第3話降り続ける雨
聞いたことも、聴こえたこともないはずの雨音が鳴り続けている。それは、地面を、鼓膜を強かに打ち鳴らす夕立の音。
激しく降り注いでは、あっという間に止む気まぐれな雨。
ぼくの、彼女への、恋は、一時の気まぐれ、だったのだろうか。
一時の気まぐれだったから、あんなに激しく雨は降ったのだろうか。
ぼくは震えることのない電話を見つめていた。
ぼくは雨に濡れることが怖くて、外に出ることができなかったんだ。
彼女に好きと言われなくてもいい。ただ、嫌いと、彼女の、口元が動くのを、恐れていた。
屋根のある場所から、ぼくはずっと出れずにいた。
雨が降っては止んでを繰り返す日々が続いた。それはぼくの中の不安を表すようだった。
彼女に、忘れられていないか。彼女は、まだ、あのライブハウスで、歌っているのか。まだ、あの場所で、笑っていてくれて、いるのか。
あの日のように、夕立が降る度に、ぼくは、思い出す。彼女の、笑顔を。
また会いたいな。
また、笑って欲しいな。
何度も、何度も、夕立は、降った。
あつく、熱せられた、空気が、空からの、水粒によって、冷まされて、いった。空気は、涼しく。想いは、冷たく。
地面を、夕立は、幾度も、叩いていった。
でも、ぼくの心には響かなかった。
もう一度、彼女に会いに行く勇気を、その拍子(ビート)は奮い立たせてくれなかった。
ある時、ぼくは、机の上に重なった、カードたちを、手に取った。それは、ライブハウスに、行く度に、彼女の手から、直接、渡された歌詞カードだった。彼女の、歌っていたはずの、言葉たち、だった。
ふいに、ぼくは、その中の一枚を、手に、取った。そして、そのカードを、耳に、当てた。
ぼくの耳には決して届かないはずの音たち。彼女が笑って、心から楽しんでいた音たち。ぼくが心から聴いてみたいと願う、彼女の歌声たち。何度も耳を素通りしていった歌詞たち。
ぼくは、歌詞カードを、一枚一枚、耳に、当てていった。彼女の、笑顔を 、思い、浮かべながら。
いつだって彼女は心から笑っていた。
きっと、心から楽しんで歌を歌っていた。
ぼくは歌詞カードを、耳に当てた。
何回も。何枚も。
ぼくは耳を、使われないはずのその器官を、歌詞カードに当てた。
彼女の歌が描かれたカードを、何回も、何枚も、繰り返し耳に当てた。
彼女の想いよ、届け。そう願いながら。
ぼくは、誰よりも、彼女の声が、聴きたかった。
すると、何かが、耳を通りすぎていった。
耳の中を風が通り過ぎ、中にある膜をそれは振動させた。
心が、震え動いた。
これが、「きこえる」ということ。
初めての音色にぼくは興奮した。そして、何より。その聞こえた音にぼくは歓喜した。
「好きなの」
高く、囀ずるように可憐な音。ぼくは彼女に会いたくなった。あのステージの上で幸せそうに笑う彼女の笑顔に、会いたくなった。
その日はいつもあの店に行っていた曜日だった。
ぼくは部屋を飛び出した。きっと、彼女もあの店にいる。
彼女に会おう。
そして、彼女に直接言うんだ。自分の声で、伝えるんだ。
「好きです」と。
夕立があの日のように降り始めた。もちろん、ぼくの耳にはその音は聞こえない。
たった一回だけ、ぼくの耳に届いた音は彼女の声だった。
それは、届くはずのない、音。だけど、確かに、ぼくの心に、届いた、唯一の、音だった。夕立の音を、掻い潜って、届いた、奇跡の音。
夕立に負けないくらい激しい恋の音。
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