雪鼠は『あんまん』ではなく凶暴な魔獣です

どくん。

どくん。


心臓が跳ね続ける。


「あ、あの……、私……」


声が震える。


 アランさんはじっとあんまんを見ている。でも、なんだか今度は怒っているみたい。さっきまでのニマニマした顔つきじゃない。


 (せっかく、お店も順調にやってこれたのに、逃げ出さなきゃいけないのかな)

 (アランさん、王都の警備隊に連絡してしまうのかな)


 アランさんにどう言い訳をすれば私を見逃してくれるのか、そればかりが頭の中をぐるぐるする。


 アランさんが、困った顔をして小さく首をふると、ふっと息を吐いた。


「雪鼠は、雪魔法を操って雪を降らせる魔物だ」

「えええ? 雪鼠の話?? わたしのことじゃなくて?? でも雪鼠って、雪のように儚いから雪鼠って言うんじゃ……」


 思った以上に大きな声が店中に響いた。慌てて、私は自分の言葉を取り消そうと、慌てて口をふさぐ。心臓がバクバク音を立てる。


(どうしよう。どうしよう。どうしよう)


「ふっ」とアランさんが鼻で笑った。

 

「それは、ツノを折り矯正したお貴族様用愛玩だ。ツノを折るとあいつらは魔力を失って、雪魔法を使えないうえに体温調整が出来なくなる。そして、自分の熱に耐えきれず溶けてしまう」


(えええ?)


 アランさんの言葉に目をしばたたせながらも、口をぐっと抑える。耳元でうるさく鳴っている心臓の音を抑えようと、細く長く息を吐く。


(ちょっと、まって。情報が交錯しすぎている。よく考えてみよう)


 心の中で整理をする。アランさんは私がここでお店を始めてから、かなりの頻度でやってくる常連さんだ。たわいもない話をする仲だという自負もある。それに、アランさんはランクSの冒険者だ。王都の警備隊に媚びを売る必要もない。それに、私の言葉をさらりと聞き流した。あの声が聞こえなかったとは思えないし、アランさん、鼻で笑ったし。


(これは、もしかしてもしかすると?)


 それならば、自分の身の上話よりも雪鼠だ。私は、大きく息を吸うと、アランさんを見た。アランさんは小さくうなずくと話を続けた。


「まあ、野生の雪鼠は雪が降る地域、――、つまり、ヴァルコイネンがあるオーヴァレヌ領しか出現しない。毎年、雪と氷の女王の季節には数十匹現れて、雪魔法を使って吹雪をおこす。そして、獲物を襲う。しかし、よほどのことがない限り、人間に害はない。捕まえて矯正して王都で売りさばこうと思う冒険者がいるくらいだからな」


 薬草茶に入っていた氷がからりと小さな音を立てて動いた。アランさんはそれに気がついたのか、一瞬ジョッキの方を見る。そして、一口薬草茶を飲んだ。お茶を飲んでいない私もごくりと喉を鳴らしてしまう。


「ただな、今回は、とよ実りみのりの王の季節に、雪鼠が現れた。そこが問題だ。豊と実りの王の季節の雪鼠は狂鼠きょうそといってな、何千もの数が大量発生するうえに、凶悪極まりない」


 眉がぐっと深くなって、アランさんの表情が険しくなる。


「狂鼠?」

「狂鼠は、豊と実りの王の言うことも聞かない。見境もなく、寒さで朦朧としている獲物を齧り殺す」


 アランさんの言葉に、背中にぞわぞわと寒いものが走る。耳元でうるさく鳴っていた心臓の音の色が変わる。


「………、で、……、でも、こんな小さな鼠でしょ?」


 目の前にあるあんまんよりも小さいはずだ。いくら、凶暴だったとしても、自分より大きい獲物を齧るなんて、っと思う。


「小さいが、凶暴なうえ、何千という数だ。いっぺんに襲われたら虎でさえ齧り殺され、何も残らん。あいつらは雑食だからな。骨だろうが、爪だろうが、食っちまう」


 (虎でさえって。私よりも何倍も大きくて、強くて、鼠を食べてしまうのに?)


 アランさんが小さく首をふった。


「そいつらが、王都からヴァルコイネンにむかっていた商人のキャラバンを襲った。緊急信号を受けて、騎士団が行った時には、ほぼ全滅していたらしい……」


 ほぼ全滅って……。

 虎は魔法を使えないけど、キャラバンには魔法使いや護衛がいたはずなのに。

 

 雪鼠は、小さいからと見た目だけで可愛いの一択と考えていた自分が甘かった。雪鼠は小さくても魔物で、おまけに凶暴化したら、魔法使いや護衛でも手に負えない気恐ろしい魔物だったんだ。


 私は両手で自分を抱きしめて、自分を落ち着かせようと大きく息を吸う。それを見てアランさんが、皿の上にあったあんまんを一つとると、半分に割って、半分を私に渡した。そして、自分の手に残っていた残りを一口齧った。


「やっぱ、あんまんは旨いなぁ。お前もたまには食え。俺のおごりだ」


 アランさんの言葉を笑うこともできず、かさかさになった唇を動かして、小さく「ありがとう」と言うのが精一杯だった。

 

 渡されたあんまんからの茶色がかった赤紫のあんこがこぼれそうになっている。おばあちゃん直伝のあんこ。食べている人に笑顔になってほしくて、「おいしくなあれ」と祈りながら作ったあんこ。私も一口、口に入れた。あんこの甘さとレビンの香りが口いっぱいに広がる。一口、また、一口と口の中に入れて咀嚼すると、さっきまでの寒気がなくなっていくような気がしてきた。


(手前味噌だけど、あんまんの温かさが、あんこの甘さが、心まで温かくしてくれるような気がする……)


「しかし、もう、大丈夫だ。今回発生した雪鼠はあらかた討伐したからな。……、あ、やべえ。忘れていた……」と思い出したかのように、皿の上に残っていたあんまんをモップルルの葉の上に置いた。


「あんまんをお持ち帰りにするなら、なにか器をとってくるわ」


 私は慌てて、手に持っていたあんまんを食べ終えると、お皿を取りに調理場にもどろうとした。アランさんが、ぐいっと私の腕を掴む。


「違う違う。言っただろ? 噂をすればって」

「??」


 私が首を傾げていると、アランさんは人差し指をくるりとまわして、「とよ実りみのりの王のもとへ」と言った。途端、あんまんを乗せたモップルルの葉があんまんごとしゅるりと消えた。



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