しなく店内を飛び回りながら叫び散らかすぬいぐるみもどきの顔面を鷲掴む日向斗。その目は、半ば殺気にも似た怒りに満ち満ちている。


「朱音と、青葉が、どうしたって?」


 感情が暴発する温度の閾値が一瞬で突き抜けた時、かえって冷静になるという。今まさに、このぬいぐるみもどきが浴びた言葉とそこに含まれる強烈な圧は、それだけで自分がひしゃげてぺしゃんこになってしまう程のもの。

 妖精は慌てて何かを言おうとしているのだが、脳天締めどころではなく顔面が掌に埋まって握られている状況で言葉など出るはずもない。


「ふごごこふ、んごごふごご!!」


 必死にその旨を訴えてみるも、当然言葉にもならず。ただ自分の頭を締め上げる力がどんどんと増していくことに恐怖を覚えるぬいぐるみもどき。


 意識が飛ぶ……寸前のところで顔から手を離され、漸く満足な呼吸ができたと安心したのもつかの間、今度は羽を蜻蛉を持つかのように摘ままれる。自由が利くようになったのと引き換えに浴びせられるのは、自分に向けられる『無』の表情と、怒りの眼差し。妖精の身体の構造は兎も角として、胃の底が固結びされ冷え切るような錯覚を、ぬいぐるみもどきは感じていた。


 しかし、言わねばならない。訊かねばならない。ぬいぐるみもどきは、生唾を呑みこみ問う。


「ぼ、ぼくが、見えてるカフ?」

「質問を違う質問で返すな」


 冷え切った声がぬいぐるみもどきの痛む腹を突き刺す。だが、こうして声が届き、言葉を理解されているということは、つまり。


 彼には、『力』がある。

 本当ならば、少女にしか与えられないと聞いていたが、実際にはそんなことはなかったのだ。嬉しい誤算。だからこそ、ぬいぐるみもどきは言う。


「お、お願いだカフ!! アカネとアオバを、助けてカフ!!」


 ◆ ◆ ◆


 カフタン、ぬいぐるみもどきの妖精はそう名乗り、事情を話す。


 曰く、今暮らしている人間の世界は、闇の世界に狙われており、それを心配した光の世界の人々が、闇の世界と戦うための力を与えていること。

 しかしそれには適合する人間しない人間がおり、朱音と青葉は適合する人間だったこと。

 彼女らは、その力を以て『魔法少女ルクスフェアリーズ』となり、愛野シティから現れる闇の世界の兵隊『アクマーダー』と戦い、世界の平和を守ってきたこと。


 だが昨晩、突如現れた闇の世界の危険な王国、『シャドー王国』の幹部によって二人は闇の世界に連れ去られてしまった。このままでは二人が危ない。だから、自分の姿が見え、話もできる光の力を持ったヒトに助けてもらわなくてはいけない。


「だから、ぼくの力を受け取って魔法のちからぎょぶふぅ!!」


 言い終わることもなく、カフタンはその顔面に痛烈な拳を受けて壁に叩き付けられる。血は出ないが完全に凹の形にされ、前など見えないような状態。

 突然の暴力に痛み以上に混乱が先に立つカフタン。何もわかっていなさそうなまま、叩き付けられた壁からずるずる落ちていく妖精に、日向斗は大股で近づいていく。


「つまり、お前は妹たちが攫われるときに、指を咥えて見ていたんだな」

 首根っこを掴み上げ、そのまま力いっぱい床板に叩き付ける。複合フローリングの床に、ぴょこっと生えたカフタンの角が深々と傷を付けたが、そんなことは些細な問題だった。


「俺の大切な妹を、妹の大切な友人を。そんな危険な戦いに引きずり込んだんだな、お前は」

 淡々と、確認するような台詞ながら、隠し切れない怒りによって震える声。カフタンを掴んでいない手は、拳を握りすぎたせいか血の雫が絞り落とされ床に垂れる。


「それで? すぐにその連中のところに連れて行ってくれるんだろ?」

 僅かに顔を持ち上げ、声だけは出せるようにして質問する。


「で、でぎないガフ……ち、力はわだせでも、門を開く力は、ぼぐには……」

「クソが」


 短く吐き捨てると、投げ捨てるように頭を離す。

 一連の暴力的な仕打ちに、カフタンはひたすら黙っていた。


 日向斗は、カフタンの見出した魔法少女、『シャイニー・ルオータ』こと咲田朱音の兄である。これまでも、不要だというのに朱音や青葉に妖精であることを隠されつつも何度も二人と会話しているのを見ていた。普段の彼はとても温厚で心優しい人物だったはず。


