第1話 幹候の朝は忙しい

「総員起こし五分前」

 赤レンガの中に放送が響く。

 ――ああ、今日も地獄がはじまる。

 そう思った途端起床ラッパが鳴り渡る。

「起きろよ、起きろよ、とっとと起きろ、起きぬと教官さんに殺されるぞ~♪」

 そういう笑えない語呂合わせがあたまに浮かぶ。

「総員起こし!」

「おはようございます!」

 候補生達が絶叫して飛び起き、急いで戦闘服に着替え、ベッドメイクをして校庭に向かって走り出す。

「眠そうだな、北村曹長」

「うるせえ、無駄口叩いてないで走れ、ド馬鹿」

 俺がド馬鹿と呼んだこいつの名前は俵藤ひょうどう健一けんいち、防大からの同期でことあるごとに俺に絡んでくる。一年の時に俺は男子校出身のおかげで私服のレベルが中学生のままだった。どうにかせにゃならんと悩んでいるときに洒落た服を来た同級生がいると聞いて話し掛けたのが運の尽きだった。

 そんなことを思い出しているうちに校庭に到着し、上着を脱いで体操の準備をする。入隊前に比べてだいぶいいカラダになったと自分でも思う。いつも通りに体操して甲板掃除をする。ここではすべてを船の上と考え、普通の掃除も甲板掃除と言い換える。髪の毛一本残してはならない。そんな甲板掃除を終えるといよいよ朝食である。まあゆっくりする暇はない。幹事付と呼ばれるここをトップクラスの成績で卒業した恐ろしい教官に呼び出しをくうことがあるからである。通称、鬼。朝食に充てられる時間は基本的に僅か五分間のみである。急いで食べ終え、一応、幹事室前のホワイトボードを確認する。胸が冷たくなるのを感じた。

「北村、俵藤→S」

 これは「北村候補生と俵藤候補生はなにかやらかしたので佐藤二尉(鬼)のところに出頭せよ。」の意である。朝の無駄話の件か。

 俵藤を呼んで二人で互いに身だしなみを整え、幹事室をノックする。「入れ」と恐ろしい声が聞こえる。入室し規定された動作をきっちりと行い敬礼する。鬼は敬礼を返し、

「北村は防大の時に中国軍に派遣されていたな。俵藤は韓国か」

 と言った。よかった。ひとまずお叱りではなさそうだ。

「はい、大連におりました」

「私は鎮海におりました」

「来週の水曜、中国軍と韓国軍の候補生がここに来る。お前たちには彼らの案内を頼みたい」

 なるほどそういうことか。鬼は俺と俵藤に一枚ずつ資料を手渡してきた。

「これが向こうから提出された彼らのリストだ。名前、出身地、経歴、家族構成、リストに記載されていることは全て完璧に暗記するように」

「了解いたしました」

 その後軽い説明を受けて幹事室を無事に脱出し、廊下を歩きながら渡されたリストに一通り目を通した。

 まず俺に渡された方、「王静――ワン・ジン」。 

 よくいる名前だが、男でこの名前は珍しいな。ちなみに留学先に王静は十人くらいいて内七人は女性であった。

 続いて俵藤に渡された方、「金建宇――キム・ゴヌ」。

 こちらは明らかに男の名前だ。しかしワンとキムか。佐藤、鈴木の世界だな。年齢は二人とも俺たちと同じ二十二歳。二人ともそれぞれの士官学校での成績は十位以内。気は一切抜けなさそうだ。日本語能力については二人とも第二外国語は日本語を選択しているらしい。

 最近、日本の防衛省が企画している交流プロジェクトで呉地方総監部を訪問した後、最後にうちに来るらしい。事前に企画が決まっているならもう少し前に通知してもらいたもんだが、まあ上官の命令は絶対だ。なんとかせねばなるまい。


 とは言ったものの俺も俵藤も一候補生で課業がしっかりとある。ひとまず容儀点検に向けて顔を洗い、歯を磨き、髭を剃る。時間が足りないので制服のプレス(アイロンがけのこと)は昼休みに回すしかあるまい。今日が制服でなく戦闘服を着用する日で本当に良かった。          

 朝から盛りだくさんのイベントがあったが何とかマルナナヨン(午前七時四十五分の意)の課業整列に間に合った。当番や係の長を務める学生が自分が担任する分隊の隊員の服装を点検する。幹候では防大出身者を一課程、一般大出身者を二課程と呼び前半の教育では基本一課程の学生が係の長や点検者を務める。俺たちは腐っても防大出身なのでその任に付いている。自分の分隊の服装の不備、髭の剃り残しなどがないかを点検する。ここで不備を指摘しておかないとあとあと教官に見つけ出された場合、点検者である自分も昼休みに再点検を喰らう場合があるので必死である。

 防大の同期はやはり四年間訓練を受けてきただけあってやはり不備は少ない。その代わり不備を出したときの指導はきついものとなる。今日は一応不備はなさそうだ。続いて一般大出身者を点検する。早速、不備者を見つけた。俺は首を指さして、

「おい、この毛は?」と問いただした。

「首の毛です」

「首の毛もここでは髭の不備の扱いになる。次の点検までにしっかり剃るように。二課程がよくやるミスの一つだ。他のやつにも伝えておいてくれ。」

 やんわりと注意する。この後,教官からきつく言われるだろうから余計に追い詰めたくないのである。その後、教官が来て点検を行ったが自分が見つけ出した不備者以外が出なかったので昼休みの時間を確保することに成功した。

 容儀点検後は五分講話だ。これはテーマを決めてそれぞれの分隊(クラスみたいなもの)の前で五分間講話をするというもので今日の担当者は幸運にも自分であった。外国人を案内するときには基本的に会話とボディーランゲージを組み合わせることが有効である。今回はそれを意識して講話に臨んだ。


   *


 今回のテーマは命令を下す意味についてである。

 我々はそれぞれ将来、自分の部下を持つことが決まっている。その時、我々は必ず命令を下さなければならない。故に我々は何故命令を下すかについてよく考えなければならない。

 私は命令というものの根底には「自分にはできないことを部下にお願いする」という意味があると思う。ではなぜその「お願い」を「命令」という言葉に置き換えるのか。

 それはひとえに責任の所在を示すためであると考える。仕事を与えた部下が失敗したときにその責任はすべて上官である自分がとるということを明確にして部下を安心させなければならない。

 少なくとも命をやり取りする軍隊の指揮官は間違っても責任の所在を明らかにしない「お願い」をしてはならない。

 階級章は飾りではない。自分の肩章を見よ、錨と細い金モールが一本縫い付けられている。我らが初級幹部として任官するとき錨は桜に変わる。

 その桜が咲いたとき我々は海軍士官となる。

 自分より階級が下のものに「命令」する立場になる。そのときに私の話を思い出してもらいたい。


   *


 できる限りゆっくりとそれぞれの目を真っ直ぐに見つめ身振り手振りを交えて自分は言った。しかし、同期からの感想は一言

「北村、めっちゃ目怖いよ」

 集中すると人を睨んでしまう癖があるので一週間以内に矯正しなければ。外国軍人相手にガン飛ばすわけにはいくまい。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る