『リンコウジュース』と羊雲

「あーおいしかった!! でも、もうっとたべたいな。ロッティ、もういっこちょーだい!」


 ヴィー様が下からのぞき込むようにして私を見る。あまりの可愛らしさにうなずきそうになっていると、「ほっとけ」とアランさん。


「アラン、ひどーい!!」

「ふん。薬草茶でも飲んどけ」

「えー。このおちゃ、にがいんだもん!  コーラルディナってさ、はっぱくさいからきらいー。あまいのがいい!!」


 アランさんの言葉にヴィー様がべえっと舌をだして顔をしかめる。アランさんは鼻をふんと鳴らして、ヴィー様を睨んだ。


すると、ヴィー様は「ね、そう思うよね? オスマンサス?」と、今度は、オスマンサス様に同意を求めた。


「いや、私は、このお茶が気に入っている。人の優しさと山の恵みが鼻と舌で味わえるからな。ミンティアの鼻をぬける爽やかな酸味、コナのすっきりとした甘さがコーラルディナのえぐみを消してだな……」

「なにそれ! わけわかんない」


 ヴィー様が首を振る。


「うまいって言いたいんだろ」とアランさん。


「えー!? なにそれ! お茶、おいしくないもん」


 ヴィー様が机をバンと叩いて、「あまいのがいい」と駄々をこね始めた。部屋の隅でくるくると風が回り始め、小さなつむじ風が起きる。それが次第に大きくなっていき、さっきお店の中に入ってきた葉っぱがくるりくるりとまわり始めた。それでも、二人は知らん顔だ。


 ちょっちょっと!

 部屋の中で、つむじ風が起こっているんですけど?

 

 ――つむじ風?


 自分で言って、四季を司る高貴な人々のおとぎ話をはたと思い出す。キュラル山――ヴァルコイネンから北へ十日ほど馬を走らせたところにある、てっぺんが見えないほど高い山――には高貴な人々が住む館があって、花と蝶の姫、翠と風の若君、豊と実りの王、が雪と氷の女王季節ごとに、玉座に座っている。王達にはそれぞれ眷属となる精がいて、そういえば、豊と実りの王の眷属は、つむじ風の精だった。


 ということは、ヴィー様はつむじ風の精?


 

 狭い部屋の中でつむじ風は困る!

 部屋がめちゃくちゃになったら、どうするの?


 私は慌てて、ヴィー様に声をかけた。


「……甘いお茶ですか……。それなら……リンコウ(林檎みたいなシャリっと食感で、オレンジ色のこぶしほどの大きさの果物)をいただいたので、それに蜂蜜を加えてジュースにしましょう」

「わーい!! リンコウ!! リンコウ!!」


 ヴィー様の顔がぱあっと明るくなって、背中の小さな羽がパタパタとゆれる。さっきまでの風の渦が消えていく。


 ヴィー様がニコニコした笑顔を私に向ける。


(か、か、かわいいー!!)


 あざといとわかっても、ヴィー様の可愛らしさの胸がきゅんとする。


「ち、ちょっと、待っててくださいね」


「だめだな」「だめなやつですね」とオスマンサス様とアランさんがぼそぼそと言っているけど、軽く無視する。


 私はキッチンカウンターに戻ると、リンコウの皮をナイフでそいでその黄色い果肉をすりおろす。爽やかな甘い香りがふわっと広がる。オレンジみたい香りなんだけど、ずっと甘い。すりおろしたものを布巾で絞る。すると、布巾からは薄い黄色の果汁が、ガラスのコップの中にぱたりぽたりと落ちる。そこに蜂蜜をたらせば出来上がりだ。本当ならジュースにコナの葉を浮かべたいところだけど、今日はやめておこう。


 「はい」とジュースをヴィー様の前に置く。ヴィー様はニコニコ顔だ。こくりと一口飲むと顔をにへらとさせて「あまーい! おいしい!!」とご満悦。


「リンコウか。……、今年は、ヴァルコイネンのリンコウは実が熟れる前にほとんど落果してしまったな」とオスマンサス様が、リンコウジュースが入っているコップを眺めながらつぶやいた。


