プナイネンの森

プナイネンの森に行こう(1)

「そうだったんだ……、知らなかった」


 穏やかな日差し、暖かな風、変わらない王都の空。

当たり前すぎて話題にも上らない。空を見上げることもない。気にすることもない。そんな暮らし。

 台風や、大雪による被害、温暖化による北極海の海氷の氷解、気温上昇、という前世の記憶があるからか、天気を管理できるのなら、悩むことが一つ減って、それはそれでいいんじゃないかなって思う。だって、月に住んでいる人達は、空調がしっかりと管理されたドームの中に住んでいるんだもの。


 それに、この世界でも、大雨のせいで川が氾濫して家畜や人が亡くなったと言う話や、吹雪で行方不明になった人がいるという話を聞くと、なおさらだ。


 でも、四季があるということは、暑さや寒さだけじゃなくて、季節ごとに変わる花、食べ物、風景に出会うことができて、そんなところがとても素敵だということも知っている。


 (難しい問題だわ)


 なんと言えばいいのかわからなくなって、私はあいまいな顔をした。

 

 そんな私の表情に気がついたのか、「ランカルメの空のほうがいいの?」とヴィー様が飲み終えたコップの底をのぞき込みながら聞いた。


「そういうわけではありません。ただ……」

「ただ? なあに?」

「ただ……、寒いのが大嫌いだから一年中温かくしたいと願う黒い蛇も気持ちもわからなくはないなっと……」

「わからくくはない?」


 ヴィー様はところどころ言い間違える。指摘するほどでもないから、聞き流す。


「でも、変わらないというのは、ある意味、つまらないものかもしれませんね。

ヴァルコイネンに来てからは、よく空を見上げるようになりました。同じ雲は一つもなくて、風にも、そよ風、はやて、葉風、つむじ風といろいろあって、……、それがとても神秘的で魅力的で、……、四季を司る高貴な人々がいるっていうことはとても素敵なことなんだと実感しています」


「ふーん」と少しだけ嬉しそうな声をだすと、「ねえ、リンコウジュース、なくなっちゃったよ! ちょーだい」とコップを逆さにして底を叩いた。


 (ちゃんとした話をしていたつもりなのに、興味はリンコウジュースだったのかな?)


「ヴィー様、リンコウは頂きものだったので、もうないんです。だから、ジュースを作ることはできません」

「えー。そんなのー?」


 ヴィー様がぷうっと頬を膨らませる。


(ない袖はふれないわ)


 リンコウはこの季節にヴァルコイネンで採れる果実だと聞いていたんだけど、市場に行っても売ってなかった。聞くところによると不作だったんだって。


 さっきのリンコウは、ジュードさんがギルドで貰ったものを持ってきてくれた貴重なリンコウだった。


「ごめんなさい」と私は頭をさげる。


「あきらめろ。シルビア」と今まで知らんぷりだったオスマンサス様が声をかけた。


「ヴァルコイネンにあるリンコウは、今年はほとんど落果して手に入らない」


「ヴァルコイネンにないんじゃ……」と言って少し考えていたヴィー様が、「そうだ! プナイネンの森にいけばある?」と 、いいことを思いついた子どものように、ぱんと手を叩いた。


 (プナイネンの森?!)


 聞き覚えのある森の名前に、私は頭の中で地図を広げて確認する。えっと、プナイネンの森は、ヴァルコイネンから王都へ行く途中、ガルーダユーユ草原の先にある大きな大きな森。たしか、プナイネンの森を抜けて少し行けば、オーヴァレヌ領をぬける。


 プナイネンの森という名前は、王都からヴァルコイネンに来る途中、馬車の上で御者をしているおじさんに教えてもらった。花も薬草もいっぱいあって、すごく興奮して、『馬車を止めてくれ!』っておじさんのシャツを引っ張りすぎて首を絞めたことが頭の中にぱあっと浮かんだ。

 

 (翠と風の若君の季節に、レビンの白い小さな花ががいっぱい咲いていた場所じゃない)

 

 だから、森の名前にひっかかったんだ。

 

 (今ごろ、たくさんのレビンの実がなっているだろうなぁ)


「あそこは、ヴァルコイネンほど雨が降らなかったと聞くから、あるかもしれんな。保証はできないが」とアランさん。


 (レビンの新豆。水分を含んでいて、お父様から送ってくる豆と違ってきっと美味しい違いない。おまけに自生しているからタダだよね? 誰かが栽培しているという話は聞かなかったし! 取り放題だよね?!)


「じゃあ、取ってくれば、またジュース作ってくれる?」


 (レビンのジュースも美味しいのよねー。牛乳と一緒に温めて飲めば、お肌もつるつる、疲労回復ばっちりだし! それに、新作を作ってほしいってオスマンサス様が言っていたし。タダだったら試作もたくさんできるわ。じゃあ、この際、上生菓子とか、あんバターとか、羊羹とか……)


「ねえ、ロッティ!」と少し強めに名前を呼ばれて、レビンのことを考えていた私は思わず「私も行きたいです」と口走ってしまった。


 アランさんとオスマンサス様が顔を見合わせている。


「ロッティ、プナイネンの森がどこにあるか知っているか?」


 半分呆れ声のアランさん。


「………、知っています。ガルーダユーユ草原の先です。私ひとりでは行けそうにもないくらい遠いということも自覚しています。考え事をしていて、思わず言ってしまっただけです。忘れてください……」


 私は話を聞いていなかったこと、自分一人で妄想していたことが恥ずかしくなって、耳がかあっと熱くなった。


「何を考えていたんだ?」とオスマンサス様。


「……レビンのことです……」と床を見ながら答えた。


「レビンか。ロッティらしいといえばロッティらしいな。でも、何故だ?」


 アランさんが口角をあげて聞いてきた。


「はい。プナイネンの森の名前で、前にプナイネンの森を通ったときのことを思い出したんです」

「あそこはただの森だぞ?」

「そんなことはありません。植物の宝庫です。レビンも自生してました。それで、レビン、今ごろ実をつけているだろうなーって思ったら、……妄想が止まらなくて……、あれも作ってみたい、これも作ってみたいと思って……すみません」


 床を見ながら、モジモジとエプロンの裾をいじる。耳は相変わらず熱い。


「何を作るつもりだったのだ? 私の新作か?」とオスマンサス様が期待がこもった声をかける。


「上生菓子とか羊羹とか……」と思わず口から、あんこを使ったお菓子の名前がこぼれる。


「ジョウナマ菓子? ヨウカン?」


 オスマンサス様が首を傾げる。この世界では、あんこを食べる文化はないのだから、上生菓子とか羊羹とか前世のあんこのお菓子の名前があるはずはない。


「あ、レビンのあんこを使ったお菓子の名前です」

「そうか。聞いたこともない名前だが、レビンのお菓子ならきっと甘くて美しくておいしいのだろう……」


 私は頷いて、肯定する。


「あの森は、人間が住んでいないゆえに、植物も豊富だ。リンコウだけならば、シルビアに行かせれば、瞬きをしている間に持ってこれそうだが、他を頼むと何がおこるかわからん。なあ、アラン?」


 オスマンサス様がとても蠱惑的な笑顔でアランさんを見、アランさんははあっと大きくため息をついた。


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