 だが今の彼はそんな印象とは全く真逆。暴力的で苛烈で、恐ろしさすら感じる。

 けれどそうなった理由を、カフタンはわかっていた。


 朱音と青葉に出会ってすぐのころだ。

 誤って青葉の大切にしていた髪飾りを自分が壊してしまった時、クールな青葉は烈火のごとく怒った。

 宥める朱音ともぎくしゃくしかねないほどの怒りは、カフタンにとっては半ばトラウマであると同時に強い記憶を刻み込んでくれた。


 大切なものを奪われた時、人はとても悲しむし、怒るのだと。


 その時は、壊してしまった髪飾りを朱音に手伝ってもらいながら直して謝った。青葉は「自分も大人げなかった」と言って、仲直りをしてくれた。


 だが、朱音と青葉の代わりなんていないのだ。

 自分もそう思った。なら兄の日向斗がどれほど悲しみ、怒り、傷ついているのかは、察するに余りあったから。


 ――ぼくはまた、何もできなかった。


 無力さを噛み締めながら、床にはいつくばっているカフタン。すると、ビリビリした音楽が流れ始める。見ればどうやら日向斗のスマホが原因らしい。


「もしもし、どうしたんだ」

 一つ息払いをすると、喉奥にまでせり上げていた激怒を呑みこみ、電話に出る日向斗。しかし、すぐにその声は困惑に変わる。


「――何、やられたってどういう、要件があるならはっきり……女? 女がどうしたって? 聞こえてるか、どうしたんだ? おい!!」

 通話越しに行われる会話は一方的であるがゆえに要領を得ない。だが、確かにわかることは、問題が起きているということ。

 電話の相手は所謂腐れ縁、不肖の後輩。昔は触れるもの皆傷つける、みたいなことを自称していた不良。今でこそ更生したが、勝気で怖いものなしを気取る。

 そんな相手から出た言葉だからこそ、今回の口振り、そして発言には耳を疑った。


「わけわかんねえ女がいる、殺される、助けてくれ」


 悪夢なら醒めてくれ。そう思いながらもスマホを尻ポケットに乱雑に突っ込むと、従業員用の裏口から店を飛び出そうとする日向斗。

「まって、カフ」

しかしそれを寸前でカフタンが止める。


「ぼ、ぼくも、連れてってカフ」


 ぼろぼろにされながら、ぼろぼろにした相手へ。地べたから重そうな顔を持ち上げ伝える。後悔、苦渋、迷い、そして、確かな決意が、涙でべとべとの瞳から届く。



 日向斗はドアを一度締めると、近くに掛けてあった店用のエプロンを巻き、その前についた大きめのポケットの中にカフタンを突っ込んだ。


「お前の事は許さない。だが役には立ってもらう」

 

 ◆ ◆ ◆


 夕に染まった空を、滲む黒い墨のような雲の影が、夜へと塗り替えようとしている。街灯の光がちらほらと付き始めるような刻限、日向斗とカフタンは街のメインストリートから、少しばかり外れた細い路地へと向かっていた。

 日向斗に電話をかけた後輩が口にした場所の情報から、あたりをつけたその場所へ足を踏み入れた直後。


 空気が変わる。梅雨に向かう春の末に感じる、熱気と暖気の中間の気温。それが一瞬のうちにぞわりとした寒気に変わる。咄嗟にはたと携帯電話を除けば、そこには『圏外』の二文字。


 無論そんなことはあり得ない。少し大通りから外れた程度で圏外になるようなことは、普通なら。

 だが、既に普通ではないことが立て続けに起きている。となれば、考慮するべきはこの現象がなぜ起きているかではなく、巻き込まれた人間の安否だ。


 ペース配分もかなぐり捨て、走り、走り――漸く、電話のあった場所に辿り着いた日向斗。

 そこで待っていたのは、折り重なるようにして倒れた後輩たち。そして。


 スマホを片手にした大柄な男が、少女に顔面を掴み上げられているという、異常な光景だった。

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