第3話 幹候は午後も忙しい
午後の課業は船を漕ぎながら乗り越えて、いよいよ別課、放課後の委員会や部活などを想像してもらえるとわかりやすい。教官に許可を取って俵藤と二人で資料を作成する時間をもらった。赤レンガの教場の一つを借りて、キムとワンに渡すしおりのようなものを作成する。ほんの少しだけ学校の先生の気持ちがわかった気がする。相手の考えや性格が読めない状況で読ませるための文を書くのは相当労力を使うし、読んでくれなかったり、わかりづらいと言われたりしたら間違いなく泣く。A先生、素直じゃなくてごめんなさい。(T先生、素直すぎてごめんなさい。)とりあえずは簡単な地図と簡単な解説、諸注意などを英語、韓国語、中国語で書いた資料を途中まで作成した。外語大出身の同期もいるのであとで後で見てもらおう。
「学生隊待て!」
すぐに作業を中止し放送に耳を貸す。
「総短艇用意、指定ダッビト、第一ダビット第二分隊、第二ダビット第三分隊、第一学生隊一般幹部候補生課程かかれ」
え、今うちの分隊呼ばれた?
とにかく急いでカッター(短艇)がある岸壁に向かわなければ。一瞬本気で窓から飛び降りようかと思ったが、鬼さんに見つかったほうが致命傷を負うので諦めて普通に岸壁を目指す。とはいえこれではっきりわかった。いかなる任務を背負っていてもここでは特別扱いはされないことが。追加の業務があったので通常の業務の質が落ちましたはここでは言い訳にもならないことが。
岸壁につくともうすでにカッターが海に下ろされていて、それぞれが持ち場についているところだった。自分も急いでカッターに飛び乗りオールを持つ。総短艇とはこのカッターを指定された位置まで漕いで帰ってくるまでのタイムを計る競争である。カッターを漕ぐのには全身に力を入れる必要があり手の皮、腰の皮、尻の皮が綺麗に千切れるので大嫌いだ。なんとか前回よりいいタイムを出すことができたが、もうくたくたである。スポドリをがぶ飲みしたい。
さながら六十二口径五インチ砲の砲弾のように重くなった(現職にしか伝わらない)体を引きづって庁舎に戻る。
「災難だったな」
俵藤がものすごい笑顔で出迎えてくれやがった。
さっきこいつ信頼してるって言った?
うん、信頼してる。信頼してるから、一発殴らせろ。それぐらいで俺たちの友情は壊れない。そんなことを考えていると俵藤が英語で書かれた書類を渡してきた。
「ほれ、資料は作っといてやったぞ。これを中国語に訳すのが君の仕事さ」
「ありがとさん」
ちょっとむかつくことはあるけど、やっぱ俺はこいつを嫌いになるのは無理そうだ。
それから夕飯を食べて、夜の甲板掃除、巡検、自習を終え一日の終わりに五省を唱和する。
五省とは兵学校から引き継がれる訓戒で、すなわち、
一、至誠に
一、言行に恥ずるなかりしか
一、気力に
一、努力に
一、不精に
の五訓である。
それぞれ、「真心に反することはなかったか」、「言動や行いに恥ずべきところはなかったか」、「精神力は十分であったか」、「十分に努力はできたか」、「最善を尽くして事に臨んだか」という意味がある。五省唱和が終われば後は歯を磨いて寝るだけだ。今日も長くて大変な一日だった。具体的に言うと巡検のときに、甲板掃除で受け持っていた区画で不備が見つかり、鬼さんに「腕立て伏せ十回」を喰らってしまったのである。腕立て十回なんて余裕だろって? 自衛隊で腕立てを十回しろと言われて十回で終わるわけがない。防大の時の上級生はこう言っている。「腕立て十回を命令されたときは十の三乗回と思え」と。せっかく今日は比較的穏やかにすごせると思ったのに! ベッドに入りそんなことを思っていると待ちわびた天使の声が聞こえてきた。
「部屋の灯り消し、瞼閉じれば、浮かぶ故郷の地、愛する者の笑顔、眠れ、眠れ~♪」
消灯ラッパが赤レンガに響き渡る。故郷にいるあの人は今どうしているだろう、高校のときに好きだったあの人は今元気にしているのだろうか、そんなことを思いながら今日も自分の意識を手放した。これが幹部候補生の日常。
翌日もその翌日も教務や訓練の合間を縫って語学の練習や礼儀作法の勉強をしてついにその日を迎えた。
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