「今年の翠と風の若君の季節に、雨が多かったのが原因だろうとオーヴァレヌ伯が言っていました」

「翠と風の季節に、雨? それは、不思議なことがあるものだ」

「翠と風の若君はギラギラした太陽が大好きですからね。ただ、今年は、空に羊雲が多かったんです」


 「確かに」と私も頷いて、窓の外を見た。真っ青な空に羊雲。ここに引っ越してきた翠と風の若君の季節も、真っ青な空にぽこぽこと羊雲が多かった。


(ヴァルコイネンに来て、初めて見る雲の形が可愛らしくて、お店の名前を「ひつじぐも」にしたんだもの)


「羊雲か。あれが現れたら雨だな。しかし、季節が合わん」


 オスマンサス様が眉をよせて、外を見る。ふうっとため息をつくと、空の雲が動き始めた。


「翠と風の若君の季節に羊雲がでた次の日は、バケツをひっくり返したような土砂降りでした。あちこちで川が氾濫し、修復作業が大変でした。今年は、雪鼠といい、羊雲といい、季節に合わないことばかり起こります」

 

 アランさんも窓の外を見る。少し眉をよせているところを見ると、おそらく、川の氾濫やガルーダユーユ草原の雪鼠討伐のことを考えていたに違いない。

 

「それは、館の預かり知らぬところで、季節に干渉しているものがいるということだな」とオスマンサス様がつぶやいた。アランさんがそれを聞いて、顎に右手をあて、目をきつくする。


「それはどういうことです?」

「そのままの意味だ。おそらく、季節を館から奪おうとしているものおるのだろう。はるか昔のランカルメのようにな」


「え?」と思わず、聞き返してしまった。


「ランカルメって、初代王ロロキトと魔術師マーリンに、四季を司る高貴な人々に頼まれて、天を操る力を授けた聖なる使いでしょ? そんな説話を聞いたことがあるけど、季節は自然現象だからおとぎ話にすぎないのでは……」と小さな声で呟いたのにオスマンサス様の耳に届いてしまった。


「誰に聞いた?」とオスマンサス様が眉を顰めている。


「あの……」と言葉に詰まっていると、「そんなことをいうのは月白の塔の奴らに決まってる」とアランさんが助け舟を出してくれた。


「アラン、お前、知っていたのか?」

「まあ、王都にいれば、月白の塔の奴らの言葉しか耳にしませんからね。奴らの声は大きく、影響力も大きい。それに、たいてい、建国の説話は為政者に都合のいいように解釈され、作られるものです」

「………浅はかな……」

「人間ですから……」とアランさんが困った顔をした。


「ご、ごめんなさい。私がつい……」と私は頭を下げると、「謝ることはない」とアランさんが言い、言葉を続けた。


「ロッティー、俺が小さなころ、婆さんから聞いた話だがな……。むかしむかし、寒いのが大嫌いな魔力持ちの黒い蛇がいて、太陽を手に入れたいと考えていた。そこに一人の男と魔術師が現れて、黒い蛇の目と鱗を使って空を支配できる魔石を作り出した。そして、雷と雪と嵐で、人々を襲い、王となった……」


 初めてきくおとぎ話。

でも、きっとこれが正解。


 開けた窓から少し冷たい風がはいる。外には羊雲。そういえば、王都の空はいつも穏やかな日差し、同じ雲、同じ気温、同じ風だった。前世の記憶が戻る前は空を気にしたことはなかったし、戻ってからは一年中春みたいって思っていた。


 あまりにも当たり前すぎて、その不自然さに気がつかなかった。


「もしかして、王都の空って……」

「そうだ。王都の空は、月白の塔にある魔石で、制御されている。……、雲の形、空の色、雨も、風も、何もかもだ」